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 カラオケ前に着くと、鬱陶しげな赤い髪を気怠そうに掻き上げ煙草を咥えている音八が立っていた。  また、煙草を吸っている。思わず眉間にしわが寄る。煙草を吸うなといくら言っても音八はやめない。しまいには俺の前では吸わないようになったが、そういうことを言っているわけではない。体に、喉によくないからやめてほしいと言っているのに。 「音八、早いな」 「うおっと坊ちゃんこそ早ぇな! ここ、スタジオから近ぇからな」  音八はあからさまに焦り、携帯灰皿で煙草の火を消した。必死に誤魔化そうとへらへらと笑っているが、なんにも誤魔化せていないぞ。 「で、バイトしてぇやつはどこなわけ」 「これから来る。俺様の大切な幼なじみだ」 「へぇ、坊ちゃんの幼なじみねぇ――黒髪眼鏡御曹司? それともわたあめチャラ男?」 「その二択ならわたあめチャラ男だろうな」  なかなか的確なあだ名だなと笑うと「やっぱ坊ちゃんには笑顔がいいぞ。しかめっ面は美人が台無し」へらへら俺の頭を撫でてくる。誰のせいでしかめっ面になっていると思っているんだ。 「あー、そうだ、わたあめ男にも三千留との関係ヒミツにしとくぞ。めんどいから」 「七緒は信頼できる男だぞ。気遣いも配慮も人一倍できて、優しいやつだ」 「信頼できる、できねぇの話じゃねぇ。俺が嫌なんだよ、白金の人間だって思われたくねぇ――白金が嫌いなんじゃねぇぞ。むしろ好きだし、感謝しかねぇ。だけど、俺は白金の人間であって、白金の人間じゃねぇから」  さらりと音八は悲しいことを言った。  物心ついた時から、当たり前のように音八は俺の兄だった。父に「一緒に暮らしてはいないけど、音八は三千留のお兄さんだぞ」と言われ、俺も納得していた。母が違っても、一緒に暮らしていなくても、家族。そういう形の家族だってあるのだと、俺は思っている。  だけど、いつからか、音八は白金から距離を置くようになった。昔は俺の弾くピアノに合わせて音八が歌ってくれたのに、あの日――高校の卒業式から、音八はめったに白金に寄りつかなくなった。いつだって、来ていい、来てほしいのに。 「音八がなんと言おうと、白金の人間だ。俺様の大切な家族だ」  音八の黒い瞳を見つめて言い、肩を小突いた。「わたあめ男のお出ましだ――音八、あいつは本当にいい男だ」タピっていたのに、俺のところへすっ飛んで来てくれるほどいい男だ。今だって、満面の笑みを浮かべて、わたあめ頭をふわふわ揺らし、大きく手を振っている。 「坊ちゃんがそれほど言うならよっぽどの男だろうなぁ――ちょっかいだしてもいいわけ?」  男だろうと、女だろうと、気に入った相手はすぐに手を出す。相手が本気になる前に引く。音八はそうやって次から次へと渡り歩いてきた。女を抱くのも、男に抱かれるのも大好きだと豪語している。だから、音八のことをビッチだと言う人間は少なからずいる。そのたびに「俺は気持ちいいことが大好きなだけ」と音八は笑って返すが。 「いいぞ。まあ、ちょっかいが本気になってしまうと思うが」 「あんなガキに俺が本気になるかよ」 「あんなガキだから、本気になるんだ」 「へぇ、ますます気になるじゃねぇか。俺がもし本気になったら、サイコーの曲書いてやるよ」 「その言葉、ゆめゆめ忘れてくれるなよ」  本気になった音八が書いた曲で、大輪の花を咲かせてくれよ。  心の中で囁いて、音八の顎をツンと小突いてすぐに離した。 「ちるちる遅れてごめん! どーも、ちるちるの幼なじみの本郷七緒です。まさか店長さん? 若いっすねー」 「もっと若ぇやつに若い言われるのシュールすぎだろ。つーか店長じゃねぇよ。月島音八、ただのバイト」 「二人を引き合わせたことだし、俺は帰る」 「えっ!」「は?」  言葉は違えど、意味合いは同じ。丸投げで帰るのか、二人の視線からひしひしと伝わってくる。ああ、丸投げで帰るぞ。「七緒、せいぜい励めよ。音八、よろしく頼む」にっこり微笑んで、二人の肩を叩く。丸投げでもあの二人ならどうとでもなるだろう。 「お帰りミチル! 遅かったね」  寝室の扉を開けると、千昭がベッドから起き上がり俺のほうへ歩み寄って来た。扉の音で起きたのだろう、まさしく主人の帰りを待っていた大型犬。「お前こそ早かったな。音八がいないから練習は終わりか?」千昭の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。たったそれだけでルビーの瞳は嬉しそうに弧を描いた。 「バイト先に呼び出されたって言ってたけど、ミチルが呼び出したんでしょ」 「ああ。七緒たちに種を蒔いた」 「種?」 「大輪の花を咲かすための種だ」 「俺もミチルに種を蒔かれたいなぁ」 「お前は自分で蒔いて咲かせろ」  ぺしぺし千昭の頬を叩いて、ベッドに倒れこむ。  朝から母の夢を見て、青い鳥に再会し、新入生代表を務め、七緒と音八を引き合わせた。一日に詰め込むにしてはなかなかに盛り沢山で、それなりに疲れているようだ。このまま寝てしまおうかと寝転がると「せっかくの新しい制服がしわになっちゃうよ」とベッドに乗り上げた千昭にブレザーを脱がされた。そのまま脱がせて、寝巻きに着替えさせてくれてもいいのに。 「ブレザーしか脱がせてくれないのか」  ぐいっと千昭のシャツを掴んで引き寄せる。キスできる距離だな、しないけど。  回らない頭でぼんやり考えていると、千昭の白い頬がじわじわ赤く染まっていく。困ったように眉を下げ、しまいには覆い被さってきた。  重たい。一見スラリとしているようで、千昭は筋肉質だ。鍛えていない俺にとって、千昭を受け止めるには非力すぎる。退かすことすら、簡単ではない。しかたなく千昭の背中を叩いて「重たいぞ」と呟く。それでも退こうとしない千昭に眉を寄せると、ナニかが太腿に触れた。そのナニかがわからないほどウブではない。 「……ッミチル、俺がミチルを愛しているって知ってるよね」 「……理解しているつもりだが」 「ぜんぜん理解してないよ、好きな人に脱がせてくれないのかなんて言われたら、期待しちゃうよ。そういう意味じゃないってわかっていても、体は素直なんだよね。俺が狼だったら今ごろミチルは食べられていたよ」  やっぱり千昭は我儘じゃない。自分の気持ちよりも、俺の気持ちを優先している。ルビーの瞳には確かに欲が孕んでいるのに、必死に抑え込もうとしていることが、肌に触れる荒い吐息から伝わってきた。  千昭と名前を呼ぼうとして、できなかった。大きくやわらかい千昭の唇がそれを阻んだのだとわかったのは、唇が離れた時だった。  十五年間生きてきて、初めて唇にキスをされた。それなのにどうしてだろうか、俺はこの唇を知っている。いつも頬や額、手の甲に受けているからという理由ではすまされない。  何度も瞬きをしていると、千昭は俺の前髪を撫でて上から退いてくれた。 「今ので許してあげるよ、俺だけの王様」 「……千昭、お前」  前にもキスをしたことがあるか。  そう口にする前に「ほら、着替えておいで。俺はシャワー浴びてくるよ」千昭はまた俺の言葉を阻んだ。  ベッドから降りた千昭がバスルームに入るのをぼんやり眺める。とうに疲れは吹っ飛んだけれど、なかなかベッドから起き上がれそうになかった。

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