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王に唄えば_03

「今から歌うのは、俺の王様へ捧げる歌だ。だけど、カルメンにもどうか最後まで聞いてほしい。俺のことを愛していると言うのなら、俺の気持ちから逃げないでほしい。向き合ってほしい――Sing for the King」  カルメンの横顔からは表情を読むことはできない。ダークブラウンの瞳はいつもどおり闇に染まっている。  千昭からの言葉はカルメンへ届いているのだろうか。どうか届いてほしい。今日のライブはカルメンと対峙するためではなく、向き合うためのものだから。  千昭が空へと合図を送ると、空は優しい笑みを浮かべ力強くも優しくドラムを叩き始める。隼人のギターもいつになく切なげに鳴き、音八は苦戦しながらも静かにベースを弾く。男臭いロックサウンドが多い音速エアラインには珍しく憂い帯びたラブバラード。そこかしこに俺が弾いた即興を匂わせている部分を感じながらも、こうも色気たっぷりに仕上げられるとは。 「本当は誰よりも泣き虫 今日も強さという王冠被り 民のため立ち上がるきみは 誰よりも確かに王様」  目を瞑ってイントロを聞き入っていた千昭が、ゆっくりルビーの瞳を俺に向け、まるでおしゃべりでもするように英語で歌い始めた。  千昭の前で泣いたことはない。おそらく。きっと。それなのに、どうして俺が泣き虫だとバレているのだろう。俺を泣き虫だと知りながら、千昭は俺を王だと認めてくれる事実が恥ずかしくて、嬉しくて、やっぱり恥ずかしい。眉を寄せながら千昭を睨むと、千昭が静かに笑った気がした。 「恐怖を前にしても 王様は怯まない 愛する民のためならば 死ぬことさえ本望だと笑う そんなこと俺が許すものか 今こそ叫ぶ時だ」  ルビーの瞳に涙が滲み、ゆっくり視線はカルメンへと移ろいだ。自然と俺も視線を追うと、カルメンの肩がかすかに跳ねる。けれども表情は変わらない。  ドラムの激しさは増し、ギターが呼応するように力強く声を上げる。必死に食らいついていくベースに、スタンドマイクを強く握り叫ぶ千昭。練習量が足りない上に、いつもと違うパートをしている二人がいる。それでも、四人の演奏は確かに俺の心臓を掴んで離さない。 「王様に迫る闇 手を繋いでトンネルへ逃げるのは もう終わりにしよう 王様の苦しみ悲しみを すべて光へ変えてみよう」  泣き虫だと歌われたからどうしたって泣くものかと必死に堪えていたけれど、ついに頬へと涙が伝った。一度流れてしまうと、とめどなく溢れて止まらない。声を上げて泣くことだけは避けたい。必死に唇を噛み締めた。  壁際でよかった。崩れ落ちそうになっても、背中を壁に預けることができるから。 「王様の盾になりたい 一人で泣いている夜 嬉しいことがあった朝 王様に寄り添う青い鳥になりたい 本当は恋人になりたい 王様を独り占めしたい 俺のことを自由で我儘だと笑ってほしい」  千昭がまるで祈るように歌う。  盾に青い鳥や恋人の件は要検討するとして、お前が笑ってほしいと言うのなら、笑ってみせようじゃないか。  震える唇を開いて、ゆっくり口角を上げる。きっと見るに堪えない不細工な笑顔だというのに、千昭は俺を見て微笑んでいた。  本当にどこまでも俺のための歌だ。聞いている俺が恥ずかしくなるほどに。カルメンはこの歌を聞いて苦しくなるかもしれない、悲しみに暮れるかもしれない、その末に怒り狂うかもしれない。それでも千昭は歌うことをやめない。音八たちも楽器を止めない。そうして、音速エアラインは全身全霊で走りきった。 「……ミチル、カルメン、聞いてくれてありがとう。初めて歌詞を書いたから本当に稚拙なんだけど、それでも俺にとってこの曲は一生宝物になる」  コンサートホールにわずかな静寂が訪れ、それを破ったのは千昭。拍手することすら忘れていた自分に驚きながら、千昭の言葉にこくこくと頷く。こちらこそ、俺のためにありがとう。俺にとっても宝物だ。 「っカルメンやめろ!」  微笑んでいた千昭の表情に戦慄が走る。  どうしたんだと目を丸めると、千昭が勢いよく舞台から下りる。はっとして振り向くと、カルメンが肩にかけていた赤い鞄から、ゆっくり包丁を取り出していた。  一気に涙が引いた。恐怖で震えそうになるけれど、どうにか両足で踏ん張る。だけど、カルメンはその包丁を俺に向けるでもなく、もちろん千昭にも向けない、俺でも千昭でもないならば、彼女は彼女自身を殺そうとしている――ふざけるな、俺の前で民を死なせてたまるかと地面を踏みしめて走り出そうとした瞬間、刃先が俺のほうへと向いた。それは俺を刺すための行為ではなく、確かな威嚇だ。これ以上近寄るなと力づくで示している。 「来ないでよ! どうか、一人で死なせてちょうだい……っ!」  来ないでと言われて、死なせてと言われて、はいそうですかと言えるほど非情な王にはなれそうにない。  じりじりカルメンと距離を詰める。ダークブラウンの瞳からは涙を流し、包丁を握りしめる両手はカタカタと震えていた。 「どうして、あの歌を聞いて死のうと思うんだ」 「私は、あなたに迫る闇なのでしょう? チアキに切り捨てられるくらいなら、自ら死ぬわ」  そうだな、お前は闇かもしれない。だけど、千昭はそのあとこう言ったはずだろう。  ズカズカ大股でカルメンへ歩み寄る。千昭が、音八たちが、俺の名前を呼んで止めようとする。だけど、止まるわけにはいかない。俺は王だ。民一人救えずにして、なにが王だ。光る刃先はとっくに怖くなくなった。

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