3 / 22

第3話

「すみません‼」 「名取さんこそ大丈夫ですか?」 「し、白坂さん!?」  反射的に謝り、僕が見上げた先にいたのは白坂さんだった。  うわあ、目の前で見ると遠目で見るよりもより一層背の高さを感じるなぁ。  しかもテーブル越しで見るより男前だ。  自然と、口が半開きになってしまう。僕は、それをごまかすように口を手で抑えた。 「本当に大丈夫?気持ち悪いならトイレいきましょうか?」 「いえ。気持ち悪くはないんですけど、トイレ探してて。」  もしかして、口を手で抑えてるからそう思われたのかな?  僕は、慌てて口を抑えていた手を放した。 「トイレは、逆。案内しますよ。」 「え?はい。」  半開きの口のまま僕が返事を返すと白坂さんが歩き出したので、 3歩下がって、後ろについていった。  この距離感が僕にはちょうどいいのかもしれない。  太い首と広い背中、そして長い脚。  姿勢がいいので、後ろ姿だけでも男前オーラが漂っている。 与座さんにはの少し太ったて言われてたけど、このくらいの体格は全然ありだと思う。むしろ包容力があって、頼りがいがあるように見えるけどなー。  僕は、白坂さんが振り向かないのをいいことに半開きの口を手で抑えたままじっくりと上から下までを堪能しながら歩いた。   「名取さん、トイレ着きましたよ。」 ふいに彼が、トイレの入り口で立ち止まった。  ドンッ。  あまりにもぼーっとしすぎていたせいで、彼の背中に突進してしまった。  広い背中は本当に壁のように固くて、僕は勢い余って、その場で尻餅をついてしまった。  「大丈夫ですか!?」 即座に彼が振り返り、中腰になるとさっと僕の前に手を差しのべた。  「だ、大丈夫です。いてっ」 一人で、立ち上がろうとしたもののうまく力が入らず僕は再び床に尻餅をついた。しかもそのときに与座さんに叩かれた場所も床に触れたので、痛みに顔を歪めた。 「本当に大丈夫ですか?どこか痛めました?」 「あの、いえ。さっき与座さんに叩かれたとこを床に今ぶつけてしまって痛いなーって思っただけです。決して白坂さんにぶつかったからとかじゃないから安心してください。与座さんが悪いんです。」 「ああ。さっきのやつか。周りに誰もいないし、今なら、俺の手に掴まっても恥ずかしくないですよ。痛いなら起き上がるの大変でしょ?ほら。」 「は、はい。」 僕は、目の前に差し出された大きな掌に吸い込まれるように自分の手をそれに重ねた。すると長くて太い指が僕の手を捕らえるとぐいっと力強くゆっくりと僕の体を引き上げた。   「ありがとうございます」 僕が立ち上がるとその手はすぐに離れたけど、僕の右手には彼の大きくて力強い手の感触の余韻が残っている。 「名取さん、背中痛いならいいもの貰ってきたんで、個室行入りましょう。」 「はい。あの、えーと…。」 白坂さんの提案に合点がいかなかったけど、僕は彼についていった。 バタン。  白坂さんに連れられて一番奥の個室に僕たちは入った。  入るとき、トイレの外には誰もいなかったとは言え、密室でふたりっきりは、本当に心臓に悪い。 「あの……?」 トイレを挟んで対峙し、僕は不安げな眼差しで彼を見上げた。 「名取さん、すみません。いきなり連れ込んで怖がらせてますよね?」 「いいえ。そういうわけではないんですけど…。」 「実は、名取さんにこれ使ってほしくて、店員さんから貰ってきたんです。渡すだけにしようと思ったんですが…。」 白坂さんがジャケットのポケットから取り出したのは、ビニール袋に個装されたおしぼりだった。 「えーと…?」 ポカンとした顔で彼を見上げた。 「ほら、さっき与座さんに叩かれたところ冷やしてもらえたらと思って。これ貰いにいったついでに空調も下げてもらってきたから戻った時には個室の温度もちょうどいいかも。うちの室町さん、代謝がいいから暑がりなんです。」 「ああ。だから白坂さん、いつの間にかいなくなっていたんですね。こっちの与座さんも暑がりですよ。6月に入った途端、真っ先に半袖になってましたよ。」 「確かに与座さんは暑がりっぽい。名取さんは?」 「僕は、どちらかと言えば寒がりです。」 「そっか。じゃあ、寒がりの名取さんには申し訳ないけど、後向いてくれる?おしぼりで背中冷やすから。」 「いいですよ。自分でやりますよ。」 「いいから。いいから。せっかく一緒に個室に入ったんだし、やらせて下さい。」  ぺりっ。  彼が、ビニール袋を破り、おしぼりを取り出した。 「ほーら。見てないで後ろ向いてて下さい。」 「は、はい…」 八重歯見せスマイルで言われ、僕は、口が半開きになるのを隠すように後ろを向いた。  すると白坂さんがゆっくりと一歩ずつ僕に近づいてきた。  背中でそれを感じながら、僕の脈が早くなっていく。  「名取さん、少し後ろ捲らせてもらいますね」 優しい声音で言って、そっと彼の手が僕の衣類を背中辺りまで捲り上げた。  与座さんにさっき捲られたときは恥ずかしいし、すごく嫌だったけど、今こうして白坂さんに捲られるのは、恥ずかしいけど不思議と嫌って感情が湧かないな。  第三者がいる場じゃないからかなぁ。  それとも与座さんみたいにガバッて感じじゃなくて、白坂さんはちゃんと気遣ってくれて、捲り方も優しいからかな。 「これ本当に結構痛そうですね。まだ手形ぽい跡が赤くついてる。」 「はい。まだジンジンしてます。あのとき本当に泣きそうそうなくらい痛かったんです。だから、さっき床に触れたとき思わず声出ちゃいましたもん。」 「ああ。これだけ赤ければ確かに触れるだけで痛そうですね。与座さん悪い人じゃないから許してあげて。」 「それは、僕もまだ2か月ちょっとだけど、毎日会ってるんで分かります。」 「まあ、名取さんが分かってるならいいんですけどね。さてと背中におしぼりあてるから冷たくてもびっくりしないで。痛かったらすぐに止めるから。」 「はい。」  「ひゃっ…ぁ。気持ちいです、それ」  僕の返事と同時に僕の背中に冷たい感触が押し当てられた。  僕は壁に額をつけ、一瞬痛みを感じたけど、すぐに背中に触れるひんやりとした感触の気持ちよさにうっとりと目を閉じた。 「そんなにいい?変な声出てるよ。」 「はい。白坂さんの当ててる場所がちょうどよくって。って、僕変な声出してました?」 「出してましたよ。『ぁ』って、声が。」 「ええ!?」 楽しそうに説明する彼の声を聴きながら、僕は頬を赤らめた。 よりによって白坂さんの前でそんな声出しちゃうなんて、穴があったら入りたい。  「与座さんの気持ち分かるな。名取さん、本当にリアクションが素直でいいですね。うちの室町さんも名取さんの事相当気に入ってますよ。」 「リアクションが素直って、言われても全然嬉しくないですよ。それって、ごまかしができないとか子供っぽいとかって意味じゃないですか?なんかバカにされてるような気分です。」 「そんなバカになんかしてませんよ。俺、自分が素直に感情を表に出すタイプじゃないので、名取さんみたいなかわいげがあるタイプは正直言って羨ましいですよ。」 「え?羨ましいだなんて白坂さんにそういうこと言われるなんてすごいビックリしています。 だって、白坂さんて背が高くて気遣いができて笑顔も素敵で仕事もできそうな感じで、完璧だって思うんです。それに比べて僕なんてちびだし暗いしひとに羨ましがられる要素なんて全然ないですよ。先月23歳になったんですけど、まだ彼女もできたことないんです。」 「名取さんは俺の事買い被りすぎです。俺は、話ベタだからこういう飲み会のときに手持ち無沙汰のあまり動いているだけだし、別に気遣い上手って訳じゃないですよ。 自分にとっては、負の要素でも他人にとっては正の要素に映ることなんてよくあるんです。俺が名取さんの素直さとかわいさを羨ましいと思うようにさ。今まで名取さんに彼女がいなかったのは、たまたま縁がなかっただけだと思うけどな。それとも名取さんが気づかなかっただけで、実は名取さんに想いを寄せているひとはいるかもしれないですよ。」 「そんなこと絶対ないです。白坂さんの方こそ合コンなんて来なくてもモテそうなのに。」 「いやいや。俺、全然モテないよ。今日ここに来たのは、室町さんにひとり急に来れなくなったから、お前来いって半ば強制的に来たんですよ。正直言って合コンって得意じゃないから、なくなって俺はほっとしてます。」 「僕はせっかくのチャンスがなくなってしまったのが、残念です。でも…」 「でも?」 ひゃー。うっかり『今日、白坂さんにお逢いできたから、合コンが中止になったのも悪くなかったです。』て、言いそうになっちゃたよ。 やばいやばい。さすがにこの発言は、勘違いされちゃいそうだもんね。  あくまでも、僕がなりたい理想像って、だけなんだから。白坂さんもSAKUさんも。  「いえ。なんでもないです。白坂さんて今、彼女いらっしゃるんですか?」 ブンブントと頭を振った。 「いないよ。さすがに先輩からの強制だからって、彼女いるのにこういうところには来ないよ。さてと赤いの消えてきたからはずしてもいいですか?」 「あ…はい。本当にあっという間によくなった気がします。ありがとうございます。」 「そう。それは良かった。」  彼は、僕の背中に当てていたおしぼりをそっと退かした。途端に背中から、ひんやりとした感触が消えた。そして、シャツの裾がぱさりと降りた。  背中の痛みはほぼ消えたけど、背中越しだからこそ緊張しないで話せた彼との時間が終わってしまうのはなんだか寂しい。 「白坂さん、まだドア開けないで下さい。すぐにシャツ直すので待ってもらってもいいですか?」 「大丈夫。引き止めなくてもすぐにはでないですよ。」 「あの、もし先輩方に遅いって言われたら、僕の事を介抱してたって事にしませんか?」 「そうですね。それが良さそう。」    カチャカチャ。  僕は後ろに白坂さんの気配を感じながら、ベルトを外し、シャツの裾をスラックスに閉まっていく。そして、最後にベルトを締めようとした。  「ぁ…」  ドドドドドド~♪  しかし、店内のBGMからLOOPofLOOSEの『雷鳴』のドラムソロから始まるイントロが流れ僕は動きを止めた。  この曲は、1曲だけヒットしたバラード調の『春音』という曲のカップリングであり、インディーズの頃からライブでは歌われていたハードなロック調の曲である。  イントロのドラムもサビのSAKUさんの低音ボイスとボーカルの畳み掛けるような掛け合いもとにかくかっこよくて、僕がSAKUさんに惹かれるきっかけになった曲でもある。  当時はライブで毎回生で聴く度に鳥肌が立ったものだった。白坂さんの声を聴いてからはアラームにしている。  まさかこの曲を外で聴けるとは、お店が選んだ有線グッジョブって感じだよ。   「あの、外に出るの。この曲が終わってからでいいですか?」 「…ああ。構わないよ。」 SAKUさんにそっくりな声で反応鈍く返事が返ってきた。 「僕、この曲すごい好きなんです。春音の方は一時期有線とか外で流れてて聴く機会がありましたけど、カップリングの雷鳴を外で聞いたのなんて初めてで、すごい今嬉しくて。この曲って、もう、イントロのドラムもサビもすごいかっこよくて、よくドラム叩きながらあんなにテンポ早くて力強い曲が歌えるなって毎回生で見るたびにすごいなっていつもライブで聞くたびに思ってて。とにかくすごい好きなんです。」 「……。」  今、僕の中で白坂さん=SAKUさんだという錯覚が起こってて、背中越しに曲を聴いた勢いのままに僕は熱弁した。 白坂さんは無言のままだ。  どうしよう。無反応だけど、僕がウザすぎて引かれてる? 「…すごいを連呼してるけど、よっぽど好きなんだな。」 少しして、白坂さんが呟くように言った。 「はい。多分、一番聴いてる曲です。この曲アラームにしてるんです。」 「ホントかよ。今でも聴いてくれてるんだ。」 「はい。」 僕は、満面の笑みで返す。   うわあ。今の砕けた言い方すごいエルエルのラジオの時のSAKUさんぽい。  それよりも、今『聴いてくれてるんだ』て、言ったよね?  これって錯覚じゃなくて白坂さん=SAKUさんご本人様確定ってこと? 心と情報が慌ただしくて息切れしそうだよ。。   ホント当時の『好き』が蘇ってくるみたいだ。  ラジオでSAKUさんにメールを読まれたときは何回もその回を聴いたり、ファンレターも何回も書いたっけ。  解散を知った時は、ハンマーで頭をガツンと殴られたくらいショックだったし、解散ライブに行った時も一晩中泣いたなぁ。  僕の生活はそこから色が消えて、そして、就職して白坂さんの声に出逢って、些細な幸せを感じられるようになって。     走馬灯のようにいろんな事を思い返しているうちに曲が終わりに近づいてしまった。 ドドドド……シャン。 この曲は、ドラムで始まりシンバルの音で簡潔に終わる。 「名取さん、曲終わったし出ましょうか?」 「はい。あの、えーと…」 白坂さんの口調が元にもどってしまったことに寂しさを感じつつも僕は、白坂さんにSAKUさんかどうか聞いてみようと振り返った。  ブルブルブル。 僕と白坂さんのスマホが同時に振動した。 「あのふたりだったりして。」 「…ぽいですね。」 せっかくのチャンスが、スマホのバイブ音のせいで台無しになってしまった。  でも、これって、今では一般人として暮らしてる白坂さんには、聞かれたくない事だったのかな?だから、神様が止めたのかもしれない。触れちゃダメだよって。 「名取さん、室町さんからラインで『白坂、名取くん戻ってこないんだけど会った?どこかで泣いてるかも』だって。すごい心配されてますね。」 「こっちは与座さんからです。『さっきは本当に悪かった。』ですよ。僕なんだかすごく子供扱いされてるようなきがします。」 「まあ、かわいがられるのは悪い事じゃないですよ。」 「そうかもしれませんけど…。」 「戻りましょう。そのまえにベルト締めような。」 「あ…。」 ひゃー。曲に夢中になりすぎて、ベルト締めるのすっかり忘れてたよ。  僕は、顔を真っ赤にしながら慌ててベルトを締めた。

ともだちにシェアしよう!