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【31/優斗】初日
和馬と蒼生は、同じ大学に通っている。和馬がスポーツ健康学部で、蒼生が社会学部。大学は同じでも、向こうでは顔を合わせることが滅多にないらしい。
「気をつけてね」
「バイト頑張れよ」
和馬と蒼生は、上り線のホームへ向かった。僕は2人に軽く手を振り、下り線のホームへ。
今日はバイト初日だ。
***
開始時間が近づき、作業服の人が集まり始めた。工場内には何も持ち込めないため、話をして時間をつぶす人が多い。
僕は時間を持て余し、辺りを見回していたのだが……派手な赤色の髪、耳には大量のピアス、そんな怖そうな男性と目があってしまい、仕方なく挨拶をした。
「き、今日からバイトすることになりました。よろしくお願いします……」
「あぁ、よろしく」
会話が続かない。気まずさに視線を泳がせていると、やがて始業の音楽が鳴った。
***
シャンプーとリンスの試供品を組み立てる、簡単な仕事だった。右手にシャンプー、左手にリンスを持ち、ベルトコンベアを流れてくるケースに入れる、ただそれだけ。
ただそれだけだからこそ、キツかった。
***
「初日の感想は?」
差し出された缶コーヒーを受け取る。
リーダーの山田さんは、化粧の濃いおばさんだ。キツそうな顔をしているが、意外と優しくて、世話好きな人だった。
「腕が痛いです」
軽く頭を下げてから、缶コーヒーのフタを開ける。ミルクの入ったコーヒーは苦手だが、無理をして飲んだ。
「続けられそう?」
「続ける自信はないんですけど……友達とルームシェアしてるんで、そんな簡単に辞められないというか……」
山田さんは目を細めて笑った。そしてコーヒーをイスに置き、僕の襟元をゆっくりとなおした。
朝から思っていたことだが、この人はスキンシップが無駄に多い。
「なら、どうしても辞めたくなった時は私に相談してちょうだい」
「え?」
「マシなところに移動させてあげるわ」
マシなところに移動? ピンと来なかったが、深く聞くことはしなかった。
他にも何かペラペラと話していた気もする。だが化粧と香水の匂いがたまらなく不快で、聞く気になれなかった。もちろん、悪気がないのは分かっている。だからそれが顔に出ないよう、笑って誤魔化した。
「ありがとうございます」
「ふふっ、いいのよ」
やがて襟元の修正に満足した山田さんは、にっこりと微笑みながら、ぽんぽんと僕の両肩を叩いた。
「あ、そうそう、週末そこの駐車場で――」
「山田さん」
と、いつの間に現れたのか……今朝の男性が、山田さんの言葉を遮った。
「これ、どかしてもらえます?」
「あら大輔くん、ごめんなさいね」
大輔くんと呼ばれた彼は、山田さんがコーヒーをどかすと、そこにドカッと座り煙草に火をつけた。
山田さんは気にする様子もなく、話を続ける。
「週末にね、そこの駐車場でお花見があるのよ。パートもバイトも参加できる行事だから、優斗くんもぜひ来てちょうだい」
「僕は――」
まだ親しい人もいないし、人が集まる席は苦手だ。できれば遠慮したかった。だが返事を求めているわけではないようで、山田さんの視線はすぐに移動した。
「大輔くんも参加してね?」
赤髪ピアスの男性が、ペコリと頭を下げる。
「じゃ、あと5分したら戻ってね。午後も頑張りましょう!」
そしてそう言い残し、山田さんは先に行ってしまった。
急に静かになり、朝の気まずさがよみがえる。話しかける勇気もなく、僕は静かにコーヒーを飲んだ。
「……あのババァ」
「え?」
「おまえ、名前は?」
「あぁ、えっと、優斗です」
「優斗、あのババァに気に入られたな。嫌われても面倒だけど、好かれても面倒なヤツだから気をつけろよ?」
眉間にしわを寄せながら、煙を吐きだす。
「面倒って……」
「あいつ、若い男が大好きだからな。おまえ多分、手ぇ出されるぜ」
「でも、かなり歳が離れてますよ?」
僕を見上げてニヤリと笑う。
「だからいいんじゃねぇの?」
そして、赤い髪が揺れた。
何が良いのか、意味が分からなかった。
「いいって何が――」
「っつかおまえ、良く見たら可愛いな」
「えっ」
と、急に距離を詰められた。その目は力強く、逸らせない。
「髪、切れば?」
そして、そう言って僕の前髪に触れた。大雑把そうな人なのに、その指先は意外にも繊細で、動揺してしまう。
「ん? なんで緊張してんの?」
「いえ、別に……」
始業の音楽がなる。
大輔さんは意地悪な笑みを浮かべながら、煙草をもみ消した。
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