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【38/優斗】歩み寄る
「君を大切にしたい」
頬に触れた蒼生の親指が、優しく動く。和馬への罪悪感が膨らむけれど、僕は動けなかった。
蒼生がどんなにユウのことを想っていたとしても、それは“僕じゃない僕”との関係であって、僕自身は振り払って良い事だと思っていた。でも、大輔さんと関わって、蒼生の気持ちが少しだけ分かってしまった。
大輔さんは大輔さん、いくつ人格があろうと、僕から見れば同じ人間だった。なら、蒼生や和馬から見た僕は、きっとユウであり優斗なんだと、理解した。
「俺の気持ち、分かるよね?」
和馬とは違う、色素の薄い瞳からは、愛が溢れていた。拒否するべきなのに、何故か動けなかった。
やがて、部屋の鍵を開ける音が、静かに響いた。
「ただいま」
「和馬!お、おかえり!」
慌てて立ち上がり、和馬に駆け寄る。
「おかえり」
蒼生はゆっくりと立ち上がり、哀しそうに微笑んだ。僕はそれに気づいたけれど、気づかないフリをした。
「俺は先に話を聴かせてもらったからね、もう部屋に戻るよ」
そしていつも通り、蒼生は和馬に僕を譲った。
***
「元気ないじゃん、大丈夫か?」
バイトの休憩時間。
柊さんはベンチのソファに浅く腰掛けると、身を乗り出してそう言った。
「いえ、ただ……」
「ただ?」
「僕は、いつになったら普通に暮らせるのかなって、最近気持ちが焦るというか……」
悩みが、さらりと口から漏れた。
治療は長期戦だってことは分かっている。でも、和馬と蒼生への申し訳なさが膨らみすぎて苦しかった。
「まぁ、悩むよな。浮気してるもんな」
「う、浮気なんてっ――」
「気持ちは分かるし、してないつもりなんだろ? でもな、身体は一つなんだから、世間から見たら浮気なんだよ」
世間から見たら浮気……その言葉が、重くのしかかる。
「逆におまえさ、恋人が浮気してるのを見つけて、人格が違うから~って言い訳されて納得できるか? まぁ、100歩譲って納得は出来たとしても、嫌なものは嫌だろ普通」
柊さんの言っていることは正しい。だから僕は何も言い返せなかった。
「そこで我慢できるヤツは本気で惚れてないか、めちゃくちゃ自分を犠牲にしてるかのどっちかだぞ?」
確かに和馬と蒼生は、僕のために自分を犠牲にしすぎている。このままではいけないという気持ちが日増しに強まっていた。
「でもまぁ、カウンセリングに通ってるんだろ? 気楽にやれよ、あんま考えすぎても全員不幸になるだけだしな」
そう言って微笑む柊さんの表情は優しかった。
「あ、ありがとうございます」
柊さんはズバズバと思ったことを言ってくる。でもそれは、柊さんなりの優しさであることが多かった。キツいことを言う時もあるが、そこには必ず先輩としてのメッセージが込められていた。
やがて、コーヒーの缶を灰皿にして、柊さんは煙草を吸い始めた。
「子供の頃さ、セロリが食えなかった」
煙を吐き出しながら、思い出すようにそう呟く。
「でも最近は食えるんだよ。同じ味でもさ、受け入れられるタイミングって、必ず来るんだよな」
「確かに、大人になると味覚が変わるとか言いますよね」
「だろ?それってトラウマも一緒だからな。 ユウに抱えてもらったモノをさ、受け取れる日っつーのが絶対に来るから、それまではユウに甘えとけよ」
そう言われてはっとした。
結局は自分が強くならなくちゃいけないんだと、再確認したからだ。ユウが抱えているものを、しっかりと受け止められる自分になりたいと思った。
「ちゃんとユウに感謝してるか?」
「え?」
「俺はミカが好きな野菜ジュースを買って帰ったりしてるぜ? あと髪も、あいつのために伸ばしてる」
髪は女の命らしいからなと、長い髪を雑に掴んで笑った。ミカさんのためとはいえ、長髪が似合うのも凄いが……そういえば、僕はユウのために何かをした事はなかった。
「歩み寄れよ。仲良く出来りゃ生活が楽になるぜ?」
柊さんの口ぶりから闘病の歴史を感じとる。人格が複数存在する大輔さんには、僕には想像もつかないような苦労もあったに違いなかった。
「柊さんもカウンセリングに通ってるんですか?」
「もう行ってねぇけど、昔は通ってた」
「なんで通うのをやめたんですか?」
「話せば長くなるからなぁ……まぁ、問題があればまた通うかもな」
柊さんは煙草の火を消して、ゆっくりと立ち上がる。始業の音楽が鳴り、話はそこで終わった。
***
その日の夜――
「ねぇ和馬」
和馬はタオルで髪を拭く手を止めた。髪の先と長い睫に雫が光る。
「ん?」
「大学って、ゴールデンウィークは行かなくても良いの?」
「あぁ、休みだぞ」
「ならさ、旅行しない?」
「行きたいけど、ユウに反対されるだろ?」
「うん、だから別の日に蒼生とユウを旅行させてあげる、ってのはどうかな?」
ユウは蒼生と旅行したいと言っていた。それを叶えてあげたら、少しはカウンセリングに協力的になるかもしれない。まぁ、そう単純にはいかないだろうが、柊さんの言う通り、歩み寄ることは大切だと思い始めていた。
それぞれのカップルが、それぞれの旅行をする……良い気分転換にもなる気がした。
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