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第2話
「すみません。遅くなりました。」
颯爽と現れたのは濃紺のスーツに淡い水色のシャツ、茶のネクタイに身を包んだ男性だった。
少し低めだが、快活さのある声が、室内に響く。
え!?
待って。待って。待って。
この声って?
しかもこの姿形。
思考が追い付かない。
確かにこの声の主も日野キャンバスの職員だけど…。
「おお。白坂お疲れー。お前少し大きくなった?」
「背は変わらないと思いますが、少し太りました。」
その人は苦笑いを浮かべた。
「がはは。だよなー。まだ女性陣来てないから、とりあえず室町の隣に座っとけ。席替えは2対2で分かれて座るようにすっからさ。」
あ”あ“~、やっぱりこのひとが白坂さんなんだ。
これって、悪い意味でのショックではなくて、いい意味ですごくショックだ。
短く刈り上げた髪、太いフレームの黒縁メガネの奥の瞳は切れ長で鋭くどこか色気があり、すっと通った鼻筋、くっきりとした喉仏、スーツの上からでも見てとれるがっしりとした体躯は、まさに自分がなりたい男性像そのものだ。
目が自然と彼を追ってしまう。
背筋が、しゃんと伸びていて、歩く姿すらも格好いい。
それだけじゃなくSAKUさんが、髪の毛をバッサリ切って眼鏡を掛けさせたらきっとこんな感じなんだろうな。と、想像できる容姿なのである。
ヤバイ。声だけじゃなくて容姿も似てるなんて。
僕の心臓がバクバクと音を立て始めた。
「あっ、すみません。挨拶が遅れて。名取さんですよね?初めまして。日野キャンバスの白坂です。」
僕の真正面に座りがてら、白坂さんが微笑み僕にペコリとお辞儀をしてくれた。
ちらりと覗いた八重歯が、人懐っこさと爽やかさを醸し出している。
八重歯があるとこもSAKUさんと同じだ。
「ひゃ、ひゃい。名取です。初めまして。本日はお忙しい中来てくださり…。」
僕は、両手をグーにしたまま立ち上がり、緊張で声を上擦らせた。
「名取さん、わざわざ立たなくても大丈夫ですよ。座ってください。」
「名取、お前が座んないと白坂が座れないさ。」
「あ…すみません。」
「いいえ。」
与座さんに言われ、やっと僕は白坂さんが立ったままだと言う事に気づき、慌てて座ると白坂さんは、八重歯をちらりと見せて穏やかに微笑みながら席に座った。
「お前なぁ。白坂に人見知り発動してどうするさー。白坂は男だぞ。本番はこれからなんだからさ。リラックスリラックス。」
「そ、そうですね。」
与座さんが、僕の緊張を解すように両肩を揉んでくれると与座さんの目を見て、ぎこちない笑みを返した。
「そっか。この間の飲み会の時白坂いなかったから、名取くん白坂とは初対面なんだね。」
室町さんが、頬杖をつき僕を見つめた。
「はい。お名前は存じてるんですけど、会うのは初めてです。」
「でもさ。名取くんって俺と初めて会ったときは普通じゃなかった?こんな白坂みたいに緊張してなかった気がするけど?」
「身長制限があんだよ。180cm以上に発動すんの。だから、室町は全然Okだったてわけさ。」
与座さんが、口を挟む。
「マジかー。俺180cmなんだけど?」
「ええ!?そうだったんですか?」
「名取、マジで驚くな。お前はホントに天然だな。俺で173cmなのにどう見てもこいつは、それ以下だろうが。」
「あ…。」
思わず室町さんと白坂さんを見比べてしまった。
明らかに厚みも幅も背の高さも違う。
でも、背はあまり高くないけど(とは言っても僕よりは高いけど。)
室町さんは、いつ見ても顔もちっちゃいし、細マッチョイケメンだ。
性格も明るいしピンクのシャツとグレーのベストも似合うし彼女には不自由しなさそうには見える。
「名取くん、ひどい。今、白坂とくらべただろ?憐れむような目で俺を見ないでよー。俺だってせめてあと10cmは伸びたかったよ。10cm伸びたとこで白坂に追い付かないけど。」
室町さんが、わざとらしく肩を落とす。
「ガハハ。名取のそう言う正直なとこいいわぁ」
「すみません。確かに見比べちゃいましたけど、僕、憐れんだりはしてないですよ。ホントですって。室町さんかっこいいから背なんて気にしなくても…。」
「ガハハ。名取、フォローになってないって。」
縮こまる僕の声を掻き消すように与座さんの豪快な笑い声が高らかに響いた。
ジージー。
その時、与座さんのスマホがテーブルの上で振動し、彼がそれを手にとると即座に表情を曇らせた。
「うわあ。マジさ。」
「与座さん、どうしたんすか?」
「蘭子からなんだけどさ。雷鳴って電車止まってるから来れなくなったてさ。」
「マジすか。今日は3か月ぶりだったのになぁ。めっちゃヤれる気がしてたのに。どんだけ降ってるんだか…」
室町さんは、不満を口にしながら、側にある小さい障子を開けた。それを開けると小窓があり、彼はその鍵に手をかけた。
「なあ?白坂ここの窓さ。ロック固くて開かないんだけど?お前やってみて。」
後ろを振り向き、白坂さんの肩を叩く。
「はい。」
白坂さんが、室町さんに近づき後ろから腕を伸ばし、鍵に手を掛け、
「ああ。確かに固いですね。よっと。あ、鍵開きましたよ。」
ロックをはずすと少しだけ窓を開けた。
その瞬間、窓の向こうからびゅんびゅんという強い風の音と共に雨が室内に入ってきた。
「こりゃヤバいな。白坂、早く締めて。」
「はい。」
与座さんの声と同時にすぐに白坂さんは、窓を閉め、ロックも閉めた。
「白坂、サンキュー。今のマジヤバっすね。俺、傘持ってきててよかったぁ。お三方は持ってきてます?」
室町さんが、ハンカチで雨で少し濡れた顔と髪を拭きながら言う。
「俺、傘持つの好きじゃないから、家出たときに降ってる以外は持たない主義なんだよ。どうせ帰るだけだし、駅までダッシュするさ。どうせ明日は、休みだしさ。」
「しかも予定もないですもんね?」
室町さんが、ニヤニヤしながら、与座さんを見る。
「室町、お前だってないだろ?」
「俺は、与座さんと違って今日のために空けてたんです。だって、時間の事を考えてヤリたくないじゃないですか。ここ最近は、彼女いないから空いてる時間にジム行っててそしたら、体力もついたし結構いい感じに仕上がっちゃって。よかったら、見ます?」
「見ねーよ。男の裸なんて興味ねーさ。」
「あはは。ま、そうですよね。白坂は?」
「俺も遠慮しておきます。」
「じゃなくて、傘持ってたっけ?」
「ああ。俺も傘持ってないですよ。急いで来たんで、車から出してくるの忘れたんです。」
「あの、白坂さん、僕、折り畳みだったら持ってきてます。駅までだったらよかったら…」
白坂さんの言葉に即座に僕は、反応してしまった。
「名取さん、ありがとう。折り畳みに大の男ふたりじゃどっちも濡れちゃうしね。気持ちだけ頂きますね。名取さん、病み上がりなんだから濡れたら大変ですよ。」
白坂さんは、八重歯を見せながら、僕に笑みを向けてくれた。
「そ、そうですよね。すみません。」
またしても白坂さんに気遣われてしまったよ。傘は断られてしまったんだけど、なんだか気持ちはほっこりしてる。リアルで逢っても白坂さんって優しい人だなぁ。ニヤニヤしたい気持ちを僕は、必死になって抑える。
「じゃあ、俺の事いれてってよ。」
余韻を壊すかのように与座さんが口を出してきた。
「与座さんをですか?さっき、傘差さない主義だっておっしゃいませんでした?」
「言ったけどよぉ。合コンつぶれたからって、俺に冷たくないか?」
「そういうつもりじゃないですけど…」
僕は、スマホに目を落とした。
ちょうどお天気の速報のメールが入ってきていて読むと、局地的な雨と雷で各地で電車に影響が出ているみたいだ。一瞬しか窓は開けなかったけど、雨風の強さは確かにすごいものがあったし、交通機関に影響が出ているのは納得がいく。
でもさ、雷まで鳴るなんて最悪だ。
何せ僕は子供の時から雷の音が嫌いで、未だに夜中に鳴っていると怖くて眠れなくなってしまうのである。
「与座さん、ここって3時間でしたっけ?」
「おう。もしかしたら、3時間後には止むかも知れねえし、この際雨宿り兼ねてヤローだけで飲むしかねえさ。」
「…まあ。そうっすね」
室町さんが、溜息交じりに電子煙草を手に取り、口に銜える。
「はい…。」
「室町も名取もあからさまにテンション下げんなよ。また近いうちに段取り組むからさ。」
「おねがいしやす。って、室町が言ってたって蘭子さんに伝えてください。」
「はいはい。」
与座さんが、スマホ画面を見ながら、返信らしきものを打つ。
室町さんの場合は、女の子に会えないからなんだろうけど、僕のテンションの下がりっぷりは、雷の方が比重が大きい。
「最初は何飲みますか?」
空気を変えるように白坂さんが、さっとメニュー表を広げてそれを中央に置いた。
「まあ、つつべこべ言っても仕方ないか。俺、とりあえずビール。」
室町さんは煙草を一旦元に戻し、メニュー表に目を向ける。
よかった。表情が元に戻ってる。
「俺も生。」
「え~と、じゃあ僕もビールお願いします。」
僕は、サワーとカクテルの欄を軽く目を通してから、ビールを選択した。
「生ビールが4つですね。」
そして、白坂さんが呼び出しボタンを押し、店員さんに注文を伝えた。
間もなくして、飲み物が運ばれてくると白坂さんが即座に反応し、奥の席から順に渡していく。隙のない動きに僕は、感心しながらそれをただ眺めているだけだ。
「それでは、とりあえず乾杯~。今日も一日お疲れさまでした。」
「「「お疲れ様です。」」」
与座さんの音頭で僕たちは乾杯し、ビールを喉に流し込んだ。
正直言って、ビールは苦手である。でも、なんとなくビールをぷはぁって、美味しそうに飲む姿が、僕の中の理想の大人の男性像のひとつにあって、外で付き合いで飲むときはビールになってしまうのだ。それともう一つの理由はSAKUさんがビール好きだというのも大きい。
苦味には慣れたけど、おいしいとは未だに僕は思えない。
「室町もう飲んだのかよ。初っぱなからペース早すぎ。」
与座さんが、ポケットから煙草を取りだし口に銜える。そして、スラックスのポケットを探りライターを取り出した。
「女の子来ないなら、飲むしかないっすから。」
「間違っても店内でナンパするなよ。」
カチ。
「まさかそんなことしないですよー。隣は女子大生の女子会ぽいですけど。」
「お前、女子大生なら毎日見てるだろ?」
「それとこれは別です。」
「そうかよ。…あれ?」
カチカチカチ。
与座さんが、煙草にライターで火を点けようとするが、音が鳴るだけで、火がなかなか点いてくれないようだ。僕は、煙草を吸わないのでライターを持ってない為貸すことができないのがもどかしい。
「与座さん、ライターよかったら、俺の差し上げます。俺、もうひとつ持ってるんで。」
「おう。悪いな。」
白坂さんがジャケットのポケットから煙草の箱を取りだし、中からライターを抜いた。そして、煙草の箱をテーブルの端に置き、ライターは、前に差し出した。
あ、このターコイズブルーの箱、雑誌で楽屋裏の写真が載っていた時に見たことあるやつだ。白坂さんて吸ってる煙草の銘柄もSAKUさんと一緒なんだ。
思わず白坂さんが吸っている煙草の箱に見いってしまった。
「…取さん、名取さん、悪いけどこれ与座さんに渡して。」
「あ、は、はい。すみません。」
白坂さんに呼ばれて僕は、はっと我に帰った、どうやら目の前に差し出されたライターに全く気付いてなかったみたいだ。
僕は慌ててライターを白坂さんから受け取り、与座さんに手渡した。
「名取、もう酔い回ってるのか?」
「い、いえ。違います。」
「与座さん、名取くんて普段もボーッとしてんですか?」
室町さんが煙草を吸いながら、にこやかに聞く。
「ボーッとはしてるけど、仕事は確実だぞ。ボーッとしてるなって思ったら、いつの間にか俺が頼んだ事はちゃんと終わらせてるしさ。な?名取。」
バシン。与座さんが、僕の肩を叩いた。
彼にはよく肩を叩かれるけど、加減知らずだから、特にアルコールが入っているときは特に痛い。
「与座さん、誉めて頂けるのは嬉しいんですけど。それ痛いですよ~。」
「何?何?痛いのが嬉しいの?」
「違います。嬉しくないです。」
僕は、彼の手を振りほどくように叩かれた方の手でジョッキを持つと残りのビールを飲み干した。
「あーあ。名取くん、怒らせちゃいましたね。」
「室町さん、僕別に怒ってるわけじゃないですよ。」
「なんか与座さんがかわいがってるの分かるかも。反応がいちいち素直でいいよね。うちの白坂はかわいくないから。」
「室町さん、俺にかわいさ求められても困ります。」
白坂さんが、口をつけていたジョッキを下ろし、
「ほら、店員さん来ましたよ。空のジョッキ下さい。」
さっと手際よく自分のと一緒に皆の空になったジョッキやお通しの入った小皿を回収し、端にそれらを重ねて寄せた。
「失礼致します。料理お持ち致しました。」
ちょうど空になった器をまとめ終えたところで、襖を開けて、店員さんが入って来た。
「すみません。飲み物の注文いいですか?」
「はい。」
店員さんが、料理をテーブルに並べ終えたところで、白坂さんが声を掛けた。
「名取さん、何飲みますか?」
「えーと、ビールでいいです。」
「了解。」
「生を4つお願いします。それとこれも持っていって下さい。」
「かしこまりました。恐れ入ります。」
店員さんは、空の器をトレイに乗せると去って行った。
「ガハハ。確かに白坂は、かわいくはねえな。」
店員さんがいなくなった途端与座さんが、豪快な笑い声をあげ、腕毛をファサファサさせながらビールを煽った。
2人ともひどいなぁ。白坂さんが黙って聞いてるからって彼の事悪く言って。
もぐもぐ。
僕は、ローストビーフのサラダを皿に乗せ、口に頬張り、3人を眺める。
「でも、白坂は白坂で置いておくと便利そう。力仕事いけるだろ?プロジェクターなんかの機械操作系も得意だって、飯田教授から聞いてるよ。高いところにも手が届くし講義のときに置いておくと便利だって。」
「あはは。ちょっと場所取りますけど便利っちゃ便利ですね。」
「ちょっと先輩方、ひとをモノ扱いしないで下さいよ。ね?ひどいと思わないですか、名取さん?」
「え?」
急に話を振られて、白坂さんの顔をぽかんと口を開けたまま見つめてしまった。
同意したいんだけど、緊張しすぎてうまく言葉が出ない。
「名取~、今日はボーッとする回数多くないか?もうちょっと男らしくシャキッとしようさ。」
バシン。
与座さんが、僕の背中を思いっきり叩いた。
手形ついちゃってないかな?てくらいに痛い。めっちゃジンジンする。
僕は背中を擦りながら、若干涙目で与座さんを見た。
「与座さん、今のはホントに痛いです。」
「痛そう。名取くん、かわいそう。今のやつこっちにも音聞こえましたよ。」
「名取、ごめん。今のは、やり過ぎた。背中大丈夫か?見せてみ。」
与座さんが、僕の背中側のシャツの裾をスラックスから出そうと手を伸ばしてきた。
「大丈夫です。だから、シャツ捲ろうとしないで下さいよー。」
「いいだろ。背中くらい。」
僕は、与座さんの腕を掴んで、必死で拒絶する。男同士とは言え、背中を見られるのは、なんだか恥ずかしい。修学旅行で、みんなで温泉に入るのも苦手だったくらいだ。
それなのに与座さんは、僕の気持ちなんてお構いなしに簡単に僕の手を振りほどくとシャツを思いっきり捲りあげた。
「うわぁ。マジで手の跡ついてる。つーか、名取ほっせーな。あばら骨浮いてんぞ。ちゃんと飯食えよ。」
「余計なお世話です。早く僕の背中見たなら、戻してくださいよ。」
僕は、俯いたまま顔を真っ赤にして抗議する。
今、きっと白坂さんにも室町さんにも僕の背中見られてるよ。恥ずかしくて穴があったら、入りたい。
「あはは。与座さん、早くシャツを戻してあげてくださいよ。名取くん今にも泣きそうですよ。」
「ごめんな。名取悪かったよ。今日の飲み代は全部俺が払うから勘弁してくれ。だから泣かないでくれ。」
与座さんが、やっと僕のシャツから手を放してくれた。そして、僕の前で両手を合わせて頭を下げた。
別にそこまでしてほしかったわけじゃないんだけどな。そもそも僕泣いてはいないけど。
「与座さん、頭上げてください。僕、泣いてないですから。室町さんも余計な事言わないでくださいよー。」
「おお。そうか。」
「あはは。名取くんに怒られちゃった。それにしても注文来るの遅いっすね。」
与座さんが顔を上げた。室町さんは、煙草を吸いながら僕たちを眺めてニヤニヤしている。
あれ?白坂さんがいつのまにかいなくなってる。
僕と与座さんがシャツの攻防を繰り広げていた時はたしかにいたはずなんだけど。
「あの、白坂さんは?」
「注文来るの遅いから見に行ったとか?」
「室町、よく仕込んでなー。」
「ひどいっす、与座さん。白坂には仕事しか教えてないですよ。それ以外の事は元々あいつ身に付いてるんで俺は黙ってあいつに身を委ねるだけっすよ。」
「できたパシリだな。」
「そうっすね。泥酔しても介抱してくれるんで助かります。」
室町さんが得意気に言いながら、シャツの袖のボタンを外して袖を捲る。
「僕、シャツ直しにトイレ行ってきます。」
「おお。本当ごめんな」
僕は、背中で与座さんの声を受け止め、個室を出た。
トイレって、右でいいのかな?
ドスン。
分かりづらい矢印を頼りにトイレを探して上を見上げながら店内を歩いていると誰かの肩にぶつかってしまった。
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