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六月、梅雨がやってきた。 俺たちにそれを知らせるのは、代わり映えしない空模様ではなくアナログな暦だ。 「なあアズ、これ見ろよ」 レジに立ち、届いたばかりの新聞を広げて、マキは俺に手招きをした。 以前は十種類以上刊行されていた新聞も、今ではこの一紙だけだ。一面にでかでかと踊る文字を俺は読み上げる。 「乾期が来ない?」 隣に立って顔を寄せ、一緒に紙面を覗き込んだ。 内容は気象庁の発表によるものだった。例年、七月の末から八月にかけて訪れる短い乾期(サンフェスタ)。それが今年は来ない可能性があるのだという。 その根拠やメカニズムの解説をマキは隅々まで読んでいたが、俺は理解できず早々に諦めた。 「つまり、この雨、止まないってことか?」 ガラス張りの自動ドアの向こうを眺めながら呟く。今日も今日とて空は重たい鉛色、静かに降りしきる水滴は万物をじっとりと撫で続けていた。 「異常気象ってやつだな。乾期っていうのは気圧帯の動きによって起こるんだけど、今年はそれが例年と違った分布になってるんだと」 「乾期が来なかったらどうなるんだ?」 眉間に皺を寄せてしばらく新聞と睨めっこしていたマキだが、やがてその顔をへらりと緩ませ、新聞を放り出して肩を竦めた。 「別にどうにもならないんじゃねえの。この店も、町も、このままだ。普段とそんなに変わんねえよ」 それはマキの希望的観測だったのかもしれない。数週間後、地域一帯に避難勧告が出された。 西側の隣市は、ここより内陸で標高が高い。元々の住民が余所へ移住したことで空いた貸家が多く、希望者が入居できるよう斡旋してくれるという。 つまりそれは避難という名の近距離移住を奨励するものだった。 勧告を受け、店の常連の何人かはそこへの移住を決めたそうだ。最後にこの店で買い物を、と言って、傘や保存食品を買ってくれた。家が浸水してしまったと話す人も少なくなかった。 俺とマキはお互いにあまり今後のことを話そうとしなかったが、ある日マキが重い口を開いた。 「アズ。お前、避難しろ」 それは誘いや提案ではなく命令の形をとっていたので、俺は首を縦にも横にも振らずに、一旦、言葉の続きを待った。マキはバックヤードのデスクに腰掛けて、両手の指を組んで時折もぞもぞと動かしていた。 「俺は、この店を捨てることはできない」 知ってるよ、命より大事なんだもんな。口には出さずに俺はただ頷く。 「でもアズは違うだろ。この店に執着があるわけじゃないだろ。俺のことは気にするな。避難したけりゃしてくれていいんだ」 マキが酷く淡々と言う。 俺の好きな幼馴染は、誰かのためを思って何かを伝えるとき、自分を殺したように無表情になるのだ。それを知ってはいても、俺は心哀(うらがな)しい気分になった。 「俺は」 ゆっくりと言葉を発していく。マキは淡い色の瞳でじっと俺を見つめていた。その目を見ていたら、なぜだろう、正直に言わないといけないような気がした。 「店にはないが。お前には、執着が、ある」 言葉を探しながら言うので、一言ずつ区切ったようになった。 執着、幼馴染から向けられるには重い感情だろうが、本心だ。俺は続ける。 「いられちゃ迷惑だって言うんなら、考えるけど……できるなら、ここにいたい。お前と一緒にいたい」 マキの瞳から一瞬も視線を逸らさずに告げた。こんな言葉を投げかけられて、マキはどう思うだろう。気持ち悪いと拒まれるのなら、そのときはマキの言うとおり、一人で移住しなければならないと思った。寂しいけれど。 マキは、なんだかよくわからない形に表情を歪ませた。怒ったようにも泣きそうにも苦笑いにも見えた。 片手でくしゃりと頭を掻いて、二重の目をぱちぱちとしばたかせる。 「アズ、俺のこと好きなのか?」 「……悪い。実はそうなんだ」 「謝るなよ。……俺もアズが好きだ」 「は?」 「なんだ、やっぱり両思いだったんだな、俺たち」 眉を下げるようにしてマキが笑う。今度は俺が目をしばたかせる番だった。

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