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【35/和馬】来客
静かな部屋に、時計の音が響く。
窓の外は明るくなり始めていた。そろそろ始発が動く時間だろうか。
「はぁ」
深いため息をついて、オレは立ち上がる。自室からリビングに出ると、キッチンには蒼生の姿があった。
「コーヒー飲むかい?」
「あぁ」
コーヒーは好きじゃない。でも、なんとなく飲みたい気分だった。
ソファに身を埋めて、天井を見つめる。しばらくすると、前のテーブルにコーヒーが置かれた。軽く礼を言いつつ、ソファの端に座りなおす。蒼生は人一人分の間を空けて、隣へ座った。
「眠れなかった?」
「いや、別に」
嘘だ。眠れなかった。
蒼生は深く追求することはせず、ただクスッと笑った。
「俺は眠れなかったよ」
蒼生は口元へ運んだコーヒーを飲もうとはせず、話を続けた。
「優斗って、簡単に友達を作れるタイプじゃないよね。ましてや、こんな短期間で泊まるほど心を許すなんてね、ちょっと気になってしまって眠れなかったんだ」
オレも、全く同じことを考えていた。
優斗が簡単に誰かと親しくなることはない。オレだって仲良くなるまでに、それなりの時間がかかった。そんな優斗が、知り合ったばかりの誰かの家に泊まるという違和感……。
「先輩の話、聞いたことはないのか?」
「ないね」
「そうか……」
オレはカップを持ち上げて、熱いコーヒーに息を吹きかけた。
「あの、さ。今日先輩のうちに泊まりたいんだけど、いいかな?」
優斗の言葉を思い出す。
先輩とは、一体どんなヤツなのか? 想像もつかないが、あれこれ考えずにはいられなかった。
「ねぇ、和馬くん」
と、蒼生がカップをテーブルに置き、身体をゆっくりとオレの方へ向けた。
「ん?」
「優斗の治療は、俺の存在が邪魔をしているのかもしれないね」
膝の上で組んだ指先に力がこもり、手の甲に爪がくいこんでいる。思いつめた様子だった。
「ユウが消えるなら、一緒に消えてあげたい。ユウのためなら死ねるって最近思うんだ」
優斗は治療に通い始めて、それなりに時間が経っている。日を追うごとに不安になって、色々と考えてしまうのはオレも一緒だった。
もしユウが一生消えなかったら?
もしユウが明日にでも消えていなくなったら?
優斗が外泊をしたり、そういうちょっとした変化さえ不安に感じて、あれこれ余計な事を考える……オレと蒼生は似ていた。
「馬鹿らしいな」
弱気な蒼生を見て、目が覚めた。
外泊が何だ。事故にあったわけじゃない。ちゃんと連絡もあった。なのにオレも蒼生も、一体何を不安がっているのか。
「えっ?」
「ユウが消えないのは優斗がまだ必要としているからだ、おまえのせいじゃない」
「でも――」
「オレなら一緒に生きるぞ。何があっても、いつか消えるとしてもだ」
「それは……和馬くんが優斗と付き合っているから言えることじゃないのかい?」
確かに、蒼生から見たらそうだろう。だが、逆の立場だったとしても、オレは一緒に死ぬ未来じゃなくて、一緒に生きる未来を見たいと思った。
オレは蒼生とは違う。
「そうかもしれないが……なぁ蒼生、あえて言うぞ? オレはいつか必ず、あいつを独り占めしてやると思っている。おまえだってそうだろう?」
「それは……そうだね、願わずにはいられないよ」
この気持ちだけは譲れない。こんな弱気なヤツには負けない。
「当たり前だ。だからオレに気を遣うな。オレもおまえに気を遣わない」
正々堂々と戦い、優斗を独り占めしたいオレは、宣戦布告をした。
「ありがとう、和馬くん」
なのに何故か、蒼生は微笑んだ。
***
昼近く――リビングでうとうとしていると、部屋のチャイムが鳴った。
「優斗!」
「ユウ!」
オレと蒼生は目を見合わせてから、玄関へ急いだ。優斗なら鍵を自分で開けるはずなんだけどな、寝不足の脳では違和感に気付けなかった。
「来ちゃいました♡」
玄関のドアを勢いよく開けると、そこに立っていたのは高校時代の優斗の担任、神永先生だった。
オレはそっとドアを閉め……ようとしたが、神永先生は素早く足を挟み込んできた。
「ちょっ!なんで閉めるんですか!?」
「いや、呼んでないんで」
「やだなぁ、サプライズですよぉ」
神永先生は頑固な力で踏ん張っている。なかなか押し戻せず、ドアが閉められない。
「誰だい?」
「優斗の元担任だ。立ってないで手伝え!」
「元担任? 先生が来てくださったのに、なぜ追い返すんだい? 入ってもらえばいいじゃないか」
蒼生が呑気な事を言う。オレはイラついた。
「クソ教師だ、相手にする必要はないっ」
確かに恩はある。だがもう関わりたくなかった。
「和馬くん、恩師に向かってクソは失礼ですよ」
「はいはい、おクソ教師お帰りください」
「何ですかそれは。ってゆーか、そちらのイケメンが言う通りです。話があって来たんですから、家に入れてください」
「嫌だ」
「お土産だってあるんです」
「いらないっす」
「お土産のプロテイン、和馬くんの好きなイチゴ味ですよ?」
一瞬手を止めた。
イチゴ味のプロテインにつられたわけじゃない。なんでこいつがオレの好きな味を知っているのかと驚いたからだ。
「しかも限定とちおとめ味!っと、おじゃまします♪」
その一瞬を見逃さなかった神永先生は、玄関を突破し、素早く靴を脱ぎ、揃え、蒼生に案内させながら涼しい顔でリビングに向かって歩きだした。
***
「元気そうで安心しました」
蒼生が淹れたコーヒーの香りを、やたら嬉しそうに楽しむ。オレはそんな神永先生を睨みつけた。
「で、何の用っすか?」
「そんな怖い顔しないでくださいよ、私と和馬くんの仲じゃないですか」
「卒業したんで、もう関係ないです」
「相変わらずですねぇ」
頬杖をついて微笑む神永先生に、マジで殺意が芽生えた時、オレの隣に座る蒼生が立ち上がった。
「さて、俺は部屋に戻った方が良さそうだね」
そんな蒼生のシャツを掴み、下に引っ張り座らせる。
「こいつが来たってことは優斗がらみだ。おまえも居ておけ」
蒼生には同席してもらわなくちゃ困る。神永先生と2人きりにはなりたくなかった。
「私は別にどちらでも構いませんよ?」
「なら早く話してください」
「せっかちですねぇ」
神永先生はガサゴソと鞄を漁り、1冊のパンフレットを机の上に置いた。
「大学病院?」
蒼生が呟く。オレの目には、病院の名前よりも先に、表紙の精神科の文字が飛び込んでいた。
「優斗くんのお母さんが入院している病院です」
「……入院したのか?」
「そりゃあサンドバッグを失えばバランスも崩れますよ」
言葉選びが気に入らないが、いちいち反応しても話が進まないので聞き流す。
「和馬くん達が卒業してから、色々大変だったんですよ?」
神永先生の口からは、オレたちの卒業後、優斗を失った母が高校へ幾度となく足を運んだこと、その対応を神永先生がしていたこと、そうこうしているうちにちょっとした騒ぎになり、入院へ至ったことなどが語られた。
まぁ、色々盛ってるだろうな!って内容だったが、入院したのは間違いなさそうだった。
「お見舞いに行く必要はありませんが……お知らせしておいた方が良いかなと思いまして」
「それでわざわざ来たんですか?」
「はい、久しぶりに和馬くんの顔が見たかったので♪」
神永先生の表情を観察する。どこまで本気なのか分からなかった。
「優斗くんのお母さんのことで気になることがあれば、気軽に連絡ください。和馬くんのためなら喜んで動きますからね」
卒業したら縁も切れると思っていたが、どうやら神永先生は違ったらしい。こんなにもオレは嫌いオーラを放っているのに……もしかして、ドMなのか?
悪意は感じられない。だが、喜んで受け入れたい相手でもない。今後も連絡をとるか、絶つか……万が一のことを考えれば、振り払えるわけがなかった。
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