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ファムファタルは王を二度殺す
「チアキが私のものにならないのなら、あなたを殺して私も死ぬわ」
豊かなブリュネットの髪を振り乱し、スペイン語なまりの英語でまくし立てた女は千昭へ銃口を向ける。
女遊びをするのなら、後腐れのない女を選ぶべきだぞ、それかもっとスマートに別れるべきだな。別れ方を間違えるとこういうことになる。まあ、いまさらなにを言っても遅いかと震える千昭を一瞥し、プールサイドのベンチから体を起こした。ベンチが軋む音に女は荒い吐息を吐き出して今度は俺へと銃口を向けた。
「ここがどこだかわかっているのか? 白金の別荘、つまりは俺様の城だ。ここで発砲してみろ。お前の人生は終わるぞ」
女の視線が俺へと向けられるのを察し、静かに警備員へと合図を送る。警備員はゆっくり頷いて、気づかれないように背後から女へと忍び寄った。
「人生終わらせるつもりで来たのよ、どうなったって構わないわ――チアキを殺すよりも、あなたを殺したほうがいいかもしれないわね。チアキに選ばれたあなたを殺したほうが、チアキは一生後悔して苦しむでしょう? たまらないわ」
ふふっと女は笑い声をこぼした。
この状況で笑っていられる、いや、この状況だからこそ笑えるのか。極限まで追い詰められていなければ、愛する男に銃口を向けることなどできないだろう。
昔から未遂を含め、何度も誘拐をされてきた。ナイフや銃を向けられたこともある。その恐怖は何度体験したとして、一生慣れることはないだろう。だけど、今は一人ではない。ここは俺の城であり、警備員がいる。守るべき千昭がいる。王として、民を守らなければならない。震えてなどいられないのだ。
唇をゆっくり動かして「今だ」と声に出さずに警備員へと合図を送った。
「っなにするの、離してよ!」
女が引き金に手をかけた瞬間、警備員が飛びかかる。女たちがもつれ合っている間に震える千昭のそばに駆け寄った。「千昭、中に入るぞ。立てるか」俺よりよっぽど大きな背中を震わせる千昭はこくりと頷いて、よろめきながらも懸命に立ち上がる。
バシャンと、女が持っていた銃がプールへと落ちていく。これでなにも問題ないと安堵していると、女は警備員から銃を奪いとり、出せる力すべてを出し尽くすように警備員たちをプールへと突き飛ばした。なにを油断しているんだと眉根を寄せ、千昭の背中を思いきり押して家の中へと入れる。
冷たく光る銃口は確かに俺を捕らえ、女は真っ赤な唇をひどく歪ませた。
「地獄で会いましょう、チアキに選ばれた幸福な人」
ベッドから飛び起きると、まだ五月だというのに尋常ではない汗をかいている自分に驚いた。
ため息を吐いて、ベッドサイドテーブルの時計を見つめる。まだ夜中だが、もう眠れそうにない。悪夢の続きを見てしまいそうだ。
あのライブの日から千昭は俺のベッドに潜り込まなくなったし、送迎もしなくなった。「イツキの誕生日とかの特別な日以外は送迎するのはやめるよ、バンドを優先したいんだ」千昭からそう言われたら、だめだとは言えなかった。俺が言ったことだ、バンドを優先しろと。断れるわけがない。わかったと答えることはできたが、あの女は誰だと聞くことはできなかった。
五喜には「最近千昭さん見ないけどどうしたの」と聞かれるし、七緒には「ちいちゃんと喧嘩したの」と心配される。なんとか笑って誤魔化しているが、察しのいい二人だ。なにかに気づいてもおかしくはない。だけど、なんて説明すればいい? 二人に完璧に説明できる術がないと髪を掻き乱す。最悪だ、汗でべたついているじゃないか。ひとつ舌打ちをしてベッドから降りた。
のろのろとした足取りでバスルームへと向かい、バスローブを脱ぎ捨てる。あの日、あの女に撃たれていたらこの体に銃痕が残っていたのだろうか。傷痕ひとつない自分の体を眺めてから、火照った体を冷やすようにシャワーを浴びた。
「……司、なにしているんだ」
適当にシャワーを浴び、寝室へと戻るとベッドの上で寝転がる兄・ 白金司 が目に入る。
仕事先からすっ飛んできたとばかりに、額をしっかり見せた清潔感のある黒髪。それでも切れ長の茶色い瞳には疲れが滲むことなく、薄い唇には自信が溢れている。ミスターパーフェクトという称号が相応しい父譲りの美形だと我が兄ながら思う。
世界中を飛び回り、あまり家にも帰って来られないほど多忙を極める司に対して随分冷たい物言いになってしまった。それなのに司はまるで気にせずにベッドに腰かけた俺を抱き寄せ、頬を合わせてキスをしてくる。その感触がひどく懐かしく感じるのは、最近は千昭と会っていないからだろう。
「最近三千留が元気ないと聞いてな、すっ飛んできた。嬉しいか」
「そうでもない」
「つれないところも可愛いな――さて、本題に入るぞ」
本題とはなんだと首を傾げていると、司は俺をベッドに寝かしつけながら「カルメンを覚えているか」と不穏な名前を口にする。
覚えているもなにも、さっき夢で会ったぞと言えるわけもなく、小さく頷いた。
ラテン系アメリカ人のカルメンは、千昭の第一彼女だった。過去形なのは、ピアノコンクールで俺と出会った千昭は翌日に「彼女たちとは別れてきたよ、俺にはミチルがいるからね」と言ってのけたからだ。当時の千昭は高校二年で、俺は小学五年。「お前は幼い男が好きなのか」と正直に聞くと、「俺はミチルだけが好きなんだよ」とまっすぐ返された。あまりにまっすぐすぎて、なにも返せなくなったことを覚えている。
千昭の彼女たちは納得したものもいれば、そうでもないものもいた。そうでないもののほうが多かったくらいだろう。その中でもっとも納得がいっていなかったのは、カルメンだ。千昭を殺すという手段で愛する男を取り返そうとするほどに。
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