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第12話 なのに
それからしばらく俺たちは一緒に暮らした。
平日、俺が仕事の間は流石に連れ歩けないので、部屋でテレビをつけっぱなしにすることにした。仕事から帰ると、柊はおかえりなさいと、本当に嬉しそうに俺を出迎えてくれた。
今日はこんなニュースがありました、こんなドラマをやっていました、と柊はたくさん教えてくれた。俺はそれを聞いているだけで、なんだか満たされたような気持ちになった。
それから眠るまでの間、柊は俺に引っ付いていることが多くなった。俺もなんとなく、石を抱いていることが増えた。夜、眠る時に柊は、はじめの頃は床に座っていたけれど、そのうち俺の布団に潜ってくるようになった。
甘えられているのか、甘やかされているのか。どちらもなのかわからないけれど、俺たちの関係はとてもじゃないが、幽霊と憑かれてる相手という感じでは無かった。柊が人間なら完全に同棲だったろう。そして俺はそれを不快には思わなかった。
土日には二人で外出をした。最初は散歩だったそれは、次第に映画館や水族館など、デートコースのような施設廻りにも発展した。周りから見たら土日の昼間にデートコースを一人で回る根暗男だったろう。でも、柊はいつも素直に、幸せそうに全てを楽しんでくれた。
俺は、その生活が、きっと楽しかった。
「連れて行きたいところが有るんだ」
ある日、俺はついにとある花畑の情報に辿り着いてしまった。
ずっとずっと調べなかったことだ。もしかしたら、母がやって来るのを待っていたのかもしれない。でも、どうしてもあの天国のような、青い花が咲き乱れる景色を柊にも見せてやりたかった。柊はきっと感動するだろう。
その花畑の開花情報を見ると、ちょうど今がシーズンだと書いてある。
「わあ、綺麗ですね。とてもステキな場所です」
スマホの写真を見せてやると、柊は嬉しそうに言った。
「意外と遠くないんだ。日帰りで行けそうだから、今週末にでも」
「はい、楽しみにしています……!」
柊は、ふふ、と微笑む。
「きよはるは、私をいろんなところに連れて行ってくれます。ありがとうございます」
「いいんだよ、俺も行きたいと思ってるところばっかりだし……でも、一人じゃな、と思って……」
そう言ってから、俺は驚いた。一人で行くほどではないが、俺に行きたい場所があったという事実に、気づいてしまった。俺にもやりたいことがあったのか。行きたいところがあったのか。こんなに無気力に、何も望まずに生きて来たのに。
そして、柊と行きたいと、こんな俺が、思っているのだ。
週末、俺たちは目的の花畑に行くために、バスに乗っていた。
バスに揺られて1時間半ほどで着くはずだ。俺は二人がけの席に座って、隣には柊が座って窓から外を見ていた。あいにくの空模様で、どんより曇った空が広がる街並みを、バスは走り抜けて行く。
「あっ」
柊が声をあげたのは、とある交差点でバスが信号待ちで止まった時だった。彼は窓に顔を引っ付ける勢いで外の景色を見つめた。俺もそちらを見ると、幼稚園がある。
「知ってる……」
柊が呟いたので、俺は咄嗟に降車ボタンを押した。
柊を連れてバスを降り、先ほどの幼稚園まで戻る。土曜は閉園しているのか、しんと静まり返った幼稚園の柵に引っ付いて、柊は食い入るように中を見つめた。
「私、ここを知っています」
それは、柊の人生の記憶に初めて触れた瞬間だった。
「何か、思い出せたか? ここに通ってたのか、ここに勤めてたのか、ここに世話になってたのか……」
幼稚園に関係あることと言えば、思いつくのはそれくらいだ。柊は周りの景気もぐるりと見つめて、それから、おもむろに歩き始めた。俺から3メートルしか離れられないわけだから、慌てて柊の後を追う。
柊はきょろきょろと周りを見ながら、それでも迷いなく歩みを進めて行く。知っている道です、私は、ここを曲がっていました。ブツブツ呟きながら、柊は住宅街の方へと入って行った。俺はそれを追いながら、胸がドキドキしてくるのを感じた。
ついに、柊が自分のことを思い出し始めた。それは、彼との別れが近づくことでもある。嬉しいはずなのに、喜ばしいはずなのに、興奮と共に、胸が痛んだ。
住民たちが歩く道を、柊が徐々に確信を持って、足早に駆けて行く。俺もそれを追った。柊がこんなに早く走れるなんて知らなかった。俺は必死で彼を追って、角を曲がり、坂を登って、信号を渡った。車道の下を通る歩行者用のトンネルを越え、ひたすらに住宅ばかりが並ぶ道を進み続ける。
そして、柊が一軒の家の前で、ピタリと立ち止まった。
俺はその頃にはもうすっかり息が上がっていて、ゼエゼエと肩で息をしながら汗を拭い、その家を見上げた。
庭付き二階建ての、洋風の家だ。ガレージを除いてぐるりと塀が囲んでいた。玄関に続く道には簡単な門扉が有って、そこには、「雨宮」と表札がかかっている。
「……あまみや」
柊は、ポツリとその文字を読み上げて、それから「ここです」と、呟いた。
「ここ?」
「ここが……ここが、私の、家です……」
柊は蘇ってくる記憶に混乱しているのか、落ち着きなく地面を見たり、景色を見たりしている。本当にここが柊の家なのだろうか? だとして、どうやって確認すればいい? オタクの幽霊を拾ったんですけどなんて、声をかけるわけにもいかない。
どうしたものか……。と悩んでいると、柊が家の中に向かって歩き始めた。
「わっ、待てよ柊! 柊はともかく、俺は不法侵入になっちゃうから!」
柊に制止を促すが、彼はいつもの大人しさは何処へやら、門扉をすり抜けて中庭に入ってしまった。あああ、とついて行ってしまう俺も俺だ。このままじゃ不審者になる。どうする、チャイムを鳴らすか、と悩んでいると、また運がいいのか悪いのか、玄関を開けて人が出てきた。
高校生ぐらいの活発そうな女の子だった。ポニーテールのその子は、どこか柊に似た目をしていた。彼女は俺に気付くと、露骨に眉を寄せた。そりゃそうだ、知らない男が玄関前で立ってるんだから。
「どなたですか……? うちに何か、用?」
そう不審そうに言う彼女に、柊が駆け寄る。その顔をまじまじと見つめて、柊はポツリと、「ふうか」と呟いた。
「あっ? あっ、えっと、……あ、あまみや、ふうか、さん?」
俺は必死にこれからどうするかを考えながら、思いついた言葉だけをひねり出した。彼女はやはり怪訝そうな顔で、「そうですけど」と肯定した。やはり、ここは柊の家なのか。
しかし、柊がこの家にとってどういう立場の存在かわからない。あんな見た目だけど、もしかしたらお父さん、おじいちゃんお兄さん、あるいはペットの犬が自分を人間と思い込んでいたまで考えられないこともない。ううん、と悩んで、俺はたどたどしく彼女に尋ねた。
「その、ごめんなさい、俺も上手く言えないんだけど、もしかして、ここに、幼稚園に関係してる人で、何か不幸が有ったり、しなかったかな、俺、その人と関係が、有って……」
なんだこの不審な問いかけは。俺は自分で頭を殴りたくなった。
彼女は、しばらく俺を不審そうに見ていたが、やがて、
「あなた、夏樹お兄ちゃんの知り合い……?」
と、口にした。
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