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「少し五喜に電話をする。電話が終わるまで車は出すな」
「Yes, Your Majesty.」
千昭は流暢な英語でそう囁くと、スマホを操作して車内に音速エアラインの曲を流した。なんだかんだ千昭だって自分のバンドが好きなのだろう、楽しげに口元を緩める千昭を見て俺まで口角が上がる。
ベースなのに相変わらず主張が激しい。ギターとドラムがバランスをとってくれているからこそ、どこまでも千昭は暴れられる。音からメンバーへの信頼が確かに伝わってくる。千昭に言っても「そんなことないよ」と笑いそうだが――この頃の音源では、音八は楽しそうに歌い、千昭は最上の音を惜しみなく披露していたのに。
思わず聴き入ってしまったと咳払いをし、スマホを耳に当てた。
「おい五喜、どこをほっつき歩いている。担任の話は終わって解散になったぞ」
「ごめん、ちょっと夢中になってた」
電話越しでもわかるほどに五喜の声は弾んでいた。
ちょっと夢中になっていた、なんて五喜の口から聞く日が来ようとは。俺の知らないところで五喜にとって運命の出会いがあったと思うと、嬉しくなる。
「なにか面白いことがあった声だな」
「バレた?」
「何年お前の幼なじみをやっていると思っている、五喜のことならなんでもお見通しだ――まだ取り込み中か」
「うん、取り込み中だね」
「そうか。俺様はもう帰るが、五喜はどうする」
「まだ帰らないから先に帰ってくれるかな」
「わかった。なにがあったのか、ちゃんと俺様に聞かせろよ」
「もちろん、王様の仰せのままに」
電話を切り、スマホを再び内ポケットへ戻す。「五喜のマンションに向かってくれ」俺がそう口にする前から千昭はわかっていたようで、五喜のマンションの方向へ車を走らせた。
広尾五喜という男は、自分の利益を優先する男だ。俺や七緒といった心から信頼する友は大事にするが、そうでない相手は『自分の利益になるか、ならないか』で何事も判断する。だから、その五喜が初めての満員電車で痴漢されている男を助けたという事実に驚くと同時に嬉しくなった。その男が百花の教師で、旺二郎自慢の兄神谷一志 であり、そのうえ一志の前だといつも五喜でいられないと話すと来た。俺の知らない五喜が次から次へと顔を出すから、出会いの春というのはあながち間違いではないと笑ってしまう。
五喜の初恋を聞いてすっかり満足したし、もう帰るかとソファーから立ち上がる。「まだ話は終わってないでしょ」五喜は黒い前髪を掻き上げ、眼鏡を外した。優等生の広尾五喜からただの五喜に戻る合図だ。
「三千留もいいことあったって顔に書いてあるよ」
「バレたか」
「何年三千留の幼なじみやってると思ってるの?」
さっき俺が言った台詞だなと笑い、五喜のとなりに座り直す。それほど顔に出しているつもりはないがと自分の頬にぺたぺたと触れながら「俺様の青い鳥を見つけた」と口にした。
「青い鳥って、誘拐されかけた三千留を助けてくれたっていうバスケ少年?」
「ああ。百花の三年でバスケ部エース、渋谷歩六という男だった」
「渋谷歩六……中学の時には聞かなかった名前だね、高校入学組かな。そっか、青い鳥に再会したんだ――千昭さんに言った?」
どうしてそこで千昭の名前を出す? なんて聞くのも野暮だ。にやにやと口角を上げる五喜に対して緩く首を横に振る。
「言わないほうがいいんじゃない? 千昭さんショックで死ぬかも」
「さすがにそれはないだろう」
「なにをもってそう言いきれるの? 三千留は千昭さんの心を知らなすぎる。知らないからって傷つけていいなんてことはないんだよ」
五喜にあまりにも真っ当なことを言われ、思わず眉を下げた。そんなの俺だってわかっている。千昭の心をわかっているつもりで、なにもわかっていないということ。ソファーの背もたれに深くもたれかかり、深いため息を吐いた。
まだ渋谷となにかが始まったわけではない。これから始まるとも言いきれない。なにせハイパーノンケだと豪語する男だ、俺を好きになるとは微塵も思えない。俺も、渋谷を恋愛的に好きか問われるとよくわからない。ただ渋谷から運命と圧倒的なパワーを感じた。一緒にいるとそれだけでなにかが変わると思った。
だけど、千昭のことを考えると、晴れやかな気分にはなれない。俺の一挙一動で生かすことも、殺すこともできるあの男をどうしたら俺なしで生かすことができるのだろう。青い鳥を話さずにいたら、確かに千昭は傷つかない。それでもいずれバレる日が来る。それは、千昭をじわじわ絞め殺しているようなものだ。
「じゃあどうしたらいいんだ」
「三千留が千昭さんを好きになればいいんじゃない」
「とっくに好きだが」
「それは家族に対しての好きでしょ? キスやセックスを狂うほどしたいって思える好きを千昭さんに向けてみたらって話」
「は、はしたないことを言うな。そもそも無理やり好きになったところで千昭は喜ばないだろう」
「そうかな? つき合ってから好きになる、世の中たいていそんなものじゃないかな」
「今までの彼女は最終的に好きになったのか」
「なってないね」
五喜は「僕の恋愛経験は参考にしないでほしいな」とにっこり微笑んだ。さんざんいろいろ言った挙げ句、参考にするなとは卑怯なやつだと思わず笑った。
五喜の恋愛経験を参考にしないのなら、誰を参考にしたらいいのか――七緒も、参考にしてはいけない男だ。ずっと憧れているヒーローがいるのに、関係を壊したくなくて踏み出せないでいる。「勇気を振り絞って告白してくれた子を断るとかないよねー」告白されたら初対面でもとりあえずつき合い、向き合う。そうして七緒は心から好きになった子はいたのだろうか。いないからこそ、いまだにあの男の背中を見つめている。
俺よりよっぽど五喜と七緒のほうが拗らせていると首を捻る。一番大切な友を幸せにできずして、なにが王だ。大きく足を組み直して、五喜をしっかり見つめる。
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