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青い鳥は王を担ぐ

 雨が多く、自然と憂鬱になる六月。それでも、俺の心は夏空のように晴れやかだ。  学校の廊下ですれ違うたびに渋谷には「げっ」と言われるが、それもまた可愛いと思える。渋谷は最初こそ嫌な顔をするが、話し始めるところころ表情を変えるのだ。少なからず俺のことは嫌いではないだろう、と思いたい。  あの日から千昭と顔を合わせてはいないけれど、心の距離は感じていない。母の夢も、カルメンの夢も見なくなった。  手の甲に咲いた赤い花は五喜と七緒にからかわれたが、素知らぬふりをした。旺二郎だけは「みっちー、蚊に刺されたの? 大丈夫? 蚊って六月でもいるんだね、知らなかった」と心配してくれた。その優しさが申し訳ないやら、恥ずかしいやらで返答に困っていると、五喜と七緒が思いきり噴き出す。お前らは旺二郎の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいぞと思いながら「俺様の体に跡をつけるとはいい度胸をしている蚊だよな」とにっこり笑って誤魔化した。なにも誤魔化せてはいないだろうが。 「ちるちるってあゆさんのこと好きなの?」  俺のハチマキを巻きながら七緒が大真面目に言うから、うっかり笑ってしまった。  渋谷のことはつい目で追ってしまうし、からかいたくもなる。見ているだけで癒されるし、ワクワクする。次はどんな顔をする? どんな顔を見せてくれる? と。俺の可愛い青い鳥なのだ、好きに決まっている。スマホの待ち受けにしてしまうほどに。 「好きだが、それがどうかしたか」 「恋愛として?」 「しいて言うならば一人の民として好きだ」 「あー、そういう好きだよね、やっぱり。おうちゃん、完全に誤解してるよ、ちるちるが恋愛的な意味であゆさんのことが好きだって」 「そうか。旺二郎は本当にピュアで可愛いやつだな。面白いから誤解させておこう」 「ちるちるったら小悪魔ちゃん! そんな小悪魔ちゃんはこうしてくれる!」  体育祭でつけなければならない死ぬほどダサいハチマキが七緒の手によって猫耳ハチマキにされる。これはなかなかいいなと猫耳部分に触れていると「いいねーちるちる視線ちょうだい!」とスマホを向けられる。ゆるく口角を上げ、スマホ越しに七緒を見つめた。 「そういう七緒はどうなんだ」 「どうってなにが?」 「音八のことだ」  七緒の眉が思いきり下がり「あの人、俺が突かれたくないこと遠慮なくついてくるんだけど」と唇を尖らせる。上野に対する恋心を突かれだのだろうか。なんにせよ七緒にそんな表情をさせる音八はなかなかやるなと小さく笑うと、七緒はますますご機嫌ななめになるから、咳払いをして誤魔化した。 「なかなか帰って来ないなーって思ってると、お客さんとヤってたりするし。男だとか、女とか関係なく。初めて見た時びっくりしすぎて転けるかと思ったからね」 「あいつは気持ちいいことが大好きだからしょうがない」 「しょうがなくないっしょ、バイト中だよ」 「客に求められたのかもしれない」 「求められてもふつー断るっしょ。ていうかカラオケってそーいう店じゃないから!」  七緒は他人に対して、怒りの感情をほとんど持たない。他人に対しては諦めを覚えている。だというのに、音八にはこれほど不満を持っている。なかなかいい傾向だ。音八に対して、確かな興味を抱いている証拠。 「でも、あの人なんか放っておけないんだよね。なんか一人で抱え込んでそうな感じ、昔の俺みたい」  昔の七緒――上野に救われる前、七緒は一人で悩んでいた。百花的に言うならば俺と五喜は名門の生まれだ、たいして七緒は一代で財を成した成り上がり。百花の連中は考えが古い、本郷家の価値をなにも理解せず「本郷は白金と広尾の腰巾着」だと騒ぐ。そんなもの気にしなくていい、俺たちは七緒の味方だと何度言っても七緒の心は完全に晴れなかった。  どうしたら、七緒を救える? 俺は七緒になにができる? そう悩んでいるうちに、上野が七緒をあっさりと救ったものだから、いまだに悔しい。 「俺は七緒しか音八を救えないと思っている」 「え?」 「お前は知らないかもしれないが、俺だってお前に救われているんだぞ。人の痛みに寄り添えるお前の優しさは、あらゆる人間を救えると俺は思う」  俺と七緒の父は親友といえる存在で、俺と七緒は母の腹にいる頃からのつき合いだ。七緒は幼なじみであると同時に初めての友。  女みたいな名前だとからかわれ、言い返せずにいた時「青い鳥のミチルと同じ名前で俺は好きだよ!」と言ってくれたことを今でも鮮明に覚えている。七緒にとってはほんの些細なことだろう、それでも俺にとってはその一言で救われた。その日から七緒は、青い鳥にでてくる兄の名前チルチルにちなんで、俺を『ちるちる』と呼ぶようになった。 「あー、ちるちる、泣かせにかかるのやめて! 音八パイセンのことはまだわかんないけど、俺なりにやってみるよ。だからもうこの話終わり!」  七緒ははたはたと頬を手で扇ぐ。  よく見ると頬は赤くなり、緑の瞳にうっすらと涙が滲んでいるように思えた。 「泣かせにかかっていないが」 「天然か! もー、ちるちる大好き!」 「俺様も七緒を愛しているぞ」  だから、どうか、幸せになってくれ。  七緒の抱擁を受け止め、祈りを込めて背中をぽんぽんと撫でた。

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