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第10話 とても、あたたかくて
昼飯を終えてからもしばらく散策をしたが、あまり成果も出なかったし、少し疲れた。柊が、「きよはるはお仕事も有るんだから、無理をしてはいけません」と心配してくれる。それもそうだ。焦ることもない。その日は早目に家に帰った。
アパートに帰ると、入り口で大家が掃き掃除をしているところだった。
「……あら、清晴ちゃん、こんにちは、………………」
そこまで言って、大家は言葉を失った。俺はぎょっとして、彼の言葉を待った。
俺の背後には、柊が隠れている。もし万が一誰かに見えたら大変だから、と言ってあったが、実のところ、霊媒師とかにしか見えないだろうと踏んでいた。なのに、まさか大家に見えるだなんて。
いや、見えているとは限らない。大家はしばらく俺を見つめていたが、彼は「うん」と一つ頷いて、ニッコリ笑った。
「あ、ごめんなさいね、引き止めたみたいになっちゃって。お休みを満喫してね」
「あ……は、はい……」
よかった、見えてない。俺と柊は安堵のため息を吐いて、自室へと向かう。大家とすれ違う時に、彼が「お友達とは仲良くね」と言ったから、俺たちはぎょっとして大家を見たが、彼はもう俺たちへの興味を失ったのか、また掃き掃除を始めていた。
「……見えてました、よね……」
部屋に戻って。玄関ドアを閉めると、柊が呟いた。
「……たぶん。……ということは、やっぱり俺以外にも見える人がいるんだな……」
でも大半の人には見えていないようではある。大家が何者なのかわからないが、とりあえず今日のところはそれ以外の問題は起こらなかった。これからも柊には、見えているかもしれない事を意識して行動してもらった方がいいだろう。
柊は元の姿にいつのまにか戻っていた。その方が楽だと言っていたから、部屋に戻ればそうしたほうがいいだろう。俺も柊に負担はなるべくかけたくない。
テーブルに石を置こうと、サコッシュに手を入れる。石を握ると、柊は「あっ」と声を漏らした。ん、と彼を見ると、彼は恥ずかしそうに「なんでもないです」と口を押さえた。
「……なに? ……触られると、何か感じるの?」
ぎゅ、と石を柔らかく握りこむと、柊は「あ、」と胸を押さえる。苦しいのかな、と手を緩めても、彼は困ったように胸を押さえたままだった。
「柊?」
「……あなたの温もりを感じるんです……。あなたに、触られているのがわかる……とても……心地よくて……」
あの、私もきよはるに触れていいですか?
柊はそう尋ねてきたが、触れると言ったってどうすればいいのやら。困惑していると、柊がおずおずと俺に近寄り、そっと触れてきた。
触れる、と言っても、俺の体のラインに沿って手を動かしているだけだ。少しでも触れたら、すり抜けてしまう。柊は慎重に俺との距離を測りながら、随分長い時間をかけて最終的に、俺に優しく抱きつくような形になった。
それはなんだか不思議な感覚だった。半分透けた男に、抱きつかれている。でもそれは温かさも何もなくて、強いて言えば少しだけ冷気を感じるような気がするぐらいで、何もわからない。
なのに、すぐそばに柊がいて、しかもなんだか、慈母のように俺を抱きしめているものだから、俺はなんとも言えない気持ちになって、胸が苦しくなった。
柊はどんな気持ちでこうしているんだろう。俺は柊に触れたいと思った。でも、触るのは無理だ。だから、石を撫でた。柊は「ん」と声を漏らして、俺を触れないまま撫でた。
少しして、柊は俺から離れていく。彼は恥ずかしそうに、「ありがとうございます」とそれだけ言った。
その言葉の裏に、彼はたくさんの本音を隠すタイプなのかもしれない。俺にもそれを暴く勇気はない。ただ、「もし、またしたかったら、いつでも」とだけ返して、そっと石をテーブルに置いた。
それから柊は、俺に触れてくるようになった。俺もそれを拒んだりしなかった。
テレビを点けっぱなしにして、ぼうっと眺めながら、時々話をして時間を過ごす。隣で柊も俺に引っ付いて、テレビを見つめている。
まるで恋人同士だ。でも柊にとっては俺はこの世界で最初に話せた人間なんだから、懐いても仕方ないだろう。親、なのかもしれない。柊の本心はわからない。
というより、俺の本心も俺にはわからない。こうして引っ付かれているのを、不快に思わない事も、誰かとこうして一日中過ごすのをストレスに感じないのも。一人になりたいと思わない事もない。柊は風呂やトイレまではついてこないから、そこで一息は吐いたけど、特段彼といる事をしんどいとは感じていない。
こんなことは初めてで、俺は困惑していた。彼のために街を歩く。次は何処で何を見せてやろう。そんな事を考えてる。彼が子供のように嬉しそうな笑顔を浮かべるのが嬉しい。きよはる、と優しい声で呼ばれるのは、嫌いじゃない。
俺は彼をどうしたいんだろう。
彼の記憶が戻って、彼が成仏できたら、もうお別れだ。彼を成仏させるために、正体を探しているんだから、最終的な目標はそこにあるはずだ。
だけど。
そうなったら、また、独りになるのか。
当たり前のことを考えているだけなのに、少し、胸が苦しくなった。
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