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第16話

   テーブルには、中途半端に残っている食べ物たち、ほとんど残っていないお酒たち、そして、先端に数字や赤い印がある箸たちが、散らばっている。  僕は、『1』と書かれた箸を手に取って眺めながら、あくびをひとつした。室町さんと目があってしまい、慌てて自分の口を塞ぐ。  「名取くん、そろそろおねむ?」 「すみません。大丈夫です。あの、えーとこれどうしましょう?」 「ああ。お酒が来たら続きしよっか?」 「まだやるのかよ。デコピンとくすぐりと苦手なものカミングアウトで十分じゃね?」 「だめですよ。まだ名取くんが王様になってませんよ。せめて名取くんが王様になるまではやりませんか?」 「そうだな。酒来たら再開するか。」 与座さんが、話しているとのほぼ同時に店員さんが入ってきた。  店員さんは、飲み物を置いていくと一礼をしてから、去っていった。  僕は、またしてもこの白濁のグラスを疑り深い目で見つめる。  「白坂さん、あのこれって……?」 「分かったよ。毒見するから。」 半分笑いながら、白坂さんがにごり酒のグラスを手にすると青い線のところに口をつけて一口口に含んだ。そして、一瞬瞼を閉じてからそれを喉に流し込んだ。  「安心して。にごり酒だよ。俺は君の毒見係じゃないですよ。」 「すみません。白坂さんって、なんか頼みやすくって。」 「初対面で警戒心もたれるよりはいいですけど……。」 僕は、苦笑いを浮かべる白坂さんからグラスを受け取ると今度は間違えずに青い線がないところに口づけた。 「あ、ホントだ。本物ですね。」 「だろ?」 グラスから顔を上げ、笑顔で彼の顔を見つめた。すると彼も八重歯を覗かせ僕に笑みを返してくれた。  ふたりっきりになった時に丁寧語が解かれてタメ語になった時もどきっとしたけど、ちょっと前から丁寧語の中に混じるタメ語の破壊力がホントにヤバイ。あの砕けた言い回しで笑みを向けられると距離が一気に縮まった気がして、包容力のある雰囲気についつい甘えてしまいそうになってしまう。   「なーとりくん、俺の酒も飲んで。」 『だろ?』の余韻に浸っていると室町さんが、新しく来た冷酒の瓶を手に持ち、僕にキラキラの笑顔を向けてきた。隣を見ると与座さんが、不服そうな顔でお猪口に口をつけている。どうやら僕が白坂さんに味見をしてもらっている間に冷酒を室町さんに注いでもらったみたいだ。僕は、自分の側にある空のお猪口を手にすると彼に差し出した。 「すみません。ありがとうございます。」 「どうぞ。召し上がれ。」 室町さんに注いでもらった冷酒を一口飲む。思っていたよりさっぱりしていてほんのり甘みがあって飲みやすい。 「どう?」 「さらっとしていて飲みやすいですね。」 思ったままの感想を返す。 「名取くんとは好みが合いそうだね。与座さんはこのさらっとした感じと甘みがだめなんだってさ。」 「そうなんですかぁ。」 与座さんに目を向けると空になったお猪口は手前に置き、既に芋焼酎のグラスを手にしていた。 「おお。悪いか? 俺はこっちのほうが自分の舌に合ってんだよ。」 「好みはひとそれぞれなので、悪くはないですけどね。それじゃ、最後に白坂。」 「すみません。」 白坂さんはぺこりと頭を下げてお猪口を両手で持つと室町さんが注ぎやすいように差し出した。トクトクトクと冷酒がお猪口に注がれていく。そして、注ぎ終わると白坂さんは自分の口へとそれを持っていき、くいっと一口くちに含み一瞬瞼を閉じてから喉に流しこんだ。  白坂さんって、ビールジョッキを煽る姿も様になってるけど、お猪口を親指と人差し指で持ってくいっと煽る姿も様になっていて、見とれてしまう。きっと着流しとか浴衣着たら、雰囲気があって、すごくかっこいいんだろうなぁ。と、勝手に脳内での妄想が働き、久しぶりに口が半開きになりそうになってしまった。  ヤバイ。本人目の前にして妄想してどうするんだよ、僕。ここはお家じゃないんだから。  僕は、慌てて口を抑えた。すると今度は、白坂さんと目が合ってしまった。無言のまま笑みを向けられ、僕はブンブンと頭を振った。    「名取くん、どうしたの?」 「いえ。なんでもないです。あ、そうだ。お酒も来ましたし、これやりましょう。」 僕は、咄嗟に『1』が書いてある割り箸を手に取った。 「名取くん、やる気だね」 白坂さんに冷酒を注がれながら、室町さんが言う。 「はい。だってまだ王様になっていないですし。」 「お。いいね。その意気。じゃあ、次いくよー。割り箸貸して。」 室町さんが、お猪口の中を一気に飲むとそれを置いてからワントーン高めの声を出した。 「はい。どうぞ」 「おらよ。」 僕たちは、言われるままに室町さんに割り箸を手渡した。 「名取、室町を喜ばす発言すんなよ。ヤバいのきたらどうすんだよ」 「え?ヤバイのって?」  なんだろう?ぽかぽかしてきた頭の中で考えてみるけど、思いつかないや。  「ちゃんとシャッフルしたから引いて。」  僕たちが一斉に室町さんの手から割り箸から1本引いた  チラリと確認すると今度も『1』だった。  「「「「王様だーれだ」」」」 「ラッキー。俺です。」 室町さんが、自慢げに名乗った。 「ちっ、イカサマかよ」 与座さんが、舌打ちをする。  僕も何を命令していいか思いつかないけど、1度くらいは王様になってみたいよ。 「失礼な。違いますよ。さてと、白坂を狙いたいけどなんだろうなー。」 「なんですかねえ。」 室町さんが、白坂さんの肩に手を添えて、彼の目をじっと見つめる。けれど、白坂さんは全く表情を変えず、その視線を受け止めている。なんか踏み込めないふたりの空間って感じで、壁を感じてしまう。  「おい。やろー同志でみつめあってんじゃねーよ。キモイぞ。早く命令出せ。」 「はーい。分かりましたよ。じゃあキモいリクエストにおこたえして…」 「そんなリクエストなんかしてねえ。」 ドンッ。与座さんが音をたてて水の入ったグラスをテーブルに置いた。 「では、1番が2番をバッグハグで、3番が王様をバッグハグ。時間は、それぞれ3分。1と2の時が3が計って、王様と3の時は1が計る。どう?」 室町さんが、ニヤニヤ笑みを浮かべながら僕たち3人の顔を見渡した。みるみる表情が変わる与座さんとは対照的に白坂さんは、平然と自分で注いで冷酒を飲んでいる。 「どう?じゃねーよ。女にされたら、俺も嬉しいさ。だけど、ヤローだろ?なんか複雑だな。」  バックハグ?初めて聞く単語に僕は頭の中で、?を浮かべる。ふたりの会話から察すると触れるとかそういう感じなのかな? 「まあまあ、名取くんの予行練習だと思って。もしかして、与座さんって、バックハグの経験ってないんですか?」 「うっ…。言われるとねえな。バックはあるけど、バックハグはなぁ。それって、コトに運ぶときのきっかけのひとつだろ?」 与座さんが、割り箸の真ん中を持ち振り回しながら、言う。  ひゃー。与座さん、気づいてないのかな?2番だって見えちゃってるよ。  あれ?待って待って待って。2番って事は、僕がバックハグとやらを与座さんにしないといけないの?デコピンよりもハードルが高そうな予感がする。 「いやいや。コトに運ばなくてもしますって。俺の事節操なしだっていいますけど、あなたもたいがいですよ。」 「お前には言われたくねえな。」 「俺からすればどっちもどっちだと思いますよ。あと、与座さんさっきから割り箸の数字みえてます。」 「マジさ? まさか名取も見えてた?」 白坂さんが、くいっと冷酒を煽ってから、淡々と指摘すると与座さんが、慌てて割り箸を下に持ち直した。 「はい…」 「そっか。で、お前の数字は?この際俺の見てんだから、言おーぜ。」 「え?」  うわぁ。1番だって、いいづらいよ。僕は、目を泳がせたまま室町さんと白坂さんに視線だけで助けを求める。 「与座さん、個人的に聞き出そうとしないで下さいよ。ルール違反ですよ。名取くん、困ってるじゃないですか。ま、うだうだしてないで、1番さんに名乗ってもらおうかな?」 室町さんが、僕の目を見つめたまま、お酒を一口飲んだ。  この感じ、僕が1番だってばれてるっぽいよ。  「……1番は僕です。」 蚊の泣くような声で言う。 「マジさー。名取か。よろしくな。こんなのはゆるくでいいからな。」 「ゆるくって?あの、えーと、僕、バックハグ知らなくて……。」 「へ?後ろから、すりゃいいんだよ。バックのハグだから。」 「後ろから?」 もう、与座さんの説明がざっくりしすぎてわかんないよ。 「与座さん、名取くんわかってなさそうですよ。」 室町さんが呆れたように言い、 「まあ、こんな感じ。後ろから抱きしめるってことだね。ドラマとか映画であるやつだね。」 座ったまま白坂さんの後ろから腕を回して、その身体を抱きしめ、肩に顎を乗せた。  ひゃー。これを僕が与座さんにしなきゃいけないってこと?僕、あんまりスキンシップ得意じゃないのになぁ。でも、3分だけだしね。3分なんてあっと言う間だよね。と、自分に言い聞かせる。  「……3分でいいんですよね?」 「そうそう。あっと言う間だから大丈夫だよ。」 僕が恐る恐る聞くと室町さんが、からっとした笑みで返し、甘えるように白坂さんに頬をくっつけた。  わぁ。角度を変えたらキスしちゃうんじゃないかってくらいに近い。なんか見てるこっちの方が照れてきちゃうよ。  僕は、ふたりを視界に移さないようにお酒を手に取り、ごくごくと飲む。 「室町さん、熱いんで、そろそろ離れてもらってもいいですか?」 白坂さんが、淡々と告げる。 「ちっ、白坂ってホントつれないよなぁ。見本らしく俺の腕に手を触れるとかさ。協力してくれてもいいのに。ま、あとでしてもらうからいいけど。」  室町さんは渋々白坂さんから腕を離し、元の体勢に戻った。   「室町、見本とか言って名取に変なもん見せんなよ。」 「与座さんの説明が悪いから、目で見せるしかなかったんじゃないですか?」 「説明が下手で悪かったな。名取、酒は終わってからゆっくり飲めばいいから、とっとと終わらせよーぜ。」 「はい。」 与座さんに肩を叩かれ、僕は、グラスを一旦テーブルに置いた。そして、彼に続いて僕も席の上に立った。途端にふわっとした感覚が僕を襲う。まるで、自分の足が宙を浮いているようなみたいだ。頭はちゃんとしてるつもりだけど、自分が思っているより酔ってるのかもしれない。 「名取、どうした?」 「いえ。なんでもないです。」 ブンブンと頭を振る。僕のバカ。頭を振ったら余計に酔いが回ってきたような気がする。 「なんでもないからいいけどよ。」 与座さんが、気をつけの姿勢で僕に背を向けた。  彼の背中を見ることがなかったから気づかなかったけど、半袖の白シャツの背中が汗で濡れ、タンクトップが透けて見えている。襟足の髪も汗ばんでおり、さっきの室町さんみたいにあそこまでくっつくのはなんだかちょっと躊躇ってしまう。  「名取くん、大丈夫?」 「あの……。僕、こういうことしたことないから、緊張しちゃって。」 与座さんの背中を見つめたまま思案していると室町さんが声を掛けてくれた。 「そうだよね。でも、3分だけだから、我慢して。」 「おい!? 我慢とか俺にバックハグするのが罰ゲームみたいな言い方するなよ。」 与座さんが、怒鳴る。 「与座さんだって、最初に『女は嬉しいけど、ヤローじゃ複雑』って、言ってたじゃないですか?それと同じですよ。」 「まあ、そうか。そうだよな。名取も男だしな。悪いな。さっきの見本は無視してゆるくでいいからな。」 「……はい。」 僕の方を振り向き、与座さんがいつになく優しい声音でいう。僕の場合、同性とか異性とかは最初から頭になくて、根本的にひとに触れることが苦手(なっちゃん以外)なのとただ与座さんの汗が気になるってだけなんだけどな。だから余計に与座さんが優しいと罪悪感みたいなものを感じちゃうな。 「白坂、時間計る準備できた?」 「できましたよ。計るのって腕をまわしたタイミングでいいですか?」 「そうだね。」 「了解です。」 室町さんの問いかけに白坂さんが、スマホを片手に答えた。

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