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「俺様の中で恋愛の優先順位は下の下だ、だから深く考えるのはやめる。愛する五喜や七緒――民の幸せを考えたほうがよっぽど有意義だ。俺様がお前たちを必ず幸せにしてやる」
そうと決まれば、種を蒔こう。
五喜の黒い髪を撫で回してからぎゅっと抱きしめると「僕はいつだって王様に幸せにしてもらってるけどね」五喜は軽い口調で本気の言葉をくれた。そうか、それならもっと幸せにしてやると心の中で誓い、五喜から体を離す。
「寄るところが出来た。五喜、お前の本気を俺様に見せてくれ」
一志との恋でお前が成長することを期待しているぞ。
心の中で囁いて、五喜の肩を叩くと今度こそソファーから立ち上がる。五喜はもう俺を引き止めない。
「僕の辞書に本気って単語はないんだよね」
「そうか、それなら一志に書いてもらえ。それが自分で刻め。お前はやればできる子だと俺様が一番知っている」
するりと五喜の頬を撫でると、五喜は少し泣きそうな顔をして笑った。
眼鏡を外した五喜はまるで子どものようだ。愛を知らない子ども。一志との出会いが、五喜を変えてくれたらこれほど幸せなことはない。
五喜のマンションから出て、ブレザーの内ポケットからスマホを取り出す。バンドの練習中だとわかっているが、どうしても七緒に種を蒔くためには必要なことだ。『月島音八 』の名前をタップして、電話をかけた。
ガサツで大雑把、性において奔放。自分の心は人一倍守っているくせに、人の本心はあっさり暴く。そのくせ繊細で、とても優しい男。自分の中で矛盾をたくさん抱え、それをなかなか噛み砕けずにいる音八を俺は近くで見てきた。見ることしかできなかった。愛すべき家族だというのに。もうそれも今日で終わりにしよう。
「白金の坊ちゃんどーしたよ」
第一声が『白金の坊ちゃん』とは音八らしいと小さく笑った。言葉遣いはどこまでも荒っぽいのに、ボーカリストらしくどこまでも透明感のある甘い声だ。
「練習中にすまない。バイト先に行ってくれ」
「は?」
「バイトをしたいという男がいる。俺様の紹介だ。受からせろ」
「おいおい坊ちゃん俺行く必要ゼロじゃね?」
「大ありだ」
「俺じゃねぇとダメってことな? リョーカイ、お前の望みは俺が叶えてやるよ」
だって、三千留の兄貴だからな。
俺にしか聞こえないように、音八は囁いた。それが嬉しくて、スマホを握りしめる力が強くなる。「外で会っても他人のフリをしようぜ、俺と坊ちゃんじゃ立場がちげぇからな」そう言われた時の悲しみを今でも覚えている。その分、二人で会う時は優しい。不器用なのだ、月島音八という男は。
「ありがとう、音八兄さん」
「おいおい、急にカワイイ感じやめろ。口元にやけるじゃねぇか。後ろで千昭が睨んでっから切るぞ」
千昭はちゃんと練習に行ったのか。その事実に思わず口元が緩むのは俺のほうだ。
「ああ。それじゃあ店で会おう。音八愛してるぞ」
「バッカ、そーいうこと言うんじゃねぇ、地獄耳の千昭に聞かれたらどうすんだよ」
その時はその時だな。口角を上げ、音八の返答を待たずに通話を終了した。
マンション前に停まっていたリムジンに乗り込み「駅前のカラオケに向かってくれ」と運転手に告げながら、バイトをしたいという男――と俺が勝手に認定した七緒に電話をかける。いかなる時でも七緒はワンコールででてくれる。どこまでもまめだ。
「はーい、ちるちるどうしたー?」
外にいるのか、ガヤガヤと人の声がする。SNSに写真を投稿するために洒落た店巡りでもしているのだろう。「ちるちるといっちゃんあげるとめっちゃバズるんだよね!」満面の笑みで七緒に言われたら、気を良くしてどんな要求にも応えてしまいたくなる。
「カラオケでバイトしろ」
「へ?」
七緒は音八と似たような反応をするから、思わず小さく笑ってしまった。いきなりバイト先に行ってくれだの、バイトしろだの言われたら、誰だってそう反応するかもしれない。五喜なら「無理だよ」と笑って答えそうだが。
「バイト探していると言っていただろう。俺様が探しておいた。今から駅前のカラオケに集合だ」
「えっ今タピってるとこなんだけど!」
「七緒がシベリウスを好んでいるとは知らなかったぞ。俺様もよくタピる」
「あーーそれは交響詩『タピオラ』だわー俺はタピオカミルクティー飲んでるのタピるだから!」
「タピオカミルクティーを飲むことをタピると言うのか初めて知った」
「むしろ『タピオラ』を弾くことをタピるって言うこと初耳すぎるやつーとりまカラオケ集合おけまる!」
詳しいことを聞かず、あっさり受け入れてくれるところが七緒らしい。そういうところも、音八によく似ている。俺の判断は間違っていない気がした――七緒と音八はきっと合う。二人が出会えば、大輪の花が咲く。
「七緒、俺様がお前を幸せへと導いてやる」
「なーにいきなり。俺はいつだってちるちるに幸せもらってるよ」
嘘を吐け。お前はいつだって足踏みしている。
口からこぼれそうになった言葉を飲み込んで「そうか、俺様も七緒にもらっている、愛してるぞ」電話越しで見えるわけもないのに微笑み電話を切った。
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