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決して大雨ではないが、しとしとと降り続けるその雨は、本当に八月になっても止まなかった。 店の周りの排水システムが容量を超えてしまったらしい。いよいよ店内に水が入ってきた。 俺たちは長靴を履いて、棚の下段に置かれている商品の救出作業を始めた。とはいえ入荷が止まった商品が多く、店内の在庫もだいぶ少なくなっていたので、上から三段目までで商品はほとんど陳列できた。 マキが笑う。「この高さまでは浸水しても大丈夫だな」 俺は答える。「そんな状況で来る客なんかいないだろ」 長靴とはいえ長時間水に浸かっていると爪先が冷えてくるので、俺たちは作業時と来客時以外はレジのカウンターに腰掛けて過ごすようになった。 浸水した翌日、本部から配信されていた店内放送がうまく流れなくなり、マキはスピーカーのスイッチを切った。 雨音だけではさすがに気分が滅入る、と俺がぼやくと、なにやら居住スペースの押入を漁り、猫くらいの大きさの古びた機械を持ち出してきた。 「何それ」 「何だっけな、ラ……ラカ……ラカジセ、だったかな? じいちゃんが昔、これで音楽流してたんだ」 電源がコンセント式だ。久々に見た。動力変換プラグを使って壁のEユニットにコンセントを繋ぐ。 たくさんついているボタンを適当に押してみるが、音楽が流れる気配はない。 「壊れてるんじゃないか?」 「うーん……お、何かここ、開いたぞ」 ラカジセとやらの上部が一カ所、蓋みたいに開いた。中を覗くと昔ながらのディスクリーダーに似た構造だ。 「そういえば、じいちゃん、ここに何かディスク入れてたような気がする」 「こんなにデカいのに読み取り専用なんだな。しかもこれ、C式じゃないか? ディスクなんかあるのか?」 探してくる、待ってろ、とどこか意気揚々としてマキが奥に消えるのを、俺は揚げ物の陳列ケースに頬杖をついて見送った。マキが歩いたあとの水面が波打っている。 さらにその翌朝、シマさんがやってきた。いつになく浮かない様子で、長靴をばしゃばしゃ言わせながらレジまで歩いてくる。 「おはよう、アズくん、マキくん」 「おはようございます。シマさん」 「どうしたんですか、暗い顔して」 マキがカウンターから降り、煙草のケースに手を伸ばしながら尋ねた。煙草の入荷も止まってしまったので、シマさんのレニア六ミリも在庫限りだ。 シマさんは複雑な表情で答える。 「昨日、息子が迎えに来てね。俺も移住することにした」 シマさんの息子さんは確か去年、嫁と子供を連れて県外移住したと聞いた。 シマさんも一緒に来るよう何度も説得されたが、住み慣れたこの土地を離れたくないと譲らなかったのだ。 「道路もあちこち浸水してるこんな状況でさ、無理して水陸両用車をレンタルして来たんだ。その上、親父がうんと言うまで帰らない、とか言うんだよ。そんなの、もう、断れないだろ」 不満と照れ臭さが綯い交ぜになったような口調だ。俺とマキは顔を見合わせ、少し笑う。 「優しい息子さんでよかったじゃないですか」 「よかないよ。俺はここで死ぬ気だったんだ」 「それでも一緒に生きてほしかったんですよ」 シマさんの家の玄関が浸水したと聞いたのも、すでに一週間は前のことだった。この町に残っているのはもはや、ここに骨を埋めるつもりの人間だけだった、俺たちのように。 マキはレニア六ミリの在庫を全て、俺は白のビニール傘をシマさんにプレゼントした。「二人も元気でな」そう言ってシマさんは手を振り帰っていった。 「水陸両用車(アンフィビアス)か。レンタカーでも結構高いのに、すごいな」 「うん。迎えに来てくれる人がいるって、すごいことだ」 欠品の出始めた傘コーナーを眺めながら、俺は呟く。 「こんなにいっぱい傘はあるけど、俺たちはどこへも行けないな」 マキが静かな瞳で少し俺の顔を見つめて、それから笑った。 「行かない、の間違いだろ。アズ」 「そうだった。行かないんだった」

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