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青い鳥は王を担ぐ_05

 体育祭が行われた会場を後にするため、いつものように後部座席に乗ろうとした。けれども、「よっ白金の坊ちゃん」とやる気なさげに手をひらひら振る音八が後部座席に乗っているから驚いてよろけそうになる。なんとかよろけずに踏ん張ったが、リムジンに乗っている音八を見るのが久しぶりで少し目頭熱くなった。 「さてはお金がなさすぎて、俺様のリムジンをタクシーかわりにする気か?」 「まぁ、そんなとこだな。いいから乗れよ」  まるで我が城とばかりに音八が言うから、小さく笑って後部座席に座る。  用もなく俺に会いにきたわけではないだろう、音速エアラインのことか、七緒のことか、千昭のこと。それらのいずれか、またはすべてか。どれであれ、音八が口を開くまで待つとしよう。 「お前と千昭ってどこで知り合ったんだ?」  千昭の話ではあったが、予想外の質問だ。思わず俯いてしまう。  俺と千昭の出会いは、誰にも話していない。ひとつ話してしまえば、カルメンのことまで行き着いてしまう気がして、「俺様が拾った」と適当に話さざるをえない。だけど、音八の黒い瞳にはどこか真剣さが宿っているから、もう誤魔化してはいられないと髪を掻き上げた。 「小学五年の夏休み、俺がニューヨークのコンクールに出場したことを覚えているか?」 「あー、最年少で優勝したやつだろ。覚えてる、土産だとか言ってトロフィーくれようとしたもんなぁ、いらねぇ! って笑ったっけ」 「ああ、そんなことしたな、懐かしい――そのコンクールに千昭が観客としていたんだ。俺様の演奏をえらく気に入って声をかけてきた、それが出会いだ」 「あいつ、ニューヨークで暮らしてたのか」 「千昭も夏休みを利用してニューヨークに来ていただけだ。ピアニストの母親を探しに来たと言っていた」  千昭の父はベーシストで、母はスウェーデン人のピアニスト。音楽家気質で自由人な両親は、あっという間に別れることを選んだ。「二人は俺よりも音楽を愛しているんだよね、だから俺にとっては音楽は憎いものだった。今は違うけどね」いつか千昭が悲しそうに言っていた。両親の離婚は、千昭にとって確かな傷になっている。 「ただコンクールで知り合っただけの二人が、すっげぇ絆で結ばれるわけねぇよな。二人の間になにがあった」 「……それは」 「千昭は異常なほどお前に執着してる。だけど、最近の千昭はなんなんだ。すっかり抜け殻みてぇになっちまってる。練習終わりには必ずブリュネットの美女と一緒にどっかに行く。あの女誰って聞いても、千昭は笑ってごまかすんだよ。ぜんぜんごまかせてねぇっての」  やはり千昭はカルメンと会っているのか。もしかしたら、練習以外はずっとカルメンと一緒にいるのかもしれない。千昭は俺とカルメンを接触させまいとしている――ああ、そうか、ライブの日、カルメンと深くキスをしたのは俺に見せつけるためではなく、カルメンの視界に俺を映さないため。今日にしてわかるとは、本当に俺という人間は愚かだ。 「……ブリュネットの女は、千昭の元彼女だ。千昭は女癖が悪かっただろう? ニューヨークに着いたその日に知り合って、付き合い始めたらしい。名前はカルメンだ。彼女――カルメンは、千昭を深く愛していた。千昭の方は土地勘があって便利な女、その程度だったらしい。だから、カルメンもあっさり切り捨てた。だけどカルメンのほうは、千昭との別れを受け入れられずに何度も俺たちに接触してきた。徐々に彼女の心が壊れていくのを感じて、警戒していたんだが」 「は? なんだよその女まごうことなきヤンデレじゃねぇか。そんで警戒して、どうなったんだよ」 「白金の別荘に入り込んで、千昭に銃を向けた」 「想像以上にやべぇ女だな」 「カルメンが襲撃するなら、俺がコンクールで優勝を決めた日しかないとわかっていた。だから十分に対策は立てられたし、俺も千昭も今こうして生きている」 「だけど、その女も生きていて、今もお前たちを苦しめている、そうだろ」  淡々と、静かに音八は言うが、その声は確かに怒っていた。家族だと口では言いながらこれほど大事なことを黙っていた俺に怒っているのだとわかり、思わず俯くと、音八の指先が俺の顎をすくい上げる。その瞳には、俺への怒りが滲んでいるようには見えなかった。 「俺が怒ってると思ってんの? こんな大事な話隠すとかふざけんなって」 「ち、がうのか」 「ちげぇよ、バァカ。俺が三千留に怒るわけねぇだろ、こちとらブラコンだよなめんな。愛しの弟と、大切な仲間を苦しめる女に腹が立ってしょうがねぇんだよ――その苦しみ、俺にもわけろ。助けてくれって叫べ。俺たちが、音速エアラインがどうにかしてやる」  だけど、大切な音八を、音速エアラインを巻き込むわけにはいかない。  眉尻を下げふるふる首を横に振ろうとすると、今度は両頬を抑え込まれる。俺以外目に映すなと音八に言われている気がして、ゆっくり目を合わせる。それは兄として、弟を慈しむ目。驚くほど優しいその瞳に自然と首を縦に振り、「助けて音八」と声に出さずに口にしていた。ふっと音八は口角を上げると、俺の額にちゅっと口づけを落とす。 「聞こえたぜ、三千留の声。どうにかしてやる。メラニンだかブルボンだか知らねぇけど、完全に目を覚ませてやるよ」  完全に目が覚めたのは音八のほうだ。この間まで、本当にやる気のない瞳をしていたのに、今の音八はどこまでも生気に満ちている。カルメンのことがすべて片付いたら、七緒となにかあったのか聞いてみようと心に決めて「カルメンだ」と真顔で訂正を入れた。 「それだ、カルメンだわ。とりあえず、近々ライブする。客は三千留とカルメンの二人だけだ。サイコーのライブにしてやるから、楽しみにしとけ」 「ああ、楽しみにしているぞ」  カルメンと対峙することに恐怖がないかと言われたら、ある。けれども、俺には音八が、音速エアラインがついている。どんな状況になろうと、何度だって立ち上がれる気がした。音速エアラインの曲はいつだって這い上がろうとする男たちの歌だから。  ぽつぽつと、窓に雨が当たる。嵐の訪れか、恵みの雨か――どう考えても、恵みの雨だと笑った。

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