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「……キミヨさんに初めて教わった料理なんです。煮物ぐらい作れなきゃだめだって言われて……」  酔いが回っているせいなのか、自然と口数が増えてしまう。 「母に……食事を作ることは多かったのですが、下手だったので……」 「君が話してくれた男の話は、君のことなんだろう?」  松原の問いかけに、春夜は迷った末に頷いた。お金を払っていない松原は、今日は客ではない。キミヨが特別扱いしたのだから、自分だって――と春夜は少し反抗心が芽生えていた。 「大変だったな」  松原の労るような言葉に、春夜は首を横に振る。 「……いえ。僕が何の役にも立てなくて、母が愛想を尽かしただけのことで――」 「それは違う」  松原はきっぱりとした口調で遮った。 「君は何も悪くない」 「えっ……」  松原は固い表情で、視線を落としていた。 「俺は君の全てを知っているわけじゃない。それでも君が苦労してきたってことぐらい分かる」  グラスを持つ、松原の手が微かに震えていた。 「……あなたが思っているほど、僕は同情されるような人間じゃないんです」 「そんなことはない」  断言するような口調で松原に言われ、春夜は少し可笑しくなって口元に手を当てた。松原に訝しげな視線を向けられても、笑みを引っ込めることができない。  松原は何も知らないから、自分にそんなことを言えるのだ。

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