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【41/ユウ】助言

「旅行、どうだったの?」  ミカからグラスを受け取る。レモングラスの香りがふわっと広がった。 「それなりに楽しかったよ」  ボクは旅行のことを話した覚えはない。きっと優斗が話したんだろうなぁと思いながら、適当に答えた。 「最近、優斗ちゃんが元気ないのよ。気になっちゃって」  ミカは向かいに座ると、頬杖をつきながら溜息をついた。 「旅行で何かあったのかしら?」  そんな事をわざわざボクに聞くのは何故なんだろう?  ミカの家に来るのは今日で2度目だ。柊の勢いに引っ張られて来てしまったものの、やっぱり帰ろうと思った。 「優斗のことは優斗に聞いてよ。ボクは帰るね」  でも、立ち上がるボクを見てミカは笑った。 「交代する必要はないわ。ユウちゃんと話したいの」 「ボクと? 何を話すの?」 「ユウちゃんのことは、優斗ちゃん以上に放っておけないのよ? だから柊にお願いしたんじゃない」 「なんで?」  優斗はそれなりに付き合いがあるみたいだけど、ボクはそうでもない。どんな話がしたいのか見当もつかず、少しだけ警戒した。 「まぁ、座ってちょうだい。時間はあるんでしょう?」 「あるけど……」  ボクは渋々座った。  優斗は仲間だって慕っているみたいだけど、ボクは逆に同族だからこそ距離を置きたかった。  ボクは自分のことを理解しているけど、最近は現実を見たくないと考えている。ボクはユウだ。優斗じゃないし、病気でもないと思いたいのに、ミカ達と一緒にいたら嫌でも自身のことを考えてしまう。居心地が悪かった。 「ねぇ、ユウちゃんから見て、私はどう?」 「どうって……」 「女性に見える?」  初めて会った時、自分は女だと言っていた。でも肩幅は広く、声も低く、誰がどう見ても男だ。  ボクは正直な感想を伝えた。 「見えない。正直に言えば、新宿……えっと何丁目だっけ?」 「そうよね、言いたい事は分かるわ。ワタシもね、最初はいわゆる性同一性障害ってやつだと思っていたの。身体は男だけど、ワタシは女なんだもの」  そう言って髪をさわる姿は、本当に女性らしかった。 「ワタシはこの身体から出ることを熱望しているの。本当のワタシになって、普通に暮らしたい」  身体から抜け出す――それは、最近のボクが好んでする妄想だった。優斗とユウ、2人の人間になれたなら、全てが解決するのに……。 「けど、無理なのよね。どんなにワタシはワタシだって思っても、大輔のことを無視できないのよ。ユウちゃんもそうでしょう?」 「ボクは……」  ボクも確かに優斗を無視できない。仕事でもプライベートでも、優斗の行動の影響を嫌というほど受けるからだ。 「身体を共有しているんだもの、好き勝手に行動したらどうなるか知っているでしょう?」  指先でグラスの水滴をなぞりながら、昔を思い出した。 「まぁ、怒られたり……大変だよね」  昔、ボクはよく和馬に怒られた。それがストレスだった。でも、優斗もボクの行動のせいで、クラスメイトや先生から忘れっぽいダメなヤツだと思われることがあった。  今は日記でかなり細かく報告し合っているから、昔ほど他人から嫌われることはなくなったけど、思い出すだけで気持ちが沈んだ。 「なら、優斗ちゃんの不利益はユウちゃんの不利益でもある……分かるわよね?」 「何が言いたいの?」  ボクはミカを睨んだ。 「説教なら聞きたくないから」 「少し、昔話をしたいだけよ。私も主人格じゃないから分かるの。ユウちゃんの気持ちが分かるのよ」  ミカは少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。 「素敵な人だったわ。でも……私はあの日以来、自分の恋は諦めたの」  そして、ミカは過去の恋愛を語った。なぜそんな話をボクにするのか分からなかったけど、ボクは静かに聴いた。 ***  ボクはハーブウォーターを口にしながら、頭の中でミカの昔話をまとめた。  ミカは女性だから当然恋愛対象が男性だった。当時大輔には彼女がいたけど、大輔の解離した人格……つまりミカの存在を信じてはくれず、ミカとミカの彼氏を激しく罵倒した。そして、周囲を巻き込み大輔を追い詰めた。その時のショックで増えた人格が、女嫌いの柊さんだった。  お互い自由に恋愛した結果、取り返しがつかないほど傷ついてしまった大輔は、表に出せない状態となり、そんな大輔を守るかのように仁さんも生まれた。 「1人の人間が2人の人間として生きるのは無理があるのよ。仲良く半分こじゃないの。気力も体力も2倍必要なの」  話し終えたミカは、当時を思い出したのか、少し疲れた顔をしていた。 「ましてや人格が倍に増えてしまった今は……こう見えてまだまだ衝突も苦労もあるのよ」  ボクは何て言ったらいいのか分からなくて、黙っていた。  でも……気力も体力も、2倍必要というのは分かる気がした。ボクはボクで真剣に悩むし、優斗は優斗で悩んでる。ボクのこの苦しみが、半分こした量だとは思えない。2倍の方がしっくりきた。 「っと、だいぶ回りくどくなっちゃったわね。つまり何が言いたいかというとね、カウンセリングに行きなさいってことよ。優斗ちゃんがうちの大輔みたいになったら、後悔してもしきれないわよ」 「……余計なお世話だよ」  ボクはカウンセリングに乗り気じゃない。でもそれは、今のままがいいと思っているわけじゃなかった。  消えたくなくて踏ん張っている、みたいな単なるワガママだとでも思われているのか、みんなボクをカウンセリングに行かせたがるけど、そんな理由でもない。  怖いんだ。……上手く説明出来ないんだけど、それはボクにとって、凄く怖いことなんだ。でも―― 「アナタの行いが原因で、人格が増えても知らないわよ。そうなったら、大事な恋人も今以上に苦しむことになるわ」  ミカの話を聴いて、別の恐怖が芽生えた。  ボクは蒼生を傷つけたくない。一緒にいたいだけなのに……でも、一緒に暮らしているから余計に感じる、蒼生の変化。今の生活を続けることは、蒼生をどんどん追い詰めてしまうだけだと分かっていた。  蒼生のためにも、ボクは変わらなくちゃいけないのかもしれないと思った。 「さっき……自分の恋は諦めたって言ってたけど、なんで?」  恐るおそる尋ねた。 「守りたいものが出来たからよ」 「守りたいもの?」 「ワタシたちはワタシたちの生活を守りたいと思っているの。人生を楽しみたい、それが共通認識よ」 「人生を楽しみたいのに、恋愛は諦めるの?」  意味が分からなかった。蒼生がいない人生なんて、ボクには楽しめる気がしない。 「恋愛が全てじゃないわ。それに、1つの身体でいくつもの恋愛をするのは、他人から見たら浮気だし、それはとても不利益なことだと学んだのよ」  確かに不利益かもしれない。でも、だから我慢できるというなら、ミカの恋愛なんてその程度なんだと思った。 「じゃあ、全員恋愛禁止なの?」 「早い者勝ちで、恋人は1人だけOKよ。でも、いつか大輔が目覚める日が来たら必ず別れるというルールなの。同じ過ちを繰り返さないためにね。だからワタシはもう……自分勝手なお別れをするかもしれないのに、付き合うだなんてワタシには無理なのよ」  ミカは立ち上がり、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出した。軽く持ち上げて、首をかしげるミカに、手のひらでいらないと伝える。 「ねぇ、怖いんでしょう?」 「……何が?」 「ユウちゃんの気持ち、分かるって言ったでしょう? ワタシも通ってきた道だもの……分かるのよ」  ミカは緑色の毒々しい飲み物を、躊躇うことなく飲み干す。 「でも、これだけは言えるわ。カウンセリングを受けたってユウちゃんは消えないし、今より苦しくなることはないわ」 「なんで消えないって言えるの?」 「だって、ワタシは消えてないじゃない?」  そしてミカは笑った。  蒼生のためにも、試しに行ってみようかなと思った。行けば何かが変わるかもしれない。常に不安がちらつく生活に、ボクも疲れてきていた。

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