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第8話
席に戻ると彼は煙草を銜え、それに火を付けた。そして、一瞬だけ目を閉じて煙を外に向けてスッと吐いた。
僕は、それを盗み見るようにジョッキに口をつけた。
あーあ。今の僕ほんとにめんどくささが爆発してるよ。
普段の僕は、お酒を飲んでててもこんな些細なことでキレるキャラなんかじゃないのに彼といると自分の嫌な部分がスルスルと溢れ出てきちゃって止まらない。ネガティブが全開しちゃってる。もう帰りたい。
たしかに幻滅はしたけど、イライラを彼にぶつけたかった訳じゃないのに。
何かいった方がいいのかな?て、ぐるぐるといろんな事を考えるけど、言葉が見つからない。
なんだかもやもやが増せば増すほど食欲が沸いてきて、僕は、黙々と近くにある皿を手に取り、料理を口には運んだ。
与座さんたちがいたときは、そこまで味を意識して食べてなかったけど、食べることだけに集中してみるとやっぱ、いつも行く居酒屋よりちょっと高いだけあって、どれも美味しいものばかりだ。
与座さんたちが戻る前に全部食べてしまいたい気分だよ。
「皐月くん、よかったらこっちにあるまぐろのからあげも食べる?」
ふいに白坂さんの声が、聞こえ、一瞬にして僕を現実に引き戻した。
そうだった。今、僕は白坂さんとふたりっきりだったんだっけ。食べることに集中しすぎて、現実を忘れかけてたよ。
「え?あ…」
僕は、顔を上げ、箸を一旦小鉢に置いてから彼が持つ器に視線を移した。そこには、食べた覚えのない揚げ物が乗った淡い黄色い皿があった。
いつからあったんだろ?つい気になってしまい僕は、小首を傾げてその皿を凝視する。
「そっちにこの皿ないだろ?多分、俺たちがトイレに行ってる間に与座さんが全部食べたんじゃないかな。結構うまいよ。俺も室町さんも食べてるから、よかったら全部食べていいよ。」
彼は、変わらぬ八重歯を見せスマイルを僕に向けた。
「…そうですか。それじゃあ、お言葉に甘えて頂きます。」
僕は、無愛想に答えつつも差し出されるままに白坂さんから、皿を受け取り、ひとつ箸で摘まんで口に運んだ。
確かにおすすめされただけあって、さくっとした衣と中のしっとり感が相まっておいしい。
「皐月くんって、本当にうまそうに食うな。」
最後のひとつを口に放りこんだ時、頬杖を付きながら僕を見ている彼と目があった。
僕は、目を逸らし俯き気味に控えめに咀嚼する。
「…そうですか?普通だと思います。」
「そうか?食べてるとこ今度動画に撮って見せてあげようか?いい笑顔だよ。」
「止めて下さい。そんな事したら、盗撮で訴えますよ。」
「あはは。冗談だって。でもさ。本当に皐月くんみたいにいろいろ食べてくれると作りがいありそうだよな。好きな食べ物は?」
「…そうですね。しいて言えばお肉全般です。特に嫌いな食べ物もないですけど…。」
箸を止め、淡々と答える。
「お、肉か。肉いいよなー。俺も肉好きだよ。そういや、さっき食べたローストビーフ寿司が久しぶりの肉だったかも。」
「僕もです。と、言うかちゃんとしたもの食べたのも久しぶりです。最近おにぎりかゼリーばっかで。栄養はサプリメントで補えばいいかなって。」
「それはヤバイだろ。そんなにそっち昼休みまともにとれないくらい忙しいのかよ?与座さん厳しいの?」
「違いますよ、ちゃんと毎日お昼休みありますよ。僕がただなんか学食行くのめんどくさいし、とりあえず事務所でおにぎりで済ませてるだけなんです。別に与座さんは関係ないですよ。」
「そっか。それなら安心した。いや、安心はしてねえか。俺、学生の時1,2年がそっちの校舎だったから結構学食行ってたよ。安くてうまいの多いからさ。めんどくさがらずに行ってみなよ。」
「そうですねー。」
とりあえず相槌を打つ。
「あんまり偏った食生活送ってるとまた風邪ぶりかえすぞ」
「わかってますよ。もう、お母さんみたいな事言わないで下さいよ!!」
僕は、思わず声を荒げてしまった。
先週、風邪で仕事を休んでるときにたまたまお母さんから連絡が来て、食生活の話したら、同じこと言われたのをなんだか思い出しちゃったよ。白坂さんが言っていることは正論なのは分かるけど、だからこそ苛立ってしまう。
「ははは。お母さんか。悪いな。おせっかいが過ぎたな。おせっかいついでに次の飲み物頼む?」
「……大丈夫です。自分で頼みます。」
「じゃあ、俺のもいい?生ビールと水4つ」
「……え?は…い。お水ですか?」
「そう。室町さん酔ってるぽかったし、水あった方がいいかなって。今日は、飲んじゃいそうな感じだからさ。」
「ああ。分かりました。」
彼は、相変わらずの八重歯見せスマイルを浮かべ、僕を見つめた。僕は、彼から目を逸らすと俯いたまま呼び出しボタンを押した。
コンコン。
「お待たせ致しました。失礼します。」
ノック音と共に店員さんが、入ってきた。
「あの、えーと、注文いいですか?」
「はい。」
普段、こう言うこと人に任せてたから、なんだか緊張するなー。
「生ビールひとつとお水4つと…カルピスサワーひとつお願いします。」
若干しどろもどろになりながらも、注文を終えると店員さんは、戻っていった。
店員さんが戻っていった後のテーブルは、空の皿がなくなり、だいぶすっきりしている。どうやら注文する事で手一杯で気づかなかったけど、僕が、もたもた注文している間に白坂さんが、てきぱきと空の皿をまとめて店員さんに渡してくれたみたいだ。
「ん?どうした?テーブル見渡して。」
「だいぶ、テーブルすっきりしたなと思って。」
「安心しろって、まだ料理来るみたいだから。」
「違いますよ!!そんなんじゃないです。」
「なんだ違ったか?」
揶揄するように言い、煙草の箱を軽くテーブルにトントン軽く叩く。そして、1本だけ浮き出た煙草をそのまま銜えた。
「僕の事、食いしん坊キャラにするの止めてください。」
「あはは。悪い。悪い。あ、注文ありがとな。」
一旦煙草を手に持ち直してから、僕の目を見て、ニカッと笑った。
人懐っこくてまぶしい笑顔を向けられるのが、今の僕にはツライ。
蛾にビビる姿を見る前だったら、素直に素敵な笑顔だなあ。って、思えていたんだろうけど、今は逆に僕の憧れも理想も些細な楽しみも崩された事に対する苛立ちが沸いてしまう。
「…いえ。」
僕は、その笑顔から逃れるようにジョッキのビールを飲み干した。
くしゅん。
一瞬だけ、静寂が訪れたのも束の間、襖の向こうから、くしゃみが聞こえた。
「あれ、室町さんだな。」
「……。」
煙草を蒸かしながら、白坂さんがボソリと呟いた。僕は、その言葉に釣られて、襖へと首を傾けた。
ガラリ。襖が開けられ、入ってきたのは白坂さんの予想通り室町さんだった。
「お前ら、あんまり盛り上がってないなー。白坂、煙草吸ってるし、名取くん、ぼーっとしてるし。酒も入ってないし。」
「俺達は、まったり派なんですよ。酒は、さっき注文しましたから、安心してください。俺達の事よりもそっちはどうだったんですか?与座さんの姿がみえませんけど?」
「出してから、くるってさ。」
白坂さんが、煙草を灰皿に戻しながら、後ろを通りやすいように少し前に座り直すと室町さんが、彼の肩に触れながら自分の席に座った。
「出してから?」
僕が、小首を傾げ、尋ねる。
「そ、下のほう。」
「え⁉与座さん、お腹壊してたんですか?」
「みたいだね。」
「大丈夫かなぁ」
「名取くん、優しいね。与座さんの事心配してくれるんだ」
「そりゃ、しますよ。お腹痛いのつらいですし。」
「それ、与座さんに言ってあげたら喜ぶよ。」
「へ?別にただ心配してるだけですよ?」
「それがいいんだよ。」
室町さんは、にっこり微笑み、お猪口を手にすると白坂さんが、さっと冷酒の小瓶を持ち上げお酌した。
そして、室町さんは、一気にそれを飲むと空のお猪口を白坂さんの前に差し出した。
「トイレで酔い覚めたかと思ってましたけど、まだ足元ふらついてますよね?」
「さすが白坂、よく見てる。なんかむしろトイレで酔いが増した感じだな。」
「トイレで何してたんですか?」
白坂さんが、再び冷酒をお猪口に注ぐ。
「与座さんと楽しくおしゃべりしてただけだよ。お前も交ざりたかった?」
「いえ。ロクな話じゃない気がするので、遠慮しておきます。」
「白坂って、ホントつれないよなぁ。」
室町さんが、白坂さんの腕を掴みながら、お猪口に口をつけた。白坂さんは腕掴まれてても自然に受け入れてるって感じで、表情ひとつ変えずに室町さんと会話をしている。
白坂さんと室町さんて仲いいなー。僕と与座さんじゃ、あんな感じにはならないよ。室町さんが、パーソナルスペースが狭いタイプなのかな?白坂さんがそれに巻き込まれてる感じはあるけど、白坂さんも至近距離に相手がいるの大丈夫そうだよね。
僕とトイレでふたりっきりの時も平然としてたもんな。
それにしてもこうやって眺めていると室町さんって、やっぱイケメンだよなぁ。僕みたいにガリガリなちびって感じじゃなくて、スリムって言葉が似合うし、清潔感あるし、笑顔も爽やかだし、何よりも目が印象的なんだよなぁ。あの目で見られるとどきどきしちゃうけど、白坂さんはなんともなさそう。 LLって、イケメンバンドだったし、たしかメンバーと一軒家で共同生活してたらしいから、おはようからおやすみまでイケメンたちと生活していれば、イケメン耐性ができててもおかしくないのかも。
普通に考えれば、室町さん男性だし、普通は同性に見つめられたり、触れられたりしてもなんとも思わないものなんだろうな。僕が変なのかな?子供の時から、かっこいいひとに話しかけられたり、見られたりすると緊張していたような気がする。なっちゃんの友達と遊ぶことが多かったから、女性の方が案外緊張せずにいられるんだよね。
「名取くん、ぼーっとしてどうしたの?眠くなってきた?それとも俺に見とれてた?」
「え?いえいえ。どっちも違います。その…えーと、注文まだかなと思いまして。」
ふたりのやりとりを眺めてたら、室町さんと目が合ってしまった。見とれていたのは事実だけど、そんなこと言えないし、僕はなんとか思い付いた言葉を口にする。
「俺、両方とも見てきましょうか?」
スッと白坂さんが立ち上がった。
「サンキュー。頼んだ。」
「あの…ありがとうございます。」
いちおうは、お礼を言わないとね。いちおうは。
「礼なんていいよ。俺も気になってたから。」
「……。」
襖へと歩いていった。そして、開ける前にこちらに向かって、一礼してから去っていった。
「名取くん、今日は合コン潰れて残念だったね。初彼女探す予定だったて、与座さんから聞いたよ。」
「はい。…でも、皆さんと飲むのも楽しいですよ。いつもはもう少し人数いるから、少人数なのも。」
「そう言ってもらえると嬉しいな。」
室町さんが、僕の目を見てにっこり微笑み、お猪口に口をつけた。室町さんて与座さんと仲がいいから、飲み会の時も近くの席にはなるんだけど、ちゃんと話した事がないんだよね。でも、さっき白坂さんとふたりっきり(蛾に遇う前)になったときよりは緊張しないかも。
「ねえねえ。せっかくだし少しは合コンらしいことしよっか?ゲームとかライン交換とか。」
「LINE交換は分かるんですけど、ゲームって?」
「ゲームは、ふたりが戻ってきてから説明するよ。とりあえずは、LINE交換しよ。」
「はい。」
「やった。鬼の居ぬ間になんとやら~。」
そうだった。今日は合コンだったもんね。室町さん楽しみにしてたっぽいし、気分だけでもって感じなんだろうな。社会人になって、LINEを交換したのって与座さんいれてふたりめだ。
僕が、バックの中からモタモタとスマホを取り出していると室町さんが、スマホを片手に与座さんの席へ移動した。
「画面出せた?」
「すみません。まだです。ちょっと待ってください。」
室町さんが僕の肩に手を置いて、スマホを除き込むように顔を近づけてきた。与座さんと違って、なんだかいい匂いするなぁ。
だけど、距離が近いよ。緊張して画面ロックの解除するのに間違えちゃいそうだよ。白坂さん、この距離で平然としゃべっていられるなんて、イケメン耐性ができてる人はすごい。
「0511?名取くんの誕生日?」
「いえ。僕のじゃないです。て、室町さん僕がロック解除するところ見ないで下さいよ。」
今更ではあるけど、僕は、慌ててスマホの画面を手で隠した。
「俺がみてるの分かってるのに普通にロック解除してる名取くんが悪いよ。」
「そういわれちゃうとそうなんですけど…。」
僕は、LINEの画面を表示し、
「早くLINE交換しましょう。そこの席いたら与座さんに怒られちゃいますよ」
捲し立てた。
「確かに。鬼が帰ってきたら大変だ。」
お互いにLINEの画面を出し、無事にアドレスの交換が終わった。
「名取くん、ありがとう。じゃあ、俺戻るね」
「はい」
室町さんは、いい匂いを残して、自分の席へと戻っていった。
ガサガサ。まもなくして、襖の向こうから騒がしい物音とひとの声が聞こえてきた。
これは、完璧与座さんだ。緊張しつつも目の保養ができた時間が終わり、賑やかな時間が戻ってくるみたいだ。
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