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【32/優斗】大輔さん
「どうだった?」
「大丈夫か?」
玄関のドアを開けると、エプロン姿の蒼生と、ジャージ姿の和馬が立っていた。
「うん」
返事をしながらドアを閉める。圧迫感に少しだけ戸惑った。
「夕食、すぐに食べるかい?」
「それとも風呂、入るか?」
「ち、ちょっと!」
ダブルの壁ドンを慌てて振り払い、無理やり2人の間を通過する。
「2人とも気ぃ遣いすぎ」
「仕方ないだろ」
「心配するに決まっているさ」
そして2人の声を背中で受けとめながら歩いた。リビングに辿り着くと、ソファに寝転び2人を見上げる。
ご飯が先か、お風呂が先か……そんなの、どちらも後回しに決まっていた。
「シャンプーとリンスをひたすらケースに入れるだけだから、正直つまらなかった」
足で靴下を脱ぎ、床へ落とす。
今はただただ、ゆっくりと休みたかった。
「でも、そんなの分かってたことだし、今のところ問題はないよ」
そう伝えると、2人の表情は和らいだ。
「そうか、良かった」
「友達はできたかい?」
「それは――」
蒼生にそう聞かれて、一瞬、大輔さんの顔が浮かんだ。だが友達と呼べるほど話してはいないし、そもそも友達ではなく先輩だ。
「まだ」
だから否定した。
無意識で自身の前髪に触れる。大輔さんの優しい指先を思い出し、慌てて頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「別に、積極的に作る気もないし」
そう、友達はいらない。面倒なだけだ。僕は和馬がいてくれれば、それで十分……の、はずだった。
***
「おはようございます」
「ん? あぁ」
更衣室に入ると、ちょうど大輔さんが上着を脱いだところだった。僕には一生かかっても無理そうな、綺麗な逆三角形の背中は大きく、逞しかった。
ジロジロ見るのは失礼だ。慌てて自分のロッカーに歩み寄ろうとしたのだが――。
「なぁ」
大輔さんに腕を掴まれた。大輔さんは、なぜか不思議そうな顔で僕を見下ろしている。
「新人?」
「え?」
確かに少し話しただけだ。だが、全く見覚えがないような顔をされるほど、僕の存在は薄いのだろうか。
「あの、昨日……話しましたよね?」
なんて答えつつ、少し切なかった。
「なら、おまえが優斗?」
「え? あ、はい」
「昨日、俺と話した優斗?」
「はい」
「そうか、おまえが……」
何を納得したのか……小さく頷きながら、そっと僕の腕を解放した。そして何事もなかったかのように上着を着ると、出口へ向かっていった。
「あまり俺に近づくなよ」
「え?」
静かな部屋に、意味の分からない言葉だけが残った。
***
単純作業を繰り返しながら、朝のことを考える。
「俺に近づくなよ」
あれは、どういう意味なのだろうか……。
チラリと斜め前を見る。視線の先には、商品を補充して歩く大輔さんがいた。
「近づくな、か」
近づいた覚えはない。成り行きで少し話しただけだ。それに、どちらかといえば、近づいてきたのは大輔さんの方だった。
「髪、切れば?」
昨日のことを思い出す。動揺し、シャンプーを落とした。
***
休憩時間。
ベンチに座り、コーラの蓋を開けた。
「今日はコーヒーじゃねぇの?」
大輔さんだった。
隣にドカッと座り、煙草に火をつける。
「えっと……」
近づくなと言っておきながら、自分から話しかけてくる大輔さん。
意味が分からなかった。
「あの、朝言ってましたよね?」
「ん?」
「近づくな、って……」
「あぁ、仁か」
何が可笑しいのか、クスクスと笑った。
「あれは冗談だ、気にするな」
煙草の煙を吐きだした彼は、力強い目で僕を見た。
「なに、近づくなって言われて寂しかったわけ?」
「な、なんでそうなるんですかっ」
慌てて視線を逸らす。なぜか顔が熱かった。
***
タイムカードを切り、帰ろうとした時だった。
「おい」
呼び止められ、振り返ると大輔さんが立っていた。
「これ、出したか?」
ハガキサイズの紙をヒラヒラさせている。
「何ですか?」
僕は、それが何だか分からなかった。
「シフトの希望、今日までだぞ? 聞いてねぇの?」
そんな話は聞いた覚えがない……けどどうだろう?もしかしたらユウが聞いたくせに日記に書き忘れたのかもしれない。
だから即答できなかった。
「まぁいいや、教えてやるよ」
おいでおいでと、手のひらを上にしたジェスチャー。違和感がないのは、彫りが深く背が高いからだろうか。
「あ、ありがとうございます……」
恐る恐る近づき、紙を受けとった。
「優斗は学生?」
「いえ、フリーターです」
「なら、他に仕事してんの?」
「ここだけです」
「へぇ」
大輔さんのシフト希望用紙が、僕の目の前に勢いよく突き出された。
「ならさ、俺と休み合わせろよ」
「え?」
「その方が面白そうじゃん」
初めて会った時、怖い人だと思った。でも、今は怖くない。
むしろこんな風に無邪気に笑われると――。
胸が、騒いだ。
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