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「もちろん。王様が行けと言った日は必ず行ってるよ」 「俺様が言わなかった日は」 「もちろん行かないよ」  まったく悪びれない様子で千昭は笑うから、思わず蹴りを入れてベッドから転がした。 「俺様に言われずとも行け。運転手としての仕事よりもバンド活動を優先しろ、これは王の命令だ」  王の命令と言えば、千昭はほとんどの場合「Yes, Your Majesty.」と笑顔で返事をする。だけど、唯一首を縦に振らない命令がある。その命令が『バンド活動をなによりも優先しろ』ということ。現に千昭は笑顔ではあるけれど、「それはできない」と首を横に振った。 「俺様の命令なのにか」 「ミチルの命令でも無理だ。俺はどんなことよりもミチルのそばにいることを優先したい。だから、バンド活動を優先することはできないよ」  ルビーの瞳に真剣さが灯るのを感じて、なにも言えなくなる。千昭をこうさせてしまったのは、自分の責任でもあると自覚しているからこそ、なにも言えない。 「俺は千昭のベーシストとしての才能を誇りに思う。千昭にも誇ってほしい。お前が輝く場所は舞台の上だと知ってほしい。だからこそ、運転手をやめて、バンド活動に専念してほしいと思うのは間違っているのか」  それでも、なにも言わないでいたら千昭は俺を優先してしまう。それでは駄目だ。出会った時のまま止まっている千昭の時間を動かしたい。動かせるのは、俺だけだ。必死に言葉を振り絞り、千昭を見つめる。ルビーの瞳が一瞬揺らぐも、すぐいつものように和らいでしまった。ああ、駄目か。また千昭に届かなかった。 「ベースは好きだし、音速エアラインも好きだよ。だけど俺はなによりもミチルを愛してる。ミチルの望みならなんだって叶えたい。だけど、ミチルのそばにいられなくなる命令は聞けないよ――朝ごはん用意してあるよ、今日は入学式だから張り切っちゃった。新入生代表の挨拶、俺も聞きたいなぁ」  実に切り替えの早い男だ。  床から立ち上がった千昭はにっこり笑顔を浮かべると、俺に向かって手を差し出す。  なんだその手は。たかが寝室からキッチンのある部屋に移動するために握れとでも言うのか。誰が握るものか。  その手を一瞥し、ツンッとそっぽを向いて歩き出したのに、千昭は上機嫌に笑っている。 「王様のつれないところも好きだよ」 「そうか。俺様はお前の食えないところが」  好きではないと言おうとしてやめた。  王となる男が、民を愛せないでどうする。自分の感情に振り回されて、好きではないと言うなど子どもにもほどがある。それに本当に好きではない、わけではない。なんだかんだ、千昭のことは好きなのだ。恋愛的な意味ではなく、家族的な意味合いで、だが。  口角を思いきり上げ、くるりと千昭を見る。俺以上ににこにこして、俺の言葉を待っている。本当に食えない男だ。 「好きだぞ」  千昭を見つめにっこりと微笑む。いつも千昭がしていることをやっただけなのに、千昭は白い頬をぼうっと赤く染めて口元を手で覆った。  なぜそんな反応をする? 千昭がいつも言っていることだろうと首を傾げると、千昭は「……今のは反則でしょ」とため息を吐いた。なにが反則だかさっぱりわからないが、余裕の千昭を負かすことができたからか、その日の朝食はいつもより美味しく感じた。  ほとんどの運転手は最短コースを選ぶが、千昭は違う。なるべく遠回りしているのがわかる。どうしてそんな無駄なことをすると聞けば「ミチルと少しでも一緒にいたい男心を察してくれるかな」と微笑まれた。遠回りしたことで遅刻をしたことは一度だってないから、それ以降遠回りを咎めることはやめた。  リムジンの窓から外を眺めると、母とよく行った公園が目に留まる。  母が亡くなってからも、よく一人で家を抜け出しては青い鳥を探しに行った。一人で外出するなんて白金家の子としての自覚が足りないとよく姉に怒られたが、それでも俺は公園に通うことをやめられなかった。一度だけ、あの公園で誘拐されかけたこともあり、それからは自覚が足りなかったと反省はしているが。  屈強な男たちに車へと連れ込まれそうになって、それでも王になる男が泣いてはいけないとぐっと堪えた。そういう時こそ堪えず泣き叫ぶべきだったのだろうが、幼かった俺には判断力が欠けていた。だけど車には入るまいと力を振り絞って暴れていた時、俺の手を掴んでいた男の顔面にバスケットボールが当たった。勇気ある少年が、男に向かって投げたのだ。男たちが怯んだ隙にその少年が俺の手を引いて走ってくれたことを今でもよく覚えている。この男こそ、俺の青い鳥だと心底思ったのに、少年はあっという間に俺の前から姿を消していた。  あの男は元気にしているだろうか。俺よりもうんと体格がよかったし、今でもバスケを続けているかもしれない。甘い垂れ目が印象的だったから、甘いマスクのイケメンに育っただろう。  久しぶりにバスケットボールの少年を思い出し、ふっと笑うと運転席にいる千昭が「なにかいいことあった?」と問いかけてくる。 「久しぶりに青い鳥のことを思い出した。あいつは今もバスケを続けているのか、どんな風に成長したのか考えていたらつい笑ってしまった」 「……ああ、そうか、そっちの青い鳥か」  少しガッカリしたように言う千昭が気になり、思わず「そっちとはなんだ」と身を乗り出す。千昭はすっかりいつものように笑っている。俺の思い過ごしだろうか。

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