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 さっきまでの穏やかな雰囲気は、もとからひび割れていたガラスみたいに一瞬で砕け散っていく。それも春夜の手によって、自らガラスを地面に叩き付けたようなものだった。  でも自分の選択は間違いではない。松原のような真面目な男が、自分のような人間には関わるべきではないのだから。 「今日は本当にありがとうございました」  春夜はそう言って、畳に手をついて頭をさげる。これで最後と暗に伝えるように、他人行儀を貫く。 「……別に構わない」  そう言って、松原は腰を上げるとトイレを借りると言って部屋を出た。春夜は膝の上で掌を握りしめ、揺らぐ感情を抑え込む。  本当は松原の言っていた、ベタという熱帯魚を見てみたかった。でもそれをしてしまうことによって、今以上の感情が湧いてしまうだろう。後で後悔するのは自分自身。  客との線引きはこの世界ではもっとも大切なことだった。お金を貰い、体で奉仕する。それがこの界隈に生きる人間の生き方だ。  俯いていると涙が溢れだしそうで、春夜は立ち上がり、棚に置かれている金魚鉢に近づく。  存在意義をなさないこの鉢は、今の自分にはお似合いだ。無駄な情ばかり押し付け、助けてくれた彼の役には立てていない。何も返せない自分は、やはり価値のない人間なのだろう。  金魚鉢の冷たい感触を指先でなぞっていると、松原が部屋に戻った。

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