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【30/和馬】好敵手

夜中に目を覚ます。腕の中に優斗はいなかった。 どこにいるかなんて、分かりきったことだった。しんと静まり返った部屋の中、かすかに聞こえる声――。 冷静でいられるわけがなかった。頭がぐらぐらする。オレは壁を殴りたい気持ちを必死に抑えてスマホを手繰り寄せた。そして震える指でイヤホンをはめて、音楽を流す。 だが聞こえてくるのは、頭の中にこびりついた、あの声だった……。 *** 「おはよう、和馬くん」 リビングで、蒼生がコーヒーを淹れていた。 「おはよ」 「和馬くんも飲むかい?」 「いや、いい」 コーヒーはあまり好きじゃない。冷蔵庫から牛乳を出して、パックから直接飲んだ。 「グラスを使いなよ」 「面倒。どうせすぐ空になるから気にするな」 蒼生は呆れた顔をして、キッチンのカウンターにもたれた。 「菌が繁殖するのにね……お腹を壊しても知らないよ」 「昔からこうやって飲んでる。腹を壊したことはない」 「そう、強いんだね」 相変わらずの微笑み。昨夜のこともあり、それがたまらなく不快だった。喧嘩を売られているような気分になる。 「おまえは弱そうだよな」 つい、棘のあることを言ってしまった。 「そうだね。父は何かと除菌する人だったし、君より免疫はないだろうね」 だが気にする様子はなく、蒼生はクスクスと笑った。 オレと蒼生は、お互いの恋愛に口出しをしないと決めていた。相容れないのだから割り切ろうと、そう話し合っていた。だから昨夜のことは何も責められないし、オレが優斗と何をしたって、こいつはオレを責めない。 すべては優斗のためだった。優斗の人格が統合されるその日までの我慢だ。オレと蒼生が上手くやることで、優斗に余計なストレスを与えずに済むなら、オレはいくらでも見て見ぬふりをするだろう。 実際、オレと蒼生の努力の甲斐あってか、優斗の治療は順調にステップアップしている。永遠に続く関係ではないと自分に言い聞かせ、誤魔化して、なんとかやっていくしかなかった。 ……とは言っても、辛いものは辛い。嫉妬は理屈じゃなかった。 「おはよう」 フラフラと優斗が起きてきた。眠そうに目を擦りながら、リビングのソファに座る。 「おはよ」 「おはよう優斗、コーヒー飲むかい?」 「うん」 「OK」 蒼生がキッチンへ回り込む。オレは優斗の隣にドカッと座った。 「?」 そして、寝ぐせを整えてやるのを口実に、優斗の髪を撫でる。 「今日もバイトだろ? 大丈夫か?」 「あっ……う、うん」 優斗は耳まで赤くして顔を伏せたが、オレはそんな優斗の顎を掴み、自分の方へ向けた。 柔らかそうな唇を見つめる。このまま、キスをしたいと思った。 「か、和馬?」 唇の端をなぞりながら、昨夜の声を思い出す。塗り替えたい……優斗の身体から蒼生の痕跡を全て消し去ってやりたかった。でも、無理な話だ。だって優斗は―― 「顔、洗ってこい。よだれの跡があるぞ」 手を放す。いつも通りに笑えたはずだ。 「えっ!?うそっ!」 口元をおさえながら立ち上がる優斗。慌てて洗面へ向かう姿が微笑ましかった。 オレは優斗が好きで、優斗もオレが好き。それで充分だったはずなのに……蒼生の存在が、オレを急かした。シたくても出来ない、コンプレックスを刺激する。 身体が全てじゃないと、強く自分に言い聞かせる。身体が全てじゃない、身体が全てじゃない……。 「和馬くん?」 と、コーヒーカップを持った蒼生が、眉根を寄せてオレを覗き込んだ。 「大丈夫かい?」 「あ、あぁ……」 オレは目頭を押さえて誤魔化した。 今は、蒼生の目を見たくない。 「体調、悪そうだね」 「いや、大丈夫だ」 「そう……じゃあ、俺は1限があるから先に行くよ」 「あぁ」 「これ、優斗にね」 テーブルの上にカップを置くと、蒼生は椅子に置かれた鞄を肩にかけた。 「いってきます」 そして微笑みを残し、軽やかに外へ出ていった。 あいつが浮かれるほど、オレの気持ちが沈む。 逆に、ユウが何日も現れないような時には、俺が浮かれてあいつが沈む。 どちらか一方が上がれば、もう一方は下がる、そんな関係だった。 いずれ優斗はユウと1つになって、オレだけを見る日が来る。必ず来る。 蒼生は近い将来、確実に消えてしまう存在と付き合っている、その事実がオレを支えていた。 オレは、あいつがあいつなりに苦しんでいることを知っている。 殺したいほど邪魔だと感じながらも、抱きしめて称えたい相手、それが蒼生だった。 *** そして週末。 「……遅い」 時計を見る。もう21時を過ぎていた。 「バイト先の人との花見だろう? お酒もあるだろうし、仕方ないんじゃないかな」 とか言いながら、優斗に何度もメールを送っていることをオレは知っている。 「優斗は未成年だぞ?」 「優斗は飲まなくても大人が飲むだろう? からまれたら抜け出せないさ」 「でも17時スタートって言ってたよな?さすがに長いだろ……」 こうも帰りが遅いと不安になった。お酒を飲まされしまったのではないか? それで急性アルコール中毒になって、実は今、病院にいるのではないか……そんなことばかり考えてしまう。 GPSを設定しておけば良かったと、心の底から悔やみ始めた頃、オレのスマホが鳴った。 「もしもし優斗? 大丈夫か?」 「うん。連絡遅くなってごめん……あの、さ。今日先輩のうちに泊まりたいんだけど、いいかな?」 「え……」 まだアルバイトを始めて1週間だ。泊まるほど仲良くなった先輩がいるなんて話、聞いたことがない。オレはスマホのマイク部分を指で押さえて、蒼生に尋ねた。 「バイト先の先輩の話、ユウから聞いてるか?」 「先輩?」 「今日、泊まると言ってる」 「泊まる?」 蒼生は眉根を寄せた。蒼生も知らないらしかった。 「優斗、先輩って誰だ?」 「帰ったら説明するよ。で、泊まっていいの?ダメなの?」 「それは優斗の自由だが――」 だがオレとしては帰ってきてほしい、そう付け加えようとしたが遅かった。 「じゃあ、今日は泊まってく。ごめん、明日色々話すから」 「あ、いや――」 「心配かけてごめん、おやすみ和馬……」 切れたスマホの画面を見つめる。突然現れた先輩の存在に、胸が騒ついた。

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