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王はベースがお好き

「きみの『ラ・カンパネラ』すごくよかったよ。本当に小学生なの? もしかして悪魔に魂を売った?」  初対面の小学生相手に失礼なことを言う男だ。だけど、それ以上に面白いと思った。ルビーの瞳をキラキラと輝かせ、興奮しきっている千昭の顔は今も目に焼きついている。  千昭と出会ったのは、小学五年の夏休み。「王になるなら、ピアノを極めなさい」姉に言われ、なかば強制的に出場することになったニューヨークのピアノコンクール。出場者は子どもから大人まで、年齢層は幅広く、国籍も様々。それでも優勝しなければならない。なにせ俺は王になる男だから。  一次予選をつつがなく通過し、会場をあとにしようとした時に「ねぇ!」と日本語で声をかけられた。英語が飛び交う中、久しぶりに聞いた日本語が懐かしく思わず振り返る。  日本にいたらさぞ目立つであろう長身、サラサラストレートのシルバーアッシュ。ルビー色の瞳。外国の血を感じさせる白い肌。女性の視線を独り占めしてしまう圧倒的な美貌。これほどの美形、一度会ったら忘れないだろう。間違いなく初対面のはずなのに、その男からはどこか懐かしさを覚えた。 「いや、俺様は魂を売ったりしない。悪魔のほうから俺様に魂を貰ってくれと頼み込んできた」  口角を上げて微笑むと、男は声を上げて笑い、俺のほうへと手を差し出した。 「きみなら悪魔さえも骨抜きにしてしまいそうだね。俺は目黒千昭、高校二年生。バイト代を貯めて、ニューヨークに来たんだ――本当に来てよかった、きみとこうやって話せて、笑い合えているなんて」  ルビーの瞳が少し潤んでいたけれど、俺にはその意味がわからなかった。大きくて白い手を握り、軽く握手をする。握り返してくれた千昭の大きな手のひらから確かな情熱を感じた。 「三千留さんどうした、上の空って顔してる」  はっと顔を上げると、大塚隼人(おおつかはやと)が俺の顔を覗き込んでいた。黒い髪を掻き上げ額をだしているオールバックだからか、隼人が心配している時、怒っている時はすぐにわかる。眉が活発に動くのだ。今もまた、俺を心配して眉が下がっている。音八は絶滅危惧種ヤンキー顔と称するが、俺にとっては感情を隠すことができないどこまでも可愛い男だ。  そんな隼人に心配をかけるわけにはいかない。気合いを入れるために、楽屋の椅子から腰を上げ軽く頬を叩いた。ライブに出演する他のバンドメンバーが所狭しとひしめく中、音速エアラインのメンバーは隼人しかいない。ライブ前だというのにどこをほっつき歩いているんだ、あいつらは。 「ライブ前なのにぼんやりしてすまない。隼人、今日も期待しているぞ」 「俺と空さんは今日も限界突破するぜ、まあ音八と千昭への期待はほどほどにしとけ。あいつら何年腑抜けてるつもりなんだか――なあ、三千留さん、俺たちデビュー出来ると思うか。音八がうんともすんとも言わねえせいで、デビューの話が上がってもすぐになくなる。そうしてるうちに俺たちジジイになっちまうぜ」  笑い話にしようと思ったのだろう、隼人は慣れない冗談を言った。眉が下がっているから本心が筒抜けだということを、隼人はきっと知らない。  椅子に腰を下ろしている隼人の肩をぽんと叩く。音速エアラインのリーダーは隼人だ、それならばこの話は隼人に一番最初にするのが筋だ。 「安心しろ。お前たちは必ず俺様がデビューさせてやる」 「えっ、いや、白金の力とか使うんじゃねえぞ、そういうの俺好きじゃねえし、音八だって嫌がるだろ」 「俺だってそんな野暮なこと嫌いだ。今年中に必ず事務所を立ち上げる。そのために、俺は音八と千昭に情熱を取り戻してほしい。四人の熱量が以前のように、いや、以前よりも増した時、必ずデビューさせてやる。だから、隼人、お前はこれまで以上に励め」  鷹のように鋭い瞳がかすかな涙で濡れる。隼人は情熱的で涙もろい。本当に可愛い男だと笑い、目尻を撫でてやった。「千昭いなくてよかったわ、殺されるとこだった」今度の冗談は本心からこぼれたのか、隼人はくすぐったげに笑みを浮かべた。 「……おう。この話は、俺と三千留さんだけの秘密にしておく。音八と千昭にプレスかけたくねえしな」 「ありがとう隼人。お前は本当に良いリーダーだ」 「んなことねえよ、俺は音八と千昭になんにもできてねえ。助けてやりてえのに、なんにも、できねえ。そういうことは俺に向いてねえよな、俺はただギターの腕を上げる。いつデビューしてもいいように」 「さすが練習の鬼だな――それにしても、もう一人の練習の鬼はどうした。いつもならとっくに楽屋にいるのに」  音速エアラインには練習の鬼が二人いる。昔は音八を含めて三人だったが、高校を卒業して以来、音八のやる気にはムラがある。一人はギターの隼人。もう一人は最年長のドラム、代々木空(よよぎそら)だ。親しみやすく愛らしいルックスをしているけれど、ひとたびドラムを叩けば、抜群の安定感と男らしさを発揮。そのギャップにやられるファンも多い。メンバーの中で一番ファンサービスがうまく、空を嫌う人はほとんどいないだろう。それだけ、空は良いやつなのだ。 「音八はどうせファンにちょっかいだしてんだろうし、千昭もぶらぶらしてるんだろうけど、空さんはマジ珍しいな。俺探してくるわ」 「いや、隼人はライブ前だからここにいろ。すれ違いになっても困る。俺様が特別に探してやろう」 「いやいや三千留さんが探すとかマジかよ、一人でどこも行けねえだろ! 方向音痴だしよ!」 「そんなことはない。俺様はやればできるタイプだ。必ず空を探してみせる。隼人はついてくるなよ。絶対だぞ。これはフリではないからな」  ビシッと隼人に人差し指を突きつける。隼人は困ったように眉を上げ下げし「マジで迷子になったら電話しろよ」と頭を撫でてきた。  隼人はいまだに俺を小学生だと思っているのだろうか。こうなったら意地でも空を見つけてやると楽屋の扉を大きく開け放った。

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