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 その男がこの界隈に来たのは、今から五年ほど前のこと。彼の母親がこの界隈で風俗嬢として働いたことで、彼がここに探しに来たのがきっかけだ。  彼には父親がおらず、物心ついたときから母親と二人っきりの生活が当たり前だった。  母は彼が生まれる前から、ここで仕事をしていた。もしかすると、彼の父親はここの客だった可能性もある。でも今になってはもう分からない事だった。  母は出勤時になると幼い彼を自分の店に連れて行き、仕事が終わるまで他の部屋で寝かせていた。  自宅とは違う暗い部屋の中。彼は母が戻ってくるのをそこで待った。  畳の上に敷かれた布団の上で目を覚ますと、遠くから笑い声と泣き声のようなものが籠もって聞こえてくる時がある。  恐怖で何度も母の元へ行きたいと、襖に手をかけたこともあった。それでも部屋から出なかったのは、母が再三言い聞かせてきた言葉があったからだ。 「どんなことがあっても、この部屋から絶対に出ちゃ駄目。私を困らせないで」  母に迷惑かけてはいけない。彼は布団の中で、一人恐怖と戦っていた。  そんな彼の元に稀にだが、その店の従業員と思しき人物が、世話を焼いてくれることもあった。お菓子をくれたり、話しかけてくれることもある。そのお蔭か、少しずつこの場所に対する恐怖は薄らいでいた。それでも孤独だけは、何処までもつきまとっていた。

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