65 / 84

【31/優斗】初日

 和馬と蒼生は、同じ大学に通っている。和馬がスポーツ健康学部で、蒼生が社会学部。大学は同じでも、向こうでは顔を合わせることが滅多にないらしい。 「気をつけてね」 「バイト頑張れよ」  和馬と蒼生は、上り線のホームへ向かった。僕は2人に軽く手を振り、下り線のホームへ。  今日はバイト初日だ。 ***  開始時間が近づき、作業服の人が集まり始めた。工場内には何も持ち込めないため、話をして時間をつぶす人が多い。  僕は時間を持て余し、辺りを見回していたのだが……派手な赤色の髪、耳には大量のピアス、そんな怖そうな男性と目があってしまい、仕方なく挨拶をした。 「き、今日からバイトすることになりました。よろしくお願いします……」 「あぁ、よろしく」  会話が続かない。気まずさに視線を泳がせていると、やがて始業の音楽が鳴った。 ***  シャンプーとリンスの試供品を組み立てる、簡単な仕事だった。右手にシャンプー、左手にリンスを持ち、ベルトコンベアを流れてくるケースに入れる、ただそれだけ。  ただそれだけだからこそ、キツかった。 *** 「初日の感想は?」  差し出された缶コーヒーを受け取る。  リーダーの山田さんは、化粧の濃いおばさんだ。キツそうな顔をしているが、意外と優しくて、世話好きな人だった。 「腕が痛いです」  軽く頭を下げてから、缶コーヒーのフタを開ける。ミルクの入ったコーヒーは苦手だが、無理をして飲んだ。 「続けられそう?」 「続ける自信はないんですけど……友達とルームシェアしてるんで、そんな簡単に辞められないというか……」  山田さんは目を細めて笑った。そしてコーヒーをイスに置き、僕の襟元をゆっくりとなおした。  朝から思っていたことだが、この人はスキンシップが無駄に多い。 「なら、どうしても辞めたくなった時は私に相談してちょうだい」 「え?」 「マシなところに移動させてあげるわ」  マシなところに移動? ピンと来なかったが、深く聞くことはしなかった。  他にも何かペラペラと話していた気もする。だが化粧と香水の匂いがたまらなく不快で、聞く気になれなかった。もちろん、悪気がないのは分かっている。だからそれが顔に出ないよう、笑って誤魔化した。 「ありがとうございます」 「ふふっ、いいのよ」  やがて襟元の修正に満足した山田さんは、にっこりと微笑みながら、ぽんぽんと僕の両肩を叩いた。 「あ、そうそう、週末そこの駐車場で――」 「山田さん」  と、いつの間に現れたのか……今朝の男性が、山田さんの言葉を遮った。 「これ、どかしてもらえます?」 「あら大輔くん、ごめんなさいね」  大輔くんと呼ばれた彼は、山田さんがコーヒーをどかすと、そこにドカッと座り煙草に火をつけた。  山田さんは気にする様子もなく、話を続ける。 「週末にね、そこの駐車場でお花見があるのよ。パートもバイトも参加できる行事だから、優斗くんもぜひ来てちょうだい」 「僕は――」  まだ親しい人もいないし、人が集まる席は苦手だ。できれば遠慮したかった。だが返事を求めているわけではないようで、山田さんの視線はすぐに移動した。 「大輔くんも参加してね?」  赤髪ピアスの男性が、ペコリと頭を下げる。 「じゃ、あと5分したら戻ってね。午後も頑張りましょう!」  そしてそう言い残し、山田さんは先に行ってしまった。  急に静かになり、朝の気まずさがよみがえる。話しかける勇気もなく、僕は静かにコーヒーを飲んだ。 「……あのババァ」 「え?」 「おまえ、名前は?」 「あぁ、えっと、優斗です」 「優斗、あのババァに気に入られたな。嫌われても面倒だけど、好かれても面倒なヤツだから気をつけろよ?」  眉間にしわを寄せながら、煙を吐きだす。 「面倒って……」 「あいつ、若い男が大好きだからな。おまえ多分、手ぇ出されるぜ」 「でも、かなり歳が離れてますよ?」  僕を見上げてニヤリと笑う。 「だからいいんじゃねぇの?」  そして、赤い髪が揺れた。  何が良いのか、意味が分からなかった。 「いいって何が――」 「っつかおまえ、良く見たら可愛いな」 「えっ」  と、急に距離を詰められた。その目は力強く、逸らせない。 「髪、切れば?」  そして、そう言って僕の前髪に触れた。大雑把そうな人なのに、その指先は意外にも繊細で、動揺してしまう。 「ん? なんで緊張してんの?」 「いえ、別に……」  始業の音楽がなる。  大輔さんは意地悪な笑みを浮かべながら、煙草をもみ消した。

ともだちにシェアしよう!