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【36/蒼生】変化

 幸せというものは、身近にあるものの中から大切なものを選びとっていった先にあるものだ。『自分の幸せはこうだ』と決めつけないことが幸せになるコツであり、近道であると、いつか読んだ本に書いてあった。  俺の幸せは、ユウと一緒に過ごすことだ。それから……許されるなら、優斗も支えたい。  そうやって欲張って、いつしか自分の幸せはこうだと決めつけてしまった。だから俺は、幸せになれないのかもしれないね。 *** 「ねぇ、和馬くん」  コーヒーをテーブルに置き、身体をゆっくりと和馬くんの方へ向けた。 「ん?」 「優斗の治療は、俺の存在が邪魔をしているのかもしれないね」  眠れなくて、結局朝が来てしまった。  それは、暗い天井を眺めながら、ずっと考えていた事だったんだ。俺がいるからユウは消えることが出来ないんじゃないか……優斗のために出来ることは、去ることなんじゃないかって、ね。何をどんな風に考えても、答えがそこに辿り着いてしまうんだ。  いけないね……独りの夜は、ついつい考えすぎてしまう。 「ユウが消えるなら、一緒に消えてあげたい。ユウのためなら死ねるって最近思うんだ」  いつかユウは消える。会えなくなる。ユウを独りにしたくないし、俺も置いていかれるのは嫌だった。  ずっと一緒に暮らせるなら、別にあの世でも構わないし、むしろそっちの方がお似合いな気もしたんだ。 「馬鹿らしいな」  でも、そんな俺の弱音を、和馬くんは一蹴した。 「えっ?」 「ユウが消えないのは優斗がまだ必要としているからだ、おまえのせいじゃない」 「でも――」 「オレなら一緒に生きるぞ。何があっても、いつか消えるとしてもだ」  和馬くんは強い。肉体的にも、精神的にも。でもそれは、和馬くんの恋人が優斗だからなんだよ。俺の不安な気持ちは、和馬くんが理解出来るものではないんだ。絶対に、ね。 「それは……和馬くんが優斗と付き合っているから言えることじゃないのかい?」  だから、つい本音を漏らしてしまった。 失う恐怖のない君に、何が分かるのかって、責めてしまった。 「そうかもしれないが……なぁ蒼生、あえて言うぞ? オレはいつか必ず、あいつを独り占めしてやると思っている。おまえだってそうだろう?」 「それは……そうだね、願わずにはいられないよ」 「当たり前だ。だからオレに気を遣うな。オレもおまえに気を遣わない」  なのに、励まされた。  お互い気を遣わず堂々とやろう、そしてどんな結末を迎えようとも文句はなしだと念押しをされただけなのかもしれない。でも、俺には心地よい言葉だった。 「ありがとう、和馬くん」  俺は、もっと優斗とも親しくなりたいし、隙あらば奪いたい。でも、当然躊躇いもあったんだ。  和馬くんがそう言ってくれるなら、もう遠慮するのはやめよう。許されない想いではないと、気持ちが軽くなった。  俺は、もっと優斗に近づくと決めた。 ***  お昼近くなっても、優斗は帰らなかった。 「君が蒼生くんですか?」  そして待ちくたびれて眠りかけた頃、その人は来た。  優斗の元担任だと紹介された男性が、和馬くんの防御をすり抜けて我が家へ入ってきた時は驚いたよ。 「はい」 「やっぱりそうでしたか♪ 噂通りのイケメンですね」 「噂?」 「優斗くんから聞いたことがあります。病院へ付き添うことがあったので、多少の事情は把握しているんですよ」  そういえば、そんな話を聞いたこともあったっけ。和馬くんはクソ教師なんて罵っていたけれど……俺は興味を持った。 「まぁまぁ、立ち話もなんですし、お茶でも飲みながら座って話しましょう」  先生はそう言ってリビングの方をちょんちょんと指差した。 「え? あぁ、はい……どうぞ?」  勢いに押されて、通路を譲ってしまったよ。  人懐っこい笑顔には、図々しさを許してしまう妙な魅力があった。服装のせいかもしれないけれど若々しく、教師だと言われなければ大学の先輩か何かだと思っただろうね。  俺はコーヒーを淹れながら、和馬くんと先生を交互に観察したよ。昔、何かあったのかな? 和馬くんは終始迷惑そうにしていた。 *** 「ただいま」  夕方、やっと優斗が帰ってきた。 「おかえり」 「和馬は?」 「すぐ戻ると思うよ。優斗の元担任の先生がいらっしゃって、さっき駅まで送ると出ていったところだからね」 「え、神永が来たの?」  優斗の表情が少しだけ曇るのを、俺は見逃さなかった。  先生との間に何かあったのかな。それとも、単に煩わしいだけなのかな。後でユウに聞いてみようと思った。 「和馬くんもあまり歓迎する雰囲気ではなかったよ。一体どんな先生だったんだい?」 「面倒くさがりで、適当で……面白いって人気はあったけど……」  言葉が途切れた。続きを話す気はないらしく、優斗は自室のドアノブに手をかけた。 「待って」  俺は慌てて呼び止めた。  優斗は和馬に気を遣っているのか、俺と2人きりになるのを避ける傾向がある。今まではそんな優斗の気持ちを優先してきたが……俺は、少しだけ踏み込んでみることにしたんだ。 「少しだけ、話してもいいかな?」  とはいえ期待はしていなかった。優斗に冷たくされることには慣れていたんだ。でも、不思議なことに今日は違った。 「うん」  優斗は少しだけ躊躇いを見せたが、振り返り、俺の目を見た。 「いいよ、話そ」  右手のひら、親指と人差し指の間を撫でる。俺は過去の過ちを思い出しながら、優斗を見つめ返した。

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