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第6話
二人がいなくなり、一気に静寂が訪れた。
白坂さんは、室町さんが、いなくなるとすぐに自分の席に戻った。
やっぱり10cmとかそれくらなんだろうけど、斜め前と真正面だと距離感がだいぶ違って見える。近くなのは嬉しいけど、緊張しちゃうな。
しかも今は、この部屋には白坂さんと僕しかいない。
「名取さん、先輩方の頼むけど、何飲みますか?」
「ビールで。」
「了解。」
白坂さんが、呼び出しボタンを押すと間もなくして店員さんがやって来て、オーダーを取るとすぐに部屋を出ていった。
「名取さんて煙草吸わないんだ?」
「はい。あれ?白坂さんは吸われないんですか?煙草置いてますけど。」
見ると、白坂さんの側に置いてある灰皿は空のままで、テーブルの端に置いたターコイズブルーの煙草の箱も最初に置いた場所のままだ。もしかして、僕が煙草を吸わないから、気を使ってたのかな?たまたまかもしれないけど。
「ああ。吸うよ、たまにね。吸っても平気?」
「はい。別に僕の事なんて気にせず吸ってください。」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて吸わせて貰うね。」
白坂さんは、リュックから青いZIPPO を取り出した。
あ、見たことあるやつだ。ファンクラブの会報で煙草と一緒に映ってて、当時煙草も吸わないくせに同じのをネットで買ってニヤニヤしばらく眺めてたっけ。たしか実家にまだ置いてたはずだ。
懐かしさと本物だって言う感動で泣きそうだよ。やっぱご本人様だよね?
僕は、じっと真正面の白坂さんの一挙手一投足を食い入るように見つめる。
彼は、煙草の箱を手に持ち、テーブルに底の部分をトントン軽く叩いてから浮き出た一本をおもむろに口に銜えると慣れた動作でライターで先端に火を着けた。
そして、目を閉じ、煙草を一旦唇から放してから煙を少し横に反らして、吐き出す。
ただ煙草を吸うだけの所作なのに色気があって、煙草の匂いとか煙は苦手だけど、目が心ごと吸い込まれてしまう。
思わず口が半開きになり、僕は口を手で抑えた。
「名取さん、悪い。たばこの煙そっち行った?」
白坂さんが瞼を開け、煙草を灰皿に置いた。
「あ、いえいえ。そういうわけじゃないです。」
僕は、慌てて口から手を離した。さっきもそれで具合が悪いって勘違いされちゃったもんなぁ。
見とれると口が半開きになる癖って、なんとかならないかなぁ。
ならないよなぁ。だって無意識なんだもんな。
「そう。それなら良かった。」
もう一度、彼は、煙草を手にすると、入り口側を向いて煙を吐き出した。
うわぁ。やっぱいいなぁ。煙を吐くときに一瞬だけ瞼を閉じる仕草。
雰囲気がいいんだよなぁ。大人の男の色気が駄々漏れてる感じがたまんないなぁ。
今度は、口が半開きにならないようにぎゅっと力を込めて口を閉じた。
「名取さん、俺の顔見すぎ。見られると吸いづらいですよ。もしかして、俺の顔に何かついてる?ケチャップとか。」
「すみません。違います。違います。僕じゃあるまいしSAKUさんがケチャップなんてつけるわけないです。」
僕は、全力で顔の前で両手を振って否定する。
「今…」
呟くように白坂さんが言って、煙草を再び灰皿に戻した。
なんだろ?僕何か変なこと言ったかな?
「名取さん、俺の事名前で呼びましたね。」
チラリと八重歯を覗かせ微笑んだ。
「え?え?言ってないです。言ってないです。そもそも僕、白坂さんのフルネーム知らないですし。」
「言ったって。朔 さんって。俺の名前、白坂朔。」
ひゃー。
そういわれれば、僕ってばうっかり白坂さんの事をSAKUさんって呼んじゃったかもしれない。
でも、でも、それじゃあやっぱりSAKUさん=白坂さんってこと?そうだとは思ってたけどさ。だからって、ご本人様に言われてしまうのは心の準備ができてないよ。
「あ…言いました。でも、それは…白坂さんのお名前を知ってたからじゃなくて、その、えーと…。SAKUさんが…ああ、また言っちゃった。白坂さんが、僕が前に好きだったバンドのドラムの方にすごいそっくりで、だから、その、つい…うっかり呼んじゃっただけなんです。気分を害してしまってたらホントにごめんなさい。」
僕は、ペコペコと何度も頭を下げた。
すると彼が、ちらりと八重歯を見せながら口角を上げた。
「謝んなくていいよ。そんなに首動かしたら、首痛めるぞ。俺は別に気にしてないから。もしかして、トイレで俺に何か聞きたそうにしてたのって、俺が元LOOPofLOOSEのSAKU本人かどうかってこと?」
「ひゃ、ひゃい っ。」
ラジオやライブやテレビで聞き慣れた口調で言われ、僕は2度大きく頷く。白坂さんの表情は変わらず、八重歯を覗かせながら微笑んでいるままだ。
僕は、頭の中がパニックでちゃんと日本語を喋れてるかどうかも危ういくらいなのに。
「それなら、答えは本人だよ。これですっきりした?君さ。俺に最初に会った時からもやもやしてるの分かりやす過ぎだよ。聞かれたら答えるつもりだったけど、おかげで、あまりにももどかしくて自ら名乗っちゃったよ。なんか自分で、名乗るのも恥ずかしいもんだな。見当違いだったら、ただのナルシストの勘違いヤローになってたわけだし。LOOPofLOOPって何ですか?とか言われたら居たたまれないもんな。 」
彼は、短くなった煙草を口に銜え、入口に向けて煙を吐いてから、灰皿で煙を揉み消した。
「ひゃー、すみません。気づいて下さってたなんて。SAKUさんの事ナルシストの勘違いヤローだなんてそんな事思うわけないですよ、僕。僕が優柔不断なばっかりにご迷惑掛けてしまって。今日ホントずっともやもやしてて聞いたら失礼かな?とか違ってたらどうしようとかずっと考えてたんです。」
僕は、膝で拳を握りしめながら、早口で捲し立てた。
「皐月くんは、優しいね。とにかく落ち着いて。とりあえず深呼吸しよう。」
目を細めて僕を宥める声が本当に優しくて耳が溶けてしまいそうだ。
…あれ?今、あれあれ?
待って。待って。待って。
今、SAKUさんの声で僕の名前を呼ばれたような気がするんだけど?落ち着けって言われてもこんなんじゃ落ち着けるわけないよ。カミングアウトの次は、僕の名前を呼ぶとかこんな現実が目の前にあるのが信じられないよ。
「落ち着けっていわれましても無理ですよ。だって、今僕の事名前で…。」
「ああ。悪い。心の中ではずっと皐月くんって呼んでたから、つい。」
「ずっとって、いつからですか?まさか僕の事もしかして仕事で知り合う前から知ってたんですか?僕、握手会とかいったことないのに。認識される要素全くないですよ。なのにどうして?」
「実際に接したことはなくてもファンレターはライブの後とか新曲が出る度にくれてただろ?俺、握手会とかファンクラブイベントに何度も来てくれた子はもちろんだけど、ファンレターやツイッターでリプをよくくれた子の名前は今でも覚えてるよ。だから、名前だけは覚えてたよ。ほら最近、与座さんが休みの時に代理で俺とメールのやりとりしたことあっただろ?その時にメールの署名に『名取皐月』って、あったから、もしかしたらあの皐月くん=名取さんの可能性があるかも。とかは、その時から考えてたんだ。それが、確証に変わったのは、今日初めて君の顔を見てからだったけどね。」
「僕の顔ですか?」
「そう。双子のお姉ちゃんいるだろ?さっき話題になってた。」
「菜月がなにか?…あ、まさかなっちゃんの顔覚えてるんですか?なっちゃんはよく握手会とかファンクラブ限定イベントとか行ってましたけど、でも、KAZUさんのファンだったはず。」
「それも含めて菜月ちゃんの事は覚えてるよ。握手会とか接する機会があるときに、いつも『私はKAZUさん派なんですけど、双子の弟は、SAKUさんのファンなんです。弟は超恥ずかしがりやで接近線はNGなんですけど。』て、話してくれてさ。姉弟仲良くていいなあって、いつも思ってたよ。」
彼は、僕と目線を合わせるように頬杖を付いた。
どうしよう。SAKUさんに見つめられちゃってるよ、僕。
心拍数が上がるだけでなく体温が上昇して、頬が尋常じゃなく熱くなっていくのを僕は感じた。さっき室町さんに見つめられた時とは比にならないかも。
知恵熱が出そう。
「やっぱり、目と鼻がよく似てる。男女の双子って、すごい似てるってイメージなかったんだけどさ。皐月くんと菜月ちゃんて、先輩方もいってたけど、よく似てるよね。」
「ひゃい、よく言われます。」
「だから、君の顔を最初に見たときにあのファンレターをよくくれた名取皐月くん=いつも電話に出てくれる名取くんって、分かったよ。たしか当時は、千葉の茂原に住んでたよね?」
「ひゃいっ。茂原は実家で、今は調布で一人暮らししてるんです。」
「へえ。調布か。なんか最初に手紙くれた時が高校生で、大学卒業して、今、就職してひとり暮らししてるのって、感慨深いもんがあるな。俺も年とるわけだ。」
しみじみと言った口調で言う。
「そんな年だなんて、言わないで下さい。えーと僕の4コ上だから…27歳ですよね?」
「おお。当たり。まだ覚えてるんだ。」
「はい。お誕生日が5/11なのも覚えています。」
僕は、自信ありげに話した。
すると、余裕のある表情を見せていた白坂さんの表情が、急に真剣な表情に変わった。そして、緩慢な動きで眼鏡を外した。
僕の目の前に髪型は違うけど、僕があの頃夢中だったSAKUさんが現れた。鋭さの中に優しさが宿る瞳が僕の心ごと捕らえる。当時と比べると疲れているようには見えるけど、男前なのには変わらない。
「…ありがとう。ごめんな。」
彼は、泣き笑いの表情を浮かべた。
「……。」
なんだか胸がすごく締め付けられて、返す言葉が見つからない。
本当にSAKUさんって、誠実で優しくて、当時僕がメディアを通して見ていた印象通りの人なんだ。
やっぱりまだこの人への憧れの気持ちは、消せるわけがないよ。
「失礼します。お待たせ致しました。」
沈黙が訪れた直後、それを打ち消すように店員さんの声が、個室に響いた。
「ビールが2つとはないものロックと冷酒です。」
「ありがとうございます。そこに置いてください。」
「はい。恐れ入ります。」
白坂さんは、何事もなかったかのように裸眼のまま店員さんに応対する。
「これ、持っていって下さい。」
僕が、与座さんのグラスを手渡すと店員さんは、会釈をしてから去っていった。
飲み物を与座さんと室町さんのところに配り終えてから、白坂さんは、眼鏡を掛け直した。
SAKUさん=白坂さんだって分かった今、黒髪の短髪も眼鏡姿もスーツ姿も最初に会った時以上により一層素敵に思えてくるから不思議だ。
ただ箸でお寿司をつまんで、一口で食べる姿にすら、男らしさを感じてしまう。それでいて、箸の持ち方もちゃんとしてて食べ方も綺麗である。
ロン毛から短髪になった分、太い首が強調され、喋る度に何か物を食べる度に喉仏が上下する様に僕はただただ見とれるばかりだ。
本当に夢みたいだ。
本当に夢ならよかった。
僕は、ビールを味わうように瞳を閉じてジョッキを傾けた。
カラン。
突如、金属音が響き僕は、ジョッキを下した。
見るとテーブルから灰皿が畳に落ちていた。
だけど、彼は、灰皿が落ちたことなどお構いなしに血相を変え入口の方を見つめていた。
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