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第3話

あの日から、尻と腰が痛くてたまらない。 「はぁ~~。なにやってんだ俺」 三十七歳童貞の冴えないおっさんである俺は、何故か部下である染井君と身体を重ねてしまった。 好きでもない相手と……いや、それ以前に男で、しかも俺より十四も年下の子と……。 こんなことが誰かにバレたら、社会的にも人としても終わる。 いや、まてまて。 どっちかっていうと俺、襲われた方だぞ? 非があるのはどう考えても染井君の方じゃないか。 「そうだ。俺はちゃんと抵抗……したか?したよな?」 「おはようございます」 「お!!??おはよう……」 いつもどおりギリギリ出勤してきた染井君。俺を見ても顔色一つ変えない。 いやいやいや、普通動揺するよね? 俺達セックスしましたよね? え、なに?これって俺がおかしいの? 「染井。ちょっとこい」 「え、あぁはい」 席に着こうとしていた染井君を呼び止めたのは、部長の声。 声色的に、どうやらお怒りのようだ。 「なに?アイツなんかやらかしたん?」 「え。さ、さぁ……」 実際心当たりなんていくらでもあるのだが、それをペラペラと口にするのもなんだか悪口を言ってるみたいであまり良い気がしなかったので、とりあえず適当にはぐらかす。 でも、染井君が部長から何を言われているのか。気にならないと言えば嘘になる。 しかし二人はそのまま別室に移動してしまい。会話どころか姿も見えない為、一体どうなっているのか全く分からない。 「部長説教長いからな。酷い事言われてなければいいけど」 案の定。三十分以上経っても二人は出て来ないまま、気づけば十五分間の休憩時間が来たので、俺は一人喫煙所へと向かう。 「なんか……前以上に染井君の事を気にしてる気がする」 最初は、めんどくさい変な部下。としか思っていなかったのに。 雨に濡れながら泣いているのを隠している様に見えてしまった彼が、寂しい目をして俺を見下ろしていた彼が、俺をどんどん引きずり込んでいく。 「うおっ!」 喫煙所の扉を開けようとした瞬間。後ろから急にスーツの裾を掴まれ。俺は歩みを止められてしまった。 振り返ると、そこに居たのはうつむいたまま顔を隠して立っていた染井君だった。 「あ、話……終わった?」 内容を聞くのは流石にやぶさかではないと思いながらも、しかしなんて言葉をかけようかと悩んでた時。染井君は唐突に俺の腕を掴んで、そのままズンズンと歩き出した。 「え、ちょっ!い、痛い!」 強く掴まれたうえに、凄い力で引っ張られているせいで、マジで腕が痛い。 けど、俺の痛いと訴える言葉なんて勿論聞く耳を持たず。染井君は、今は使われていない小さな資料室のドアを開け、俺を押し込んだ。 新人なのによくここを知っていたものだな。ちょっと感心してしまう。 「いててっ……え、急になに?こんな場所まで連れて来て」 「なにって、決まってるじゃないですか平田さん」 ガチャリと鍵を閉めた音が部屋に響き、俺は冷や汗を流した。 「僕と『普通じゃない事』するんですよ」 その瞬間。 あの時と同じ。強引で、食われてしまうんじゃないかと思うようなキスをされる。 けど、その味はどこかしょっぱい。 もしかして、泣いていたのか? 「んんっ!」 このまま流されてしまう前に、俺は染井君の肩を掴んで思いっきり引き剥がした。 お互いの口から漏れる吐息。 唇から伝ってプツリと切れた唾液は、彼とたったさっきまでキスをしていたんだと実感してしまって、少し恥ずかしい。 あの時はほとんど思考が飛んでいたから、こんな感じにならなかったけど。今は違う。 ということは俺、染井君とのキスが嫌じゃない……ということなのか? 「なんですか平田さん。まさかそんな興奮した状態で、また「嫌だ」「普通じゃない」なんて言わないでくださいよ?」 「いや、それよりも……その、本当はこういうのって聞かない方が正しいんだろうけど……。部長になんて言われた?」 好奇心。というよりも、心配の方が強かった。 あの染井君が泣いてしまうほどの事を言われたのかと思うと、少し腹も立ってくる。 「……自分で正しくない事だと分かってらっしゃるのに、どうして聞いてくるんですか?」 「そ、れは……」 徐々に顔が熱くなっていっているのが分かる。 なんだこの気持ち。 なんで俺は、こんな気持ちになっているんだ。 「はぁ~~。可愛すぎかよ」 「え!?」 「あぁすみません。言ってなかったですね。僕、男の人が好きなんですよ」 「え!?そうだったの!?」とは流石にならなかった。 実際俺、抱かれたわけだし。 「そんな僕を『おかしい』『普通じゃない』って大体の人達は言うんです」 「そう、だったのか……」 「ねぇ平田さん。普通って、常識って、正しいって、なんなんですかね。僕には全く分かりません。職場の人達の怒りも、部長の言葉も……僕には分かりません。理解すらしたくありません。僕は僕でありたい。縛られずに、自由に生きたい。それって悪い事なんですかね?」 俺にも昔、似たような経験があった。 高校生の頃。同じクラスの子がイジメられているのを、俺は見て見ぬ振りが出来ず。先生に知らせたことがあった。 けれど結局イジメられていた子は転校してしまい。先生に事実を話した俺は、イジメの標的にされてしまった。 どうしてチクった。 偽善者が。 空気読め。 そんな言葉を何度も何度も浴びせられながら、俺は悪者扱いされた。 そういえば、あれから俺は他の人の行動をよく見るようになったかもしれない。 皆がやっていることをやって、皆が言う事を言って、正しく普通の人でいようとーー。 「ははっ。いや違うな……」 「?平田さん?」 だって皆がやっていることが、俺にとっては正しくない。普通じゃないと思う事がある。 けれど、それでも俺は皆に合わせていた。 皆がやっていることを、さも当たり前かのようにやってきた。 「俺は、空気を読んでいただけなんだ」 皆に白い目で見られるのが怖くて、ひそひそと陰口を言われるのが怖くて、怒られるのが怖くて。 「俺だって知りたいよ。何が正しくて、何をすれば普通で、どんなことが正しいのか」 昔のトラウマが蘇ったせいで手が震え出す。 これ以上口を開いたら、泣いてしまいそうだ。 「平田さん」 震える俺の手を今度は優しく握ってきた染井君は、あの時と同じギラギラした目で俺を見つめていた。 「今から会社、早退しましょう」 「……はい?」

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