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「……そうだな、俺様にしかできない。俺様が必ず千昭を引っ張り上げて、音速エアラインを明るい場所へ導いてやる。だからあかりはこれまでと変わらず空のことを支えてくれ」
俺の腰に回されたあかりの手にそっと触れると、あかりはニカッと歯を見せて笑ってくれた。あかりという名のとおり、どこまでも明るい笑顔だ。
「空くんのことは一生わたしに任せておいて!」
「さすがあかり、頼もしいな」
「あとは音くん次第だ。バンドの華はボーカリストだからね、みんながいくら頑張ろうと音くんが変わらなきゃ意味がない。ねぇ、音くんはどうしてやる気がなくなったと思う?」
あかりは茶色い瞳を丸め、首を傾げる。あかりはもちろん、メンバーも音八の情熱が冷めていってしまった理由を知らないのかもしれない。それならば、俺が今ここで話すわけにはいかなかった。ゆるく首を振ると「……そっか、ミチちゃんでもどうにもならないことなんだね」とあかりは眉を下げた。
音八たちが高校を卒業した日、『シーサイドナイト』で卒業ライブが行われた。ライブが終わってからもメンバーの熱はちっとも冷めず、俺の部屋で朝まで音速エアラインの未来について語り明かした。酒なんて一滴も飲んでいないのに、家まで辿り着けるか心配になるほどふらふらとした足取りの音八たちを見送った。あの日の音八の背中にはキラキラとした未来が確かに見えていたのに――きっと音八はあの日のことを今でも後悔している。あの日、ライブ終わりにまっすぐ家へ帰っていたら、音八の母が今も生きていたのかもしれないと、悔やんでいるのだ。
「あっ、音エア来た! 空くーん! 愛してる!」
コンサートホールが激しく揺れる。
舞台に上がった音速エアラインを恋い焦がれていたファンたちが跳ね、もみくちゃになり、声を上げる。自分が推しているメンバーの名前を叫ぶ者、音速、音エア、音ラインと略称で叫ぶ者とさまざまだ。
それらのすべてをすることなく、ただただ舞台に上がる千昭を見つめる。ルビーの瞳はいつだって俺の視線にすぐ気づく。舞台に上がった時は冷たささえ感じたルビーの瞳に情熱が灯り「ミチル」と大きな唇が声に出さずに俺の名前を愛しげに呼んだ。
千昭、俺様のために最上のパフォーマンスを魅せてくれ。祈るように千昭だけを見つめると、千昭に伝わったのか、かすかに口角が上がった気がした。
ギターの隼人、ドラムの空、ベースの千昭が所定の位置につく。俺が主役とばかりに音八はゆっくりスタンドマイクの前に立ち、気だるげな黒い瞳を客席へと向ける。
「今日はとことん愛し合おうぜ」
お決まりの台詞で音八は客を煽る。
男も、女も、関係なくその台詞に沸いて、叫ぶ。客が沸けばわくほど、昔の音八なら熱量を増していた。果たして今日はどうなのか、拳をぎゅっと握りしめると音八と目が合う。やる気なさげにウィンクをされ「音八がウィンクした!」「わたしに!」「いや俺じゃね?!」わっと客がおおいに沸く。今のは俺にしたのか、そうではないのか、さっぱりわからない。それでも自然と口角が緩んだ。
もしかしたら、今日はいけるかもしれない。そう期待したくなる音八のパフォーマンス。
「Laugh Off」
マイクに向かって音八が囁いた曲名は、激しいベースソロから始まるロックサウンド。最近ではめっきりその激しさが鳴りを潜めていた。
どうか、千昭のベースが以前のように激しく鳴きますように。天を仰ぐ気持ちで舞台を見つめる。
次の瞬間耳に届いた音は、狭いコンサートホールすべてを揺るがす激しいベースライン。
そうだ、この音を俺は求めていた。学園祭ライブや卒業ライブの時よりもっと良い音で俺の魂を揺さぶってくれる。
舞台上でファンを魅了する千昭を見つめながら、ふと客席を見渡した。
狭いコンサートホールだ、客の顔は見渡せる。銀髪で目立つ渋谷なんてすぐに見つかると思ったのに、どこにもいない。上野も見つからず、思わず首を捻る。これを聞かずに帰ったのか? もったいないと思いながらも、深く考えることはやめた時、視線の端に捉えた豊かなブリュネットの女。いや、まさか、そんなわけがないなと首を振ると舞台で輝く千昭に視線を移した。
「ちいくんのベースヤバかった! ひっさびさに本気だしたね、ちいくん!」
「……ああ、驚いた」
「ライン担めっちゃ騒いでたねー、失神してた子もいたよ! それに音くんもよかったよね! 絶好調な音くんではないけど、それでもぜんぜん違う。どうしたんだろうね。ま、それでも空くんが一番だけど!」
千昭の本気に引っ張られるように、音八もいつもより良いパフォーマンスを見せてくれた。もしかしたら、このまま音速エアラインは明るい場所へ戻れるかもしれない。高鳴る胸を抑えることなく、あかりと一緒に楽屋へと向かう。
千昭に会ったら褒めてやろう。よかった、すごくよかった、大輪の花が咲いたなと頭を撫でて、それからどうしようか、なにをしたら千昭は喜ぶだろう。
俺より前を歩いていたあかりの足が止まる。「あー、ミチちゃん、こっち見ちゃだめ!」あかりは慌てて俺の俺の視界を塞ごうとするから、よけいに見たくなるだろうと一瞬笑い、すぐに息を飲んだ。
楽屋前の廊下で、なにをしているんだ。馬鹿じゃないのか、品がないぞ。廊下でキスをするなんてどう考えてもありえない。
頭ではいくらでも言えるのに、声にだすことはできなかった。俺を愛していると惜しげもなく囁く千昭の唇がほかの女とキスをしている。千昭と俺はつき合っているわけではない、誰とキスをしたって千昭はなにも悪くない。それなのに、どうして俺はこんなにも。
ぐっと胸元を握りしめ、ひたすら千昭を見つめる。俺の視線に気がついたのか、千昭はブリュネットの女をぐっと抱き寄せた。俺に女の顔を見せまいとより口づけを深め、腰まである髪を撫でると、女の細い腕がするりと千昭の首へと回る。
もう二人をこれ以上見ることはできないと、逃げ出すように『シーサイドナイト』から飛び出した。
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