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3話

「嘉哉さん、おやすみなさいませ」  大学卒業から3年勤めていた総合商社を退社し、嘉哉が興した企業に転職して早半年。秘書課に配属され社長秘書見習いとして、社長の役に立てるよう一生懸命勉強しているところだ。 「潤、教えたいことがあるから、今日は泊っていけばいい」  秘書が運転をするはずが、プライベートでは嘉哉が運転をし、会社内外の様々な議題について討論しながら、彼の自宅に行く。転職して1ヵ月も経たないうちから続いている習慣だ。 「ですが…、」  光がいるから長居はしたくないと、歯切れの悪い反論をする。パートナーと思しき人を差し置き、新入社員の世話をしているのはどうかと思う。 「そんなに俺から学ぶのが嫌か?」 「滅相もないです。むしろ、お金を支払ってでも教えを乞いたいくらいです。ですが、プライベートな空間で仕事を持ち込むのはどうかと思いまして」  上手く嘘と現実を丸め込めた言葉がスラスラと頭の中に浮かんできた。嘉哉は一瞬目を丸くした後、目をくしゃりと細め、満足げに声を上げて笑った。 「光のことは気にしなくてもいい。俺が教えたいだけだ」  絶対的な自信に満ち溢れた彼が発する命令。逆らえる人物がどこにいるのだろうか。 「終わり次第、帰ります」  最初は、勉強が終わると早々に帰宅していたが、今ではなんやかんやと理由をつけて帰宅時間を引き延ばそうとする。 「つれないね。長居してもいいのにな」  解錠し、「ただいま」と言った嘉哉の後に続き「おじゃまします」と言って、中に入っていった。潤の口だけの抵抗にしか過ぎない。 「お帰りなさい」  ぱっと花開いた笑みは、誰に見せているものなのか。 「光と一緒に料理を作りたいから、さっさと帰ってきたんだ。潤、俺の書斎で読書していなさい」 「ありがとうございます」  光と嘉哉が作った食事を食べ、個人授業をしてもらう。こんな特別待遇してもらっていいのだろうか。授業が終わっても、二階のノートと書籍を見ながら、復習をしていると、一階から物音が聞こえる。きっと光たちの睦み合いだろう。  意識したくないと思うと、ますます意識がそれに向いてしまう。ほんの少しだけの好奇心と自分は何者だろうという思い。もしかして、見てみたら、女性と付き合っているときの「違和感」がわかるのだろうか。  そっと階段を降り、足音を立てず1階を歩く。主寝室だと思われる部屋のドアがわずかに開いている。潤を陥れる罠だと、直感した。部屋の音に耳をそばだてて、じっと気配を殺した。 「潤も混ざらないか?」  ぎくりとしながら、返事をせずに立っていると、浴衣の羽織っているだけの嘉哉がドアを開け、見下ろしてきた。潤から見ても、ほれぼれする肉体とプロポーションだ。 「すみません。盗み聞きしていたわけではなく、飲み物を取りに来ただけで、」  言い訳がましい言い訳だ。嘉哉は何も言わず、にっこりと不敵な、思惑が読めない笑みを浮かべ、潤の手首をつかんだ。 「来なさい。もっと近くで見てみなさい」  嫌だ、と言えず、抗いがたい好奇心と妙な気分の昂りとざわめきに、はいと答え中に入った。

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