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「あたしは忙しいんだよ。あんたにばかり構っていられないんだ。彼のところに行くなら、さっさと行きな」
襖に手をかけたキミヨに、春夜は「彼のところに行くつもりはない」と呟く。
「彼が来たら、もういないって断って欲しい」
キミヨが驚いた顔で振り返った。
「あんた、何言ってるんだい?」
「店は辞める。僕がここにいれば、彼は何度もここに来るだろうから……」
力なく笑みを浮かべて、キミヨを見上げた。
「彼は僕を幸せにできても、僕は彼を幸せにはできない」
布団の中で拳を強く握った。
これでいい。自分が離れさえすれば、彼も目を覚まして真っ当な人と恋をするはずだ。
自分には彼を幸せにする自信などない。与えてもらう一方の愛なんて、あっという間に終わりを迎える。
落とした視線の先に、金の刺繍の椿が淡く揺れていた。
「あんたは大馬鹿ものだよ」
襖を開け閉めする音。
自分が決めた事なのに、歪んだ視界が情けなかった。
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