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「冗談だ。真に受けるな」 「今の冗談だったの。みっちーの冗談わかりにくいね」  みっちー。初めて呼ばれるあだ名の響きにこっそり口元が緩んでいると、七緒が「それな!」と大きく頷いて俺の顔を覗き込んでくる。 「ちるちるが言うとなんでも本気になっちゃう感あるよねー。逆に冗談でしょーって思ったことが本気だったりするし。この天然さんめ!」 「それは、その、すまない。今後気をつける」  王として自分の発言には気をつけるべきとつねづね思っているのに情けない。思わず眉尻を下げていると七緒にガバッと抱きしめられ、よろける。 「しょんぼりするちるちるかわいいなー! 気をつけなくていいよ、そのままのちるちるが一番!」 「お前は本当に調子がいいな」  その調子の良さに俺は何度も救われていると心の中で呟いて、じっと七緒を見つめる。  緑の瞳はピンクの髪によく似合っているが、本来の焦げ茶の瞳のほうが七緒らしくて好きだ。ピンクの髪と緑の瞳で心を武装しているとわかっているからこそ、まだ言うつもりはない。いつか言える日が来ると信じて、なんとなく七緒の髪を撫でる。ふわふわとやわらかい。まるで七緒そのものだ。 「ちるちるったらどうしたのー俺の髪が恋しかった? 髪だけとか切ないから俺の全身を愛してよー」 「俺様がいつ七緒の髪だけを愛していると言った? 全身愛すぞ」 「やったーちるちる愛してる!」  七緒はぎゅうっと強く俺を抱きしめながら「ちなみに俺とちるちるはそういうあれじゃないから! 一種のコミュニケーションだから安心しておうちゃん!」と真顔になっている旺二郎にフォローを入れることを忘れない。 「ホモ的なあれじゃないってこと?」 「おうちゃんってオブラートに包まないタイプだーそーいう子大好き!」  ホモ的なあれという表現に小さく噴き出しながら、ハイパーノンケと自称した渋谷を思い出してますます笑いそうになるのをぐっと堪え、咳払いをした。 「そういえば五喜はどうした」  いつもなら七緒のとなりにいるであろう五喜がいない。ぐるりと教室を見渡してもその姿はない。 「いっくんなら教師に顔売りに行くって言ってたよー。そのうち帰って来るんじゃない?」 「俺の兄貴も教師だからいっちゃん挨拶行ったかも」 「えっおうちゃんのお兄ちゃん教師なの? ぜったいイケメンじゃん!」 「俺はイケメンじゃないけど兄貴はイケメンだよ。自慢の兄貴なんだ」    覇気を感じられなかった旺二郎の瞳がキラキラと光る。これはなかなかのブラコンだなと七緒を見ると、そうだねブラコンだねと七緒も無言で頷いた。  担任が来るまでひたすら旺二郎の兄自慢を聞かされ、ほとんど右から左へ抜けていった――担任の長ったらしい話が終わっても、五喜は教室に戻って来なかった。 「さっきは感情的になってしまって、その、悪かった」  校門の前に停まっているリムジンの助手席に乗り込み、千昭になにか言われる前に謝る。いつもなら後部座席に座るのに、助手席に座っている俺に驚いたのか、それとも謝られると思っていなかったのか、千昭はルビーの瞳を丸め、するりと俺の頬を撫でた。 「どうしてミチルが謝るの? ミチルは俺を思って怒ってくれたんでしょ、感情的になるのも俺を大切に思ってくれているからだってわかる。だから、嬉しいんだ。それに謝らなければいけないのは俺のほうだと思うし」  なぜ、千昭が俺に謝る?  思わず首を傾げ、「千昭が謝る必要はないだろう」と千昭を見上げた。視線が重なった瞬間、千昭の口角はゆるゆると緩む。だらしなくにやけて美形が台なし、なんて言葉は千昭の辞書には存在しないほど美しい微笑みだ。 「ミチルの上目遣い最高に可愛いね」 「今はそういう話はしていない。なぜ千昭が謝る必要あるんだと聞いている」 「ミチルは自分のために生きろって怒ったでしょ。そもそも俺はこれ以上ないってくらい自分のために生きてるからね」 「俺に尽くしてばかりじゃないか」 「尽くす? まさか。今だって俺がしたいから、ミチルのそばにいる。ミチルは一言だってそばにいろと言ってないでしょ? だけど、勝手にそばにいる。ミチルの望みはなんでも叶えたいっていうのも、尽くしているからじゃないよ。俺がとことん我儘で、ミチルの望みを他の男に叶えられたくないからだよ――だから、ミチルが謝る必要はないってこと」  ルビーの瞳に俺だけをまっすぐ映し、俺の頬を愛しげに撫でて、赤い唇はこれでもかと愛を吐いて、にっこりと美しい笑顔を浮かべている。狂気を通りこし、いっそ爽やかに思える。 「お前、メンデルじゃなくて、グレーテルでもなく」 「ヤンデレのことかな」 「それだ。千昭、お前ヤンデレだな。自重しろ」 「自重できないからヤンデレなんじゃない?」 「それは一理ある」 「でもミチルが俺以外の男を選んだとしても、俺は銃で撃ったりしない」  どうして男前提なんだと笑いたくなった。だけど、ちっとも笑えそうにない。俺を見つめる千昭があまりに悲しそうにしているから、笑えるわけがない。  悲しそうに眉を下げている千昭の頭にぽんっと手を置いて、わしゃわしゃと撫で回す。それだけで千昭はぱあっと顔を明るくする。まるで俺以外に懐かない大型犬。  今日、青い鳥と再会したと口にすれば、また千昭は悲しそうに眉を下げるだろう。この話はまた今度すればいいと千昭の髪をくしゃりと撫でてから、ブレザーの内ポケットに手を入れスマホを取り出した。

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