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第14話

 真っ暗な部屋に電気を灯す。しんと静まり返った部屋は何故だかひやりとしている気がした。弁当の入ったコンビニ袋を雑にキッチンに置き、のろのろと中に入る。  部屋には当然だが誰もいない。そっとサコッシュから青い石を取り出して、ことりとテーブルの上に置く。この部屋には自分しかいない。誰の声もしない。  たまらなくなって、テレビをつけた。  意識を取り戻した夏樹さんは、俺のことを覚えていなかった。  長い眠りにつく直前までの記憶しか無いらしい彼は、どうして風香ちゃんが泣いているのかも理解していなかった。俺はどうしていいか、何て言ったらいいかわからなくて、立ち尽くしていた。  お兄ちゃん、何言ってるの、この人お兄ちゃんに会いに来てくれたんだよ。風香ちゃんがそう言ってくれて、夏樹さんは俺を見つめた。  黒い伸びた髪、穏やかな表情、透き通るようだけど、透けてはいない肌。よく似た全く別の彼が、困ったように微笑む。  ごめんなさい、以前どこかでお会いしましたでしょうか……?  もう、無理だった。  俺は何も答えずに、病室から、病棟から、夏樹さんから逃げ出していた。  それから数日が経っている。  俺は柊のいなくなった部屋で一人、元の暮らしを再開した、はずだ。  俺の願いは叶った。柊はあるべき姿に戻って、俺の側からいなくなった。平穏な毎日だ。働いて、家に帰って、一人でカップラーメンやコンビニ弁当を食って、寝る。休日は予定も無く過ごす。当たり前の毎日だ。部屋に同居人なんていない。寝てる間ずっとそばにいるやつなんていない。やたらにくっついてくる男なんていない。  なのに、なのに。  俺は、毎晩声も無く泣いてしまった。  離れていても心は繋がっていると言った。ずっと一緒だと言った。なのにそれが失われた。繋がるべき心がもう無い。一緒にいる事は不可能だ。  柊は。俺の隣にいた柊は。俺のそばにいてくれた柊は。  死んだんだ。  そう考えると涙が溢れて止まらなくなった。毎晩、青い石を抱いて泣いた。  会いたい。  柊に、もう一度会いたい。  でも、俺が会えるのは、夏樹さんだけだ。  心に穴が空いたような、抜け殻のような俺にも平等に時間が与えられて、いつのまにか土曜になっていた。  朝、目が覚めても頭が重い。体が重い。おはよう、と誰にともなく呟いて、カーテンを見る。差し込む朝日は殺風景な部屋を照らすばかりだ。床にゴミが散乱している。ああ、片付けなきゃな、とぼんやり思う。  柊は、……いや、夏樹さんはどうしているだろう。元の体に戻って、元気にしてるかな、風香ちゃんや家族と、幸せになってるかな。  ぼんやり考えてまた涙が出そうになった。俺はなんなんだ? 失恋した女みたいだ。頭をかいて、のろのろとベッドから降りる。  休みだ。家事をしないといけない。何かしていれば、辛い気持ちも遠のくかもしれないし、そうこうしていれば、この暮らしにまた慣れるかもしれない。  掃除と洗濯をして気分を紛らわせる。テーブルの上には青い石が置かれていて、テレビはつけっぱなしだ。俺の生活は既に変わってしまっていて、なかなか元には戻らなかったし、戻るのかもわからない。  結局どんよりした気持ちになる。仕方ない、短い間だったけど、生活の全てが柊を中心に回っていたんだ。飯も少しだけ気を遣っていたような気がする。  飯。  ああ、飯だ。ふと時計を見るともう14時をまわっている。腹が減った。何か食べ物を、とキッチンを漁ったけど、いまいち食いたいものがない。  土日ぐらい、何か特別なものでも食うか。  俺はとにかくこのどんよりした気分をなんとかしたかった。そのためならなんでもしたほうがいいと思った。だから、ポケットに財布とスマホだけを入れてコンビニに行こうとして、靴を履きかけたところで立ち止まる。少し考えて、部屋に戻るとサコッシュに石を入れ、外に出た。  アパートの階段を降りてエントランスを抜け、玄関に出ると大家が草むしりをしていた。この大家、本当によく会う。 「こんにちは、清晴ちゃん。いい天気ね〜」  今日はおうちにいたのね、と言われて苦笑した。近頃休日は出かけていたのがバレている。「まあ」とだけ返事をして、俺はアパートの敷地を出て。 「……あ」  目の前に、寝間着姿の黒髪の男が立っていたことに、目を丸くした。 「……また、お会いしましたね……」  柔らかく微笑む彼は、柊と同じ声をしている。俺は何度も瞬きをして、彼を見た。  土曜の真っ昼間に寝間着姿で道端に立っている彼。雨宮夏樹さんを。

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