5 / 49

05

「……なあ、この乳首マジなの。こんなピンクできれーな乳首、初めて見んだけど。AVみてーだな。ピンク色の乳首とか実在するんだな。今までヤってきた女でこんなピンクいなかったから都市伝説かと思ってたわ。めっっちゃ近くにいたとか笑えねーわ、なんでこれで男なわけ、ありえねー、乳首はありよりのありなのによー、あー、勃起しちまったじゃねえか、なんなんだよ!」  なんなんだよ、はこちらの台詞なのだが。  渋谷ははあと盛大にため息を吐くと俺の両手を解放して、丸出しの胸元を隠すようにシャツを下ろしてくれた。乱暴なんだか、優しいんだか、よくわからないが、この男の根本は昔となにも変わっていない気がした。公園で俺を連れ去ろうとした男にバスケットボールを投げた心優しい渋谷は、ちゃんと存在するのだ。  シャツをスラックスの中に入れ、ブレザーのボタンを閉める。そうしている間にも渋谷は「ピンクの乳首……はあ……夢にでそうだわ……」と複雑そうに呟いていた。 「男ですまない。しかし俺様の美しさを前にして男や女など小さいことだと思わないか?」 「バカかよ! 男か女かとかすっげーでっけえことだろ! お前の乳首は勃起するほどやべーけど、パイズリできねえだろ!」 「パイ? ギリシャ文字のパイのことか?」 「ちげーよ! なんだよギリシャ文字って! 無知かよ!」  痛いところを突かれ、思わず眉を下げる。  確かに俺は無知だ。白金家の男としての常識は、世間的には非常識であると知ったのは幼稚舎に入学した時だ。だからこそ、知らないことはもっと知りたい。できないことを学んで、できるようにしたい。  ずいっと渋谷に歩み寄り「ぱいずりとはなんだ」と首を傾げる。焦ったように目を見開いた渋谷は、大きな手で俺の口を塞いだ。 「おっお前そういうこと声に出すなよ!」 「なぜ出してはいけないのだ。渋谷は出していただろう」 「俺はいいんだよ! でもお前みてーなやつが出しちゃいけねーんだよ! はちきれんばかりのおっぱいで息子を挟む、それがパイズリだ、わかったか!」  なるほど、はしたない。  渋谷は俺にとってまったく無知な分野に特化しているのだろう。俺にとっては常識であるモーリス・メーテルリンクを渋谷が知らなかったように、渋谷にとっての常識であるパイズリを俺はまったくもって知らない。正直知らなくてよかったが、無駄な知識などこの世にひとつもないはずだ。声に出して言えない日本語ではあるが、またひとつ賢くなった気がした。 「ああ、わかった。渋谷は俺様にない知識があるな」 「男子高校生ならみんな知ってると思うけどな!」 「そうなのか? 誰も俺様に教えてくれなかったぞ」 「まあそうだろうよ! お前のダチも育ちがいいんだろ? 白金財閥のボンボンにそういう話しねえよな! つーか、そろそろ入学式じゃねえの。お前、新入生だろ、いいのかよこんなとこにいて」  渋谷に入学式と言われるまで、すっかり頭から抜け落ちていた。ブレザーの内ポケットからスマホを取り出すと、職員室での打ち合わせ時間はとうに過ぎていた。打ち合わせなどあってないようなものだから行かなくても大丈夫だとは思うが、入学式には出たい。新入生代表として、高校入学組の顔を覚えたいと同時に俺の存在も認識してほしい。それが王の務めだ。  スマホを再び内ポケットへと戻し、渋谷を一瞥する。転がり落ちたボールを拾い上げ、鮮やかなシュートを放っていた。派手な顔立ちで、性にも奔放な発言が多いが、バスケに対しては真摯な姿勢が見える。  渋谷のことをどう思う? 誰かにそう問えば「大好き」または「大嫌い」と返ってくるだろう。それほどはっきりした男だ。中途半端な印象を与えない。もちろん俺は「大好き」と答える。なにせ渋谷は俺の青い鳥で、初恋なのだから――とはいえ、今も渋谷に恋をしているかと言われるとさっぱりわからない。ただ、俺の取り巻く環境を変えてくれる圧倒的なパワーを渋谷から感じるのは確かだ。 「そうだな、そろそろ行かなければ――渋谷、誰がなんと言おうとお前は俺様の青い鳥だ。だが、青い鳥は無理やり捕まえようとすると死んでしまうからな。渋谷自ら、俺様の元へ来い」  にっこり微笑んで、渋谷の顎をくすぐる。渋谷は大きな黒い瞳を見開いて、思いきり後ずさりをした。 「ぜってえねーから。白金の顔と乳首はたしかにいいぜ? だけどお前、男だろ。おっぱいついてねーとかNGだから。俺の中で最重要ポイントははちきれんばかりのおっぱいだから。おっぱいあればブスでもいけっから! つーわけで白金てめーはノーセンキューだ!」 「俺様で勃起したくせによくそんなこと言えるな」 「うううるせえ! とにかく無理なもんは無理!」  渋谷は顔を真っ赤にさせると、思いきり俺から視線を外して、体育館から出ていけとしっしっと手を払った。他人の心には土足で踏み込むわりに、自らの心には踏み込ませない警戒心の強さに思わず笑う。  もう俺を視界に映す気はないのか、渋谷はゴールネットだけを見つめている。 「早く思い出せとは言わないが、そのうち思い出せよ」  渋谷の背中に言葉を投げつける。俺の言葉が届かぬほどに集中している渋谷はなにも言わない。何度投げかけようと、渋谷はなにも返してくれないだろう。俺様の言葉を無視する男などそうはいないぞと笑い、体育館をあとにした。

ともだちにシェアしよう!