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【45/ユウ】小説

「おいで」  ボクは、蒼生の胸に飛び込んだ。蒼生の腕に抱かれながら、和馬くんとの夜を思い出していた。  和馬くんはあの時、優斗がボクと交代してしまったあの瞬間、すっぱり手を引いた。もし仮に、ボクがどうぞと言っても、きっと和馬くんなら断ると思う。でも蒼生は? きっと優斗が首を縦に振れば……仕方のないことだと分かっているし、それはただの想像なんだけど、胸が苦しかった。  蒼生にしがみつく。胸に顔を埋めて、蒼生の香りを深く吸い込んだ。 「ユウ?」  蒼生がボクの髪を優しく撫でる。 「バイトのことなんだけど……ボクには向いてないみたい」  結局、バイトの愚痴でその場を誤魔化してしまった。  リビングで寝ていたのはボクだと、そう話しに来たはずなのに、言えなかった。  でも、予期せぬ出来事があった。蒼生は、一粒の希望のタネを、ボクの心にまいた。 ***  優斗を母親から守る必要がなくなった今、ボクの存在意義って何だろう?  蒼生が必要としてくれている、ただそれだけが、ボクの心を支えていた。なのに、最近の蒼生は揺らいでる。ボクは毎日たまらなく不安で、負の感情に押しつぶされそうだった。  どうせ消えるなら……いつか消えるなら、その前に、ボクが生きた証を残したいと思った。  だから小説を書いた。  最初は蒼生に見せるだけだったんだけど、蒼生が出先でも読みたいと言ってくれたことをきっかけに、投稿サイトを利用するようになった――。 「ねぇ、見て!」  白い息を吐きながら、ボクは蒼生にスマホの画面を差し出した。 「知ってるよ」  蒼生は微笑みながら、湯気の立つコーヒーをそっと一口飲んだ。 「コメントが増えていたね」 「うん!すっごく褒めてくれてるんだ、ますますやる気になっちゃうよ!」  街はクリスマス一色だった。キラキラと眩しい電飾が、まるでボクを祝福してくれているように感じられた。 「で? ユウ先生の次の作品は? もう何か考えているのかな?」  満席の店内とは対照的に、テラス席は貸切状態だった。かじかむ手をさすっていると、蒼生はコーヒーをテーブルに置き、ボクの手を優しく包んだ。 「恋愛モノってリクエストをもらったんだけど……でも、異世界スポ根モノが書いてみたいんだよね」 「書きたいものを書くのが1番さ。でも、力試しで恋愛モノに挑戦してみるのも良いかもね」  そして、蒼生はボクの手をさすった。気持ちまで一緒に伝わってくるような、そんな優しい温もりに包まれた。 「ボクは恋愛経験が豊富なわけじゃないし、他人を満足させるような話を書ける気がしないってゆーか……」  経験がなくたって書けるのは分かってる。でも経験があった方が、説得力がある気がする。だからボクは躊躇っていた。 「俺と付き合ってもう何年だい? 充分書けると思うけどね」 「そうかな?」 「足りないなら、今から教えようか?」  蒼生はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。  こういう顔をされると、ボクは未だにドキドキしてしまう。 「ほら、早く家に帰ろう。ここは寒すぎるし、ベッドに用事も出来たしね」 「ちょっ、蒼生のえっち!」 「ん? 何を想像したのかな? それを白状させるのも面白そうだね」 「もー!!」  蒼生は笑いながら立ち上がった。  冷たく澄んだ空気の中で、蒼生の髪がキラキラと輝く。綺麗だなと思った。 ***  小説は、蒼生との繋がりも深くしてくれた。一緒に物語を考えたりして、毎日が楽しくて仕方なかった。  ネットの世界に友達もできた。ボクをボクとして接してくれる友達だ。優斗と切り離されたその世界はとても居心地が良くて、生きる喜びに満ちていた。  ほぼ、全てがうまくいっていた――。 「おい」  熱を帯びた瞳を細めて、和馬くんはボクの肩を掴んだ。 「心配しないで、自分の部屋で寝るから」  甘い痺れの残る身体は、寝間着が肌を擦るだけで反応してしまう。だから早く1人になりたかった。  ボクは和馬くんの目を真っ直ぐ見つめて、言い放った。 「蒼生のところへは行かない、約束するから手を放して」  こんな夜を、もう何度繰り返してる?  和馬くんとの夜だけは、ボクを憂鬱にした。見ないように、考えないようにしている問題が、嫌でも頭の中で騒ぐからだ。 「そうじゃない、一つ確認させてくれ」 「……なに?」 「おまえ、優斗をどうするつもりなんだ?」  真剣な眼差しに、いつもと違う空気を感じとる。ボクは目を逸らした。 「どうするって、ボクはボク、優斗は優斗でしょ? 昔も今も変わらないよ」 「変わらない? 今のお前は、乗っ取ろうとしているように見えるんだよ」 「そ、そんなことないもん」 「なら、その言葉、忘れるなよ」  和馬くんの手が、ボクの身体から離れた。 「オレの気持ちはどうだっていい。でも、優斗の気持ちは無視するな」  そう言って、和馬くんは部屋から出ていった。  開けっ放しのドアをぼーっと眺めていると、やがてシャワーの音が小さく響いた。

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