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【44/蒼生】発案
目の前には、カラフルな石が大量に配置された人工の壁があった。スタッフさんの話では、高さは4メートルもあるらしい。そこで難易度を上げたコースに挑戦する和馬くんを、マットの外から見上げていた。
「やっぱ格好良いですよねぇ?」
隣には優斗の元担任の神永先生が、目をキラキラさせながら立っていて――俺はなぜこんな事になっているのか、未だに理解しきれずにいたよ。
「あの……神永先生」
「ん? あぁ、先生はいりませんよ」
「なら、神永さん。俺はどうして呼ばれたんですか?」
急に電話がきたと思えば、動きやすい服を持ってきてほしいと頼まれた。神永先生も一緒だと言うから、何か深刻な話でもあるのかなって、少し気になって出てきたんだ。なのに何故か、こうして3人で壁を登ることになっていた。
「さぁ? 誘ったのは和馬くんですから、私には分かりません。でも――」
神永さんは、ベンチに座ってペットボトルの水を手にした。俺も隣に座る。
「蒼生くんとお近づきになりたかったので、ちょうど良かったです」
と、言いつつ和馬くんから目を逸らさない。よっぽど好きなんだなと思ったよ。
「私、実は和馬くんが好きなんです」
「なのかなって、思ってましたよ」
「やだなぁ、バレてましたか」
初めて会った時も思ったけれど、高校教師には見えない。見た目も言動も、本当に若々しい人だと感じた。
「私はね、1度失敗してるんです。多分それもあって、すごく警戒されているんですよ」
そう言って和馬くんを見つめる瞳は、少しだけ切なく揺らめいた。
「10代の性欲を利用して、身体から始まる恋を計画したんですけど……うまくいかないどころか嫌われちゃいました」
「!?」
さらっと、とんでもないことを言うから驚いたよ。この前の優斗と和馬くんの反応は、仕方ないのかもしれないね。
でも、口では軽く言っているけれど、後悔していることが伝わってきたんだ。誰とでも仲良くなれそうな人なのに……神永さんは、恋愛が下手なのかもしれないと思ったよ。
「何年もかかる覚悟です。私は和馬くんを振り向かせたい。これって、蒼生くんにとっても良い話じゃありませんか?」
「そう、ですね」
「私の恋が実るよう、出来る範囲で構いませんから、協力していただけませんか?」
確かに、和馬くんが神永さんと付き合えば、俺はユウと優斗を独り占めできる。悪い話ではなかった。
「協力って、例えばどんなことを?」
「んーー、家に帰ったら、私のことをいっぱい褒めて洗脳していただく……とかですかね?」
俺は思わず吹き出した。
「いいですよ、褒めておきます」
「ありがとうございます!」
神永さんは嬉しそうに笑った。
「2人とも、もう登らないのか?」
マットに着地した和馬くんが、汗だくで手を挙げる。
「少し休憩していただけですよ」
神永さんは、タオルを持って駆け寄っていった。
***
終電で帰ると、優斗はリビングの明かりをつけたままソファで眠っていた。
「優斗、こんなところで寝たら風邪ひくぞ」
和馬くんが優斗の肩を優しく揺する。
「昨夜もここで寝ちゃったみたいだし、さすがに2日連続は身体に悪いよね」
「……昨夜?」
何気なく言った言葉に、和馬くんが反応した。
「優斗は昨夜、ここで寝ていたのか?」
「朝、ここで寝ていたから注意したけど……それがどうかしたかい?」
「いや、そうか……」
和馬くんは少しだけ驚いた表情をしたけれど、すぐに元に戻った。そして、ゆっくりと優斗を抱き上げた。
「優斗の部屋に運ぶから、ドアを頼む」
「OK」
俺は先回りをして、ドアを開ける。
でも、和馬くんはそっとベッドにおろしたけれど、優斗は目を覚ましてしまった。
「んっ……」
「すまん、起こしたか」
「かず……ま……ごめっ……なさ……」
優斗は和馬くんの顔を見た途端に泣きだしてしまった。俺なんて目に入っていない――優斗の中は和馬くんでいっぱいなのだと思い知らされた。
「昨日のことなら大丈夫だ、気にするな」
「でもっ……だって僕またっ……」
「今日は早く帰るべきだったな、ごめん」
「かずまっ……ごめ……」
「だから、謝らなくていい」
見ていられなかった。俺はそっと部屋を出て、扉を閉めた。
***
次の日――
窓の外を眺める。ハナミズキの紅色が空の色と混ざり合う頃、静かに部屋の扉が開いた。
「ユウ」
表情が暗い。昨日の和馬くんと優斗の問題が影響しているのかもしれないと思った。でも、それに引きづられて俺たちまで暗くなるのは良くないからね、なるべく明るく声をかけたんだ。
「おいで」
両手を広げると、ユウは飛び込んできた。でも、俺の胸に顔を埋めて、なかなか顔を上げなかった。
「ユウ?」
髪を撫でながら、ユウの返事を待ったよ。ユウは少しだけ躊躇いを見せたけれど、やがて口を開いた。
「バイトのことなんだけど……ボクには向いてないみたい」
そう言って顔を上げると、遠慮がちに笑った。いつものユウだった。
「だいたい優斗がやってるけどさ、ふとした時に交代しちゃって僕がやる時もあってね、つまらなすぎて嫌なんだ」
ユウは身体の向きを変えて、膝の上に座った。
「最近落ち込んでいたのは、それで悩んでいたから?」
「うん、心配かけちゃったよね、ごめん……」
後ろからユウを抱きしめる腕に、力を込める。せっかくこうして話してくれたんだ、何か気の利いたアドバイスがしたいと思った。
「ユウは、やりたい仕事でもあるのかい?」
「んー、例えば本屋さんとか……本が好きだから、それに関係したバイトが出来たら嬉しいなとは思ったりするかな」
確かに本好きとしては、本に囲まれているだけで幸せなものだ。優斗にも出来そうな仕事だし、なかなか良い気がする。でも、優斗は今のバイトを気に入っている上に、まだ2ヵ月しか働いていない。気軽に転職を勧めるのも違う気がした。
「バイトの転職は追々考えるとして、小説でも書いてみたらどうかな?」
だから気休めかもしれないけれど、趣味を発展させる方向で提案をしてみた。
「小説?ボクが?」
「そう、ユウが。だって、いつも聴かせてくれるじゃないか。カタチにしてくれたら好きな時間に読み返せるし、嬉しいなと思ったんだけど……どうかな?」
「ちょっとやってみたいかも」
「バイト中に考える事が出来たら、少しは気も紛れるだろうし、いいと思わないかい?」
「うん、確かに! 蒼生に相談して良かった、ありがとう」
ユウは膝から降りて、部屋の電気を点けた。
「なんかドキドキしてきた」
「読者第一号は俺にしてくれるかな?」
「もちろん!楽しみにしててよね!」
元気に笑うユウを見て、俺は嬉しくなった。
ユウは人一倍の空想力を持っている。俺だけに語るのは勿体ないと、いつも思っていたんだ。
だけど、この何気ない提案が、優斗を苦しめることになるなんて……この時の俺は知る由もなかった。
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