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水嵩が長靴の丈を超えたので、俺たちはできるだけ作業台やカウンターの上を歩いて移動するようになった。
「ここがこんな状態っていうことはさ」
「うん、外は海だな。もう誰も歩けないんじゃないか?」
食器用洗剤を取るために日用品売場の棚のそばへ跳ぼうとしたマキが、失敗して盛大な水飛沫をあげながら落ちたのは、うっかり爆笑してしまった。
怪我がなくて本当に良かった、骨折なんかしようものなら、どうやって病院に行ったらいいのかわからない。
あらかじめデスクやコンテナを寄せ集めて、奥の部屋からレジカウンターまでの通路は確保しておいた。そこを行き来して俺たちは店頭に立ち続けた。
片方が寝るあいだはもう片方が店番。そうじゃないときは二人で並んでレジカウンターに座っている。
ついに客なんて一人も来なくなっても、俺たちはずっとそれを続けた、使命か何かのように。
「マキ、やばい。フライヤーが浸水しそうだ」
「よし。残ってる揚げ物、全部揚げちまおう」
冷凍庫にあった在庫を全部持ってきて、冷凍庫の電源も切ってしまう。
山盛りになったフライドチキンとポテト。レジカウンターの上で、俺たちは缶ビールで乾杯をした。
白いLEDが煌々と照らす店内。
中華饅 の保温ケースの上に置いたラカジセから、しゃがれた男の歌声。雨がどうたら、エンジンがどうたらと歌い出す。
マキがじいちゃんの遺品ボックスから掘り出してきたそのディスクにはラベルも何もなく、いったい何十年前の歌なのか見当もつかなかった。もしかしたら百年以上前?
「最初はヘンな歌だなあって思ったけどさ」
「うん。聴いてたらなかなか味があるよな」
ヘヘイベイベー、と二人揃って合いの手。マキのじいちゃんもこんなふうに歌ったのだろうか。ビールを飲みながら歌っていたら、すごく楽しくなってきた。俺もマキも意味もなく笑い出す。
「ディストピアってこんな感じ?」
「フライドチキンは食べないんじゃないか」
カウンターから投げ出した足を、わざとぶらぶら揺らして。俺の長靴がすっぽ抜けてしまったのを、二人でげらげら笑う。
マキが笑いすぎて涙を滲ませながら俺に凭れかかってきた。
肩に頬がくっついて、呼吸の音が近く聞こえる。
「なあ、アズ。キスしてもいいか」
笑い混じりのまま、片手にビールを持ったまま。マキが言った。
俺は首を捻り、顔を近づけてから答える。笑い混じりに。
「いいよ。キスしよう、マキ」
雨音を掻き消すヘヘイベイベーを聴きながら、俺たちは初めてのキスをした。
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