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 ふわりとフレグランスの香りが鼻先を掠めていく。冷たいスーツの感触が頬に触れ、驚いて春夜の体が強ばった。 「泣かせるつもりはなかった」 「えっ……」  春夜は驚いて、僅かに顔をあげる。松原の指先が頬に触れ、自分が涙を零していたことに気がついた。 「本当だったら、毎日通って君を指名するのが、俺の取るべき誠意だと思う」  何が言いたいのか分からず、春夜は眉を顰める。 「でも俺は……飛び抜けていい給料を貰っているわけじゃない。だから頻繁には通えない」 「言っている意味がわかりません」  松原が何故、ここに通うことに固執しているのか分からなかった。  松原は小さく溜息を吐き出すと、意を決したように春夜をじっと見つめた。 「君が……他の男に抱かれるのが耐えられない」  呆気にとられ、春夜は言葉を失う。 「自分勝手だと分かっている。これじゃあ君に、仕事を辞めろと言っているようなもんだからな」  松原は春夜から視線を逸し、苦虫を潰したように口元を歪める。 「だから……ここに来るまでの間、凄く悩んだ。金魚を渡したらもう来るのをやめようかとも考えた。今も正直、君を抱くのを躊躇っている」 「勝手ですね」  悪態を吐き出す春夜に、松原は苦笑を漏らす。

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