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【34/優斗】仲間

「えっと、元からある人格が大輔さん……ですよね?」  職場のタイムカードも『大輔』だ。僕の知っている大輔さんが、いわゆる主人格なのか?まずはそこから確認しようと思った。 「そうね、主人格は大輔よ。でも――」  ミカさんは、背もたれに身体を預けた。唇が妖しく光る。 「大輔はもう10年以上、眠ったままなの」  そして、毛先をくるくると指に巻きつけながら微笑んだ。 「眠ったまま?」 「正確には起こさないようにしているの。大輔を守るためには、今のところそうするしかないのよ」 「じ、じゃあバイト先の大輔さんは……」 「柊と仁の2人ね」  本当の自分は眠った状態で、いくつかの人格が大輔さんを生かしているということか……。バイト先の大輔さんは確かに会話が噛み合わない事も多く、2つの人格だと言われても納得できた。 「外にいる時は柊、家の中ではワタシでいることが多いわ。でも、仕切っているのは仁なの。仁は危険を感じた時だけ表に出てくるけれど、普段は出たがりのワタシと柊に譲ってくれているのよ」  ミカさんの話をまとめるとこうだ。  柊さん、女性のミカさん、そしてリーダーの仁さんという3つの人格があり、その人格を生み出した本人は、もう長いこと表には出てきていない。主人格には自殺願望があるため、3人は起きないよう常に見張っているとのことだった。  仁さんはあまり表に出たがらず、基本的には柊さんとミカさんの2人が入れ替わりながら生活していた。 「仁が少し話したいみたい」  と、急なお願いだった。ミカさんの話を咀嚼中だった僕は、返事をしそびれる。 「代わるわね」  だがミカさんは気にする様子もなく、僕の返事を待たずに目を閉じた。唇が小刻みに震える姿は、誰かと会話しているようにも見えた。やがてゆっくりと目を開き、あたりを見回す。自分が今どこにいるのかを確認したのだろう。僕もユウと交代した時にやるから分かった。 「……優斗だな?」  顔つきも仕草も、ガラリと変わっていた。 「はい」 「近づくなと言ったのに、家にまで来たのか」 「はい……すみません」 「まぁ、もう別にいいけどな」  仁さんは落ち着いた様子で、ティッシュを2枚手にとり、唇を拭った。 「ミカのこういう部分にはイラつく事もあるが、俺たちは上手くやっている」  ひらひらと動かされるティッシュに目をやると、淡いピンク色がキラキラと光っていた。 「おまえ達はどうだ?」 「僕とユウは――」  視線を落とし、指先を見つめながら考えた。  カウンセリングに通うようになって2年、ユウは相変わらず現れる。入れ替わりのストレスは軽減されつつあるような気もしたが、慣れただけかもしれなかった。 「どうなんでしょう?上手くいってるのかな……」  独り言のように呟いた。 「なら、優斗はユウのことをどう思っている?」 「ユウのこと、ですか……」  初めてユウを知った時、ただただ排除したくてたまらなかった。でも今は―― 「ユウは悪いやつじゃないです」  自分を守るために生まれてきたことだけは理解した。ユウを知る努力はしているつもりだし、お互いルールを守って上手くやれている。もちろん、不満もあるけれど……。 「なら、ずっとこのまま? 現状維持で満足なのか?」 「それはっ……」  でも今のままじゃダメだと思った。和馬のためにも、蒼生のためにも―― 「強くなりたいです。ユウの助けなんて必要ない自分になりたい」  そう、強くなりたい。強くならなくちゃいけない。なんだかんだユウへの甘えがあるから、僕は前に進めていないのかもしれなかった。 「そうか……柊が興味を持った理由が分かる気がするな」 「え?」  仁さんは満足そうに頷いた。 「知り合いが増えればトラブルも増える。何が大輔を起こすスイッチになるか分からない。だからなるべく人と関わらずに生きるしかないと思っていたが……なるほど、お仲間なら話は別だな」  顎をさすりながら僕を見下ろす瞳は、とても穏やかだった。 「優斗が多重人格と向き合う姿を近くで見たい。それは俺たちにも良い刺激になるはずだ。良いかな?」  同じ病気の仲間というのは、僕にとっても心強い。断る理由はなかった。 「こちらこそ、色々と相談させてもらえたら助かりますし、よろしくお願いします」  正座して、頭を下げると、握手を求められた。おそるおそる手を握る。 「悩んだらいつでも来い」  仁さんは、そう言って笑った。 *** 次の日―― 「そういえば、柊さん……でしたっけ?」  朝食の片付けを手伝いながら、ミカさんにたずねた。 「あら、柊がどうかしたの?」 「いえ、本当に家の中だと現れないんですね」  僕が洗った食器を、ミカさんが拭く。  会話に困り、なんとなく気になっていたことを質問してみた。 「そうね……でも、代わろうと思えば代れるのよ?」 「えっ、そうなんですか!?」  代わろうと思えば代れる?  そういえば昨日も、自分たちの意思で交代しているような雰囲気だった。同じ多重人格でも勝手が違うことに改めて驚く。 「仁が、誰が表に出るかを決めているの。今の状況なら、話せば多分ダメとは言わないはずよ」 「話すって……どうやって?」 「あ、そうだったわね。優斗ちゃんとユウちゃんは話せないのよね」  不便ねぇと呟きながら、ミカさんは目を閉じた。唇が震えだし、10秒くらい経っただろうか? やがてゆっくりと開いたその目は力強く、いつもの大輔さん……柊さんだった。 「うわ、家とか超久しぶり!」  柊さんは手に持っていた布巾を雑に放り投げて、物珍しい様子で歩き回った。やがて油性ペンを手にして、冷蔵庫の可愛い犬のマグネットに眉毛を描きたすと、満足そうにこちらを向いた。 「で、なに? 俺に会いたくて会いたくて震えちゃった?」 「そうじゃなくて……」  聞きたい事は色々あるはずなのに、いざ目の前にすると、何から話せば良いのか分からなかった。  それを誤魔化すため、食器を洗い続ける。 「なぁ」  と、柊さんが後ろから僕に抱きついた。 「優斗はさ、恋人いるの?」  硬直しつつも、なるべく平静を装った。 「いますよ」 「ふーん……じゃあさ、ユウは?」 「あいつにもいます」 「それは同じ子?」 「いえ……」 「へぇ」  柊さんは笑いながらリビングへ移動した。僕も慌てて手を拭き、あとを追う。 「何がおかしいんですか?」  柊さんはソファで足を組み、僕を見上げて笑った。 「いやだってさ……ちなみにその恋人たちは、お互いの存在を知ってるわけ?」 「3人で住んでます」 「まじか、凄いな」  柊さんは手の甲で唇のリップを拭いながらも、僕から視線を逸らさなかった。 「まぁ、長くはないな」 「上手くやれてます」 「本気でそう思うか?」 「それはっ……」 「俺にしておけよ、傷を舐め合うのも悪くないだろ?」  突然の告白に、言葉が出ない。 「こういう身体になるのは理由がある。そういう環境にいないやつが、優斗をまるごと理解出来ると思うか? 無理だね」  説得力のある目だった。だが、和馬と蒼生と僕たちは、必死に模索している。僕とユウの統合が済めば、そこにはハッピーエンドが待っていると信じたかった。 「理解しようと努力してくれているし、僕たちにはもったいないほど素敵な2人だから――」 「なら、せめてどっちか1人にしろよ」  和馬か蒼生か、どちらか1人を選べたら……それは僕自身、考えたことがある。だが無理な話だった。この問題だけはどうすることも出来ないのだ。 「僕もユウも、どちらも譲れない。だから今がこうなんです」 「へぇ。可哀想なやつらだな」  それは僕とユウのことなのか、和馬と蒼生のことなのか、もしくはそのどちらもか……分からなかった。

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