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「お前なんで笑ってんだよ、笑うとこじゃねえだろ!」 「チャラそうなバンドマンから助けただけなら美談になったのに、うっかり口説いてしまうのが渋谷らしいと思ってな」 「邪魔が入っただけで最初から口説く気でいたからな、彼氏持ちだろうが俺には関係ねえしよ。一発どう? って言ったら、ものすげえ顔で睨まれてぞくぞくしたわ。そういう女を組み敷くのたまんねえんだよな」 「お前最低だな」  思ったことをそのまま口にすると、渋谷は思いきり眉を寄せた。  初対面の女性に対して「一発どう?」はさすがにない。助けてくれたことで上がった株が大暴落だ。その時点であかりに殴られてもおかしくなかった。 「組み敷く前に彼氏が来て割り込まれたからセーフだろ! 邪魔すんなって彼氏殴ろうと思ったら逆に女に殴られるとかマジ笑えねえわ、クソ」  腫れた頬を掻きながら、渋谷は舌打ちをひとつした。  どこまでも直感で、本能のまま生きている男だ。こんなふうに生きられる人間は存外に少ない。理性のブレーキが完全に壊れ、渋谷にとって恐れるものはなにもないのかもしれない。一歩間違えたら犯罪者になりかねない危うささえ感じる。だからこそ、周りも、この俺さえも、渋谷を放っておけないのだ。  スキニーパンツのポケットからハンカチを取り出して、そっと渋谷の口元に触れる。ビクッと渋谷は大袈裟に肩を上げ「なにすんだよ」と手負いの獣のようにギラついた瞳で俺を見つめてくる。だんだん渋谷が可愛く思えてきた自分はおかしいのだろうか。 「口から血がでているぞ。それで抑えておけ」 「マッジかよ! つーかこのハンカチ高そうだな、俺なんかが使っていいのかよ!」  ハンカチで口元を拭ってから渋谷ははっとしたように目を見開いて、ハンカチを眺める。  一般的なハンカチと比べたら高いだろうが、さして気にすることではない。渋谷の口から血がでているほうがよっぽど大変なことなのに、ハンカチの値段を気にして狼狽える渋谷はやはり可愛いと思った。 「渋谷なら構わない、好きに使え」 「ハンカチ代を体で返せとか言うなよ。俺ハイパーノンケだからお前とセックスとか無理だからな!」 「だ、誰が言うか!」 「まー白金は言わねえよな知ってた! お上品なお坊ちゃんだもん。これサーンキュ、洗って返すわ」  ごしごしハンカチで口元を拭っては「なあ血止まった?」と聞いてくる渋谷が可愛くて「止まってない」と真顔で言う。そのたびに「マジかよ血怖いわ」と渋谷は眉を下げる。子どものまま大きくなったような渋谷に笑いを堪えていると、コンサートホールから音がこぼれてきた。 「渋谷、仲間が待っているのだろう。早く行ったほうがいいんじゃないのか?」 「うおっ、シノブからすっげえ電話来てたわ! 悪いことしちまったなー」  渋谷はパーカーのポケットからスマホを取り出すと、着信履歴にぎょっとしたように大きな目を見開いた。  四信――ああ、そうか、上野四信(うえのしのぶ)はバスケ部の部長だったなと思い出す。  渋谷が周りに迷惑をかけるタイプのムードメーカーだとすれば、上野は周りをまるごと救うタイプのムードメーカーだ。上野のことはもちろん嫌いではない、好きだ。けれども、少しばかり妬いているせいで、素直に名前を呼べないでいる。上野は俺の大切な親友を、七緒を、あっさりと救って心まで奪っていったのだ。  関係を壊したくなくて足踏みしている七緒。ちっとも気がつかない上野。七緒がそんなそぶりを見せないのだから、上野が気づくはずがないとわかっている。それでも俺は七緒の親友だから、もう少し七緒を見てほしいと思ってしまう。 「お前、上野と仲が良いのか」 「シノブと俺? ニコイチレベルで仲良し! シノブはなーマジなーいいやつだよ、あんなやついねえよな、人のために頭下げられるとかマジすげえよ。俺のせいで何回シノブが頭下げたかわかんねえよなー、ま、ぜーんぶバスケで返してっからチャラだけどな! シノブが誘ってくれなかったら、百花に入ろうとか思わなかったし」  ハイパーノンケと豪語する渋谷でさえも、上野には陥落している。俺の青い鳥なのに、俺には落ちずに上野には落ちるのか。これから上野のことはノンケ殺しと呼ぼうと思わず眉根を寄せる。 「初めて会ったのは中一だったかなー、人生初敗北したんだよな。悔しくて試合終わってシノブのとこ駆け寄ったら、あいつ、周りがお前の使い方全然わかってねえな、高校は百花に来いよってニカッて笑って誘ってくれて、ぜってえこいつとバスケしてえ! ってなったんだよ。ある意味一目惚れだわ、まあシノブのことは抱けねえけどな。俺ハイパーノンケだし、それ以上にシノブが大事だし」  渋谷はくるくる表情を変え、声色を変え、好きという言葉を使わずに上野のことが好きだと語る。上野のことは抱けない、それ以上に大事。一種の告白だと、渋谷はきっとわかっていない。  いつだって上野は俺の大事なものをあっさり奪っていく。上野はなにも悪くない、悪くないけれど、どうしたって妬いてしまう。嫉妬なんて王のすることではないと唇を噛み締め、くるりと渋谷に背を向ける。早くこの場を去らなければ、醜い感情が胸の奥に広がる前に。

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