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【47/和馬】苦悩
「おい!」
突然、肩を掴まれた。
「優斗の彼氏か?」
赤い長髪、優斗の名前、どこかで見た顔、すぐに1つの名前が浮かんだ。
「もしかして、大輔さん?」
「あぁそうだ」
険しい顔つき……ピリピリした空気の意味が分からなかった。
「これはデートか?」
「いや、そういうのじゃない」
「この店に来たのは偶然なのか?」
「こいつに誘われた」
神永先生を親指で差す。
「初めまして、神永です」
神永先生が挨拶をしたが、大輔さんは軽く視線を投げただけで、すぐに責めるような目でオレを見た。
「なら、優斗が来ていることは知らなかったんだな?」
「優斗が?」
優斗が興味を持つ要素なんて1ミリもない店だ。半信半疑で見渡した。
店内はサッカー観戦で盛り上がり、人も多いし移動しながら飲むヤツもいる。おまけに暗い。でも、その姿をすぐに捉えることができた。泣いている――そう気づいた瞬間、オレの身体は優斗に向かって動いていた。
「待ってください!」
が、すぐに腕を掴まれしまい、反射的に神永先生を睨んだ。
「仕組んだのか?」
「いえ、まさか。でも、流行りのお店ですから、こんな事もありますよ」
そう言って肩を竦める。
最近、少しずつ信頼が生まれてきていた。だから疑いたくなかった。だが、どうしても疑わずにはいられない。
「誰かが誘わなければ、優斗は来ない」
「隣の蒼生くんが誘ったのでは?」
「蒼生?」
よく見れば、優斗の隣には狼狽える蒼生がいた。
「なんで蒼生が――」
「とにかく行けよ、こいつは俺に任せろ」
「痛っ!」
大輔さんが、神永先生の腕を引き剥がした。
「すまん」
何が起きたのかは分からないが、オレは優斗の元へ急いだ。
***
店の前で、タクシーを拾った。
優斗とユウはタクシーの中で何度も人格交代を繰り返し、やがてユウに落ち着いた。こんなことは初めてだった。
ユウと蒼生が部屋へ入るのを見届けると、オレはペットボトルの水を飲みながら、キッチンに並ぶ4つのグラスを眺めた。色違いのそのグラスは、オレ達が成人した時に買ったものだ。このテーブルで、そのグラスを使って、みんなで初めての酒を飲んだ。
全員、腹に一物抱えていた。だがそれでも、まぁまぁ楽しくやってきた。
ユウの小説の、人気が出るまでは――
「眠ったか?」
「あぁ、やっと眠ったよ」
やがて優斗の部屋から、蒼生だけが静かに出てきた。
オレは蒼生に2千円を差し出した。
「気にしなくていいよ」
だが蒼生は受け取ろうとしない。だからオレはテーブルの上に置いた。
「受け取れ。タクシー代をおまえが1人で払う理由はないだろ?」
「……わかった」
蒼生が受け取るのを横目に、椅子に座った。
「おまえも座れよ」
「あぁ」
向かいの席に、蒼生も座る。
重たい空気の中、オレは単刀直入に尋ねた。
「なんで優斗とあの店にいた?」
蒼生は眉根を寄せ、手を額に押しあて、しばらく考えこむように押し黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「正直に言うよ。神永さんに頼まれたんだ」
「やっぱりあいつか」
「こんなことになるなんて……ごめん」
蒼生が何を考えて神永先生に協力したのかは分からない。知りたくもなかった。
「優斗とユウは反比例している、知っていただろ?」
「あぁ……そうだね」
「なら、最近の優斗がどういう状態だったか分かるよな?」
「ユウは元気すぎるほど元気だった。その逆なら……ごめん……」
小説を書き、SNSを始めて、好き放題な活動をするユウに、優斗は翻弄されていた。
不安定な時間が増えれば人格交代も増える。ユウの交友関係の広がりが影響し、道で知らない人からユウと呼ばれるような小さなストレスが生まれた。そして、それはやがて自分自身を削り取られていくような大きなストレスに変わっていった。
ユウの精力的な活動に憧れを抱く反面、自信を失い苦しんでいる……それが最近の優斗の姿だった。
「あいつの心は限界だった」
張り詰めた糸が切れるのは、時間の問題だった。オレはなんとか緩めてやりたくて、ユウと話したりもした。
たが今日、切れてしまった。
以前の優斗なら、オレが神永先生と一緒にいても何とも思わなかったはずだ。でも今の優斗は違う。マイナス思考の沼にはまり、身動きがとれなくなっていた。
「神永さんに同情していたし、俺自身にも黒い感情が無かったとはいえない。だから俺の弱さが優斗を傷つけたんだ」
蒼生が苦しそうに眉根を寄せる。
「こんなことになって、本当にごめん……」
「オレじゃなくて優斗に謝ってくれ」
「そうだね、ごめん……」
オレは蒼生に腹を立てていた。だが、蒼生だけが悪いわけじゃないことも、頭では分かっていた。
蒼生が神永先生に協力しなければ、神永先生に下心がなければ、オレが神永先生と縁を切っていれば、優斗がユウのことを1ミリでも自分だと思えることが出来たら……。
考えだしたらキリがない。過去をあれこれ悩むのは時間の無駄だ。だからオレはこれからのことを考えた。
……実は、もう何年も考え続けていた解決策がある。これだけは避けたかった策だ。今更遅いかもしれない。だが、それでも、こいつなら――
「おまえは優斗を、ユウ以上に大切にできるか?」
「え?」
「オレに対する罪悪感も、優斗を苦しめる要因の一つだ。このタイミングで別れるのは無責任だが……このタイミングだからこそ、優斗もおまえを受け入れると思う」
口にした言葉が胸に刺さり、激しく痛んだ。支えてやりたい、愛しい、必要とされたい。だが、感情を全て飲み込んで、蒼生の目を見た。
「和馬く……」
蒼生の目から、涙が溢れだす。
「優斗を頼む。ユウの才能を開花させたように、優斗にも何かを与えてやってくれ」
オレはそう言い残し、部屋へ戻った。
この問題は、オレか蒼生、どちらかが引かなければ解決できない問題だった。優斗がそれを望まないとしても、病気のことを考えればこれが正しい選択なんだと思う。
優斗は落ちるところまで落ちるに違いない。だが、蒼生なら救える。あいつが笑って過ごせれば、それでいい。
もうこれ以上、苦しめたくなかった。
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