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第15話
「僕の苦手なものは、もう言っちゃいましたけど、雷です。幼稚園の時になっちゃんと……あ、姉と海の近くの公園で遊んでいて、雨が降ってきたので、土管みたいなやつの中でふたりで雨宿りをしてたんです。そのときに海の方で稲妻が走るのが見えて、すぐあとに大きな雷の音が聞こえて来て……。今までに聞いたことないくらいすごい大きな音で本当に怖くて、僕、姉に抱きついたまま気絶しちゃったんです。後から聞いた話だと僕が急に動かなくなって、姉はびっくりして泣きじゃくり、そこに通りがかったお巡りさんがうちまで僕たちを送ってくださったそうです。あの時、鳴っていた雷は近くの海にいたサーファーに落ちたって聞きました。」
当時の事を思い出しているうちに、自然と僕は、自分を抱き締めるように両手を交差させて自分の上腕を掴んでいた。あの凄まじく大きな音とあの不気味なくらい綺麗な稲妻は、20年近く経った今でも脳に焼き付いて離れないものである。
「マジさー。近くに雷が落ちるとかガキん時にそんなの経験したら、トラウマになるのも無理ないよな。俺もガキんとき台風がよくきてたから、風のゴォーゴォーする音とかこえーなって思ったことあるさ。あ、名取、寒くなってきたか?上着取ろうか?」
「いえ。別に寒くはないので、大丈夫です。」
与座さんが、後ろにかけてある僕のジャケットを指差すと僕は、慌てて交差していた腕を解き膝の上に手を置いた。別に寒くてそうしてたわけじゃないんだけどな。むしろ少しシャツの袖を捲ってるくらいがちょうどいいくらい。
「与座さん、そういうことじゃないと思いますよ。ねえねえ名取くん、思い出すだけでガクブルするくらい今も苦手ってことは、夜とか眠れなくなっちゃう感じ?」
「はい。実家にいたときは姉が心配してくれて、よく一緒に寝てもらっていました。母におっきなテディべアを買ってもらってからは、その子と一緒に寝てましたね。170cmくらいかな?ホントにおっきなくまさんなんです。ふかふかで抱きつきがいある感じで。」
あーあ。テディさん、大きいから持っていくのが大変で、実家に置いてきちゃったんだよなぁ。こっちきてから雷対策に代用品で細長い抱き枕を買ったけど、安心感は、いまひとつなんだよね。でも、ぎゅっと抱き締められるものがあるのとないのとだと心細さが違う。
「テディベアかぁ。名取くんだったら、そういうの持っててもありだよね。テディベア以外にもぬいぐるみって持ってるの?」
「ないですよ。別に僕はかわいいもの大好きキャラってわけではないですよ。」
「なんだ。違うんだ。名取くん、かわいいからそういう系だと思ってた。部屋に何個かあっても違和感ないよ。」
「室町さん、ひどいですよぉ。僕が持ってるぬいぐるみは、テディさんだけです。僕はテディさんの優しいお顔と抱き心地が安心感があって好きなんです。」
「へえ。テディさんって、呼んでるんだ。かわいい。」
「もう、からかわないで下さい。かわいくなんかないです。」
室町さんが頬杖をついて、悪そうな笑顔で僕を見つめてきた。イケメンの眼力が僕に突き刺さる。からかわられてるだけだってわかっててもその瞳に映っていると思うだけで、恥ずかしい。僕の頬は、ほんのり赤く染まっていく。僕は、ごまかすようにマッコリをごくごく飲んでいく。
「室町さん、次どうしますか?そろそろなくなりそうですけど?」
白坂さんが、冷酒の瓶を両手で持つと声を掛けた。
「おお。そうだな。同じのでいいや。そうだ。さっき、な……」
「室町さん、俺冷酒おつきあいしますよ。」
トクトクと冷酒を注ぎながら、白坂さんが室町さんの言葉にかぶせる様に言った。
「嬉しい。白坂付き合ってくれるんだ。じゃあお猪口は3個追加かな。」
室町さんが、にこにこしながら、指を3本立てた。
「「ええ!?」」
その瞬間、僕と与座さんの声が、ハモった。
白坂さんが室町さんにお付き合いして冷酒を飲む流れなのは分かったけど、だからって僕と与座さんも飲まざる得ない流れなの?
「わぁ。珍しい。ふたりのリアクションが同じだ。」
「おもしろがるな!! たく、白坂が飲むからって、なんで俺たちまで飲まなきゃなんねーんだよ!!」
「いいじゃないですか?1杯くらい。俺もたまには注 ぎたい気分なんですよ。特に与座さんには、入った時からお世話になってますし、たまにはそういうことも。名取くんもこれからもよろしくねって、意味で。」
「……まあ、1杯くらいなら。」
「はい。1杯でしたらお付き合いします。」
僕と与座さんは、渋々承諾してしまった。
「名取さん、すみません。」
「いえ。白坂さんは何も悪くないですよ。1杯だけなので、大丈夫です。あの、僕も自分の飲み物たのみたいんですけど、いいですか?」
「何に致しますか?」
白坂さんが、さっとメニュー表のカクテルとサワーが乗っているページを開いて僕に見せてくれた。手際の良さに毎回感心しちゃうけど、僕の中ではもう頼む飲み物は決まっているのだ。
「にごり酒お願いします。」
「へ?にごりでいいのかよ?」
「はい。僕、あの味気にいちゃって。」
にごり酒の味を思い出しながら、へらへらした笑みを浮かべる。白坂さんてば、びっくりして言葉遣いが、素 っぽくなってる。
「そう……なんですか。あんまり無理はすんなよ。」
「はい!!」
僕は、テンション高めに返事をし、最後のお肉を頬ばった。
「与座さんもどうしますか?」
「俺は、今のと一緒でいいよ。」
「はないものロックですね。承知しました。」
白坂さんが、呼び出しボタンを押した。
店員さんは、またしてもすぐにやってきてくれて、彼が注文するとそそくさと出て行った。
「おい。白坂、電車ヤバイことになってんぞ。窓開けて外見てくれよ。」
店員さんがさってすぐに与座さんが、煙草を片手にスマホを見ながら声を上げた。
「了解です。室町さん、窓開けますね。」
「うん。いいよ。与座さん、どんくらいヤバイんですか?」
「都内近郊の電車が、落雷と雨の影響で、運転見合わせ中だってよ。お前は歩こうと思えば歩けるけど、俺ら3人はいつ帰れるかわかんねえな。」
その間、白坂さんはすっと立ち上がると室町さんの後ろに立ち、中腰になりながら、窓のあの固いロックを外す。3回目ともなると外すのも早い。しかし、彼はすぐに窓を開けることなく怪訝な顔を浮かべて、自分の足元に視線を下した。僕も釣られて視線の先を追うと室町さんの左手が、彼の足を撫でていた。室町さんの顔は表情一つ変えず与座さんを見ながら会話をしている。
「それは、大変ですね。」
「……室町さんどこ触ってんですか?」
「ん?足。お前ってふくらはぎ固いな。自転車乗ってんの?」
「乗ってませんよ。ペダルは踏んでましたけど。今開けますけど、風が顔に当たっても知りませんよ。」
白坂さんが、窓を少しだけ開けると外からゴォーという音と共に強い風が入ってきた。風が、室町さんの顔を直撃し、髪の毛を乱す。蛾を放したときよりも強そうな風だ。これで、雨でも降っていようものなら、折り畳み傘なんて、無意味になりそう。
「ちょっ!? 白坂っお前、開けるときは言えよ。風がすごい。めっちゃ顔に当たる。」
「今、言いましたよ。ひとの足触ってるからですよ。ほら、すぐ閉めますね。」
室町さんは、白坂さんの足から手を放し風を避けるように後ずさりし、乱れた前髪を整えた。白坂さんは、何食わぬ顔で窓を閉め、鍵も締めた。
「白坂、風は今ので分かったけど、雨は降ってたのかよ?」
「はい。風が強いですけど、雨は止んでるみたいです。傘を差してる人もいませんでしたよ。」
白坂さんは、ゆっくりと自分の席に腰掛けた。
「そうか。つっても、ここが止んでても電車動かなきゃ意味ねえか。最悪、場所変えて朝まで3人で呑むか?」
与座さんが、煙草の火を灰皿で消した。
「ええ!?」
与座さんの提案に僕は思わず叫び声をあげてしまった。
だってさ。漫画喫茶でもいいから夜は、どこかで寝たいよ。それに与座さんが悪い人じゃないけど、酔うとめんどくさそうだし、ずっとっていうのは、なんかちょっと抵抗があるよ。
「あはは。名取くんそんな嫌な顔しなくてもいいのに。正直すぎ。」
「僕、そんなに嫌そうな顔してますか?」
僕は、自分で自分を指差す。
「してる。してる。眉間にシワ寄ってるよ。」
「ああ。寄ってんな。そんなに俺と朝まで呑むのは、嫌か?」
与座さんが、僕の肩を抱きぐいっと引き寄せ、もう一方の手で僕の眉間を指で押した。肩を掴む力が強いし、何よりも顔が近い。与座さん、目力あるし、ひげもだいぶ生えてきてるしギラギラしててなんだか怖い。普段よりも野性味が増している。
「僕は……与座さんが嫌ってわけじゃなくて、夜は寝たいなってだけです。えーと、金曜日ですし与座さんもお疲れでしょうから、今晩はどこかに泊まったほうがいいですよ。例えば、マンガ喫茶とか。呑むんだったら、また来週でお願いします。」
顔を少し背けつつ訴える。
「気遣いありがとな。意外に今のところ目が冴えてっから、俺は大丈夫。最後まで起きてろとは言わないからさ。眠けりゃ途中で寝てもいいしよ。お前も来いよ。誰かと居れば雷もまぎれるだろ?」
「…そうですね。」
「おお。そうだろ。そうだろ。がはは」
与座さんの圧に負けて、ついつい頷いちゃったよ。与座さんは機嫌よさそうに笑い声をあげる。もう彼の機嫌がいいなら、それでいよ。心の中で諦めのため息を吐く。
「与座さん、名取さん病み上がりなので、今夜はどこかでひとりでゆっくり休ませたほうがいいですよ。また風邪がぶりかえしたら大変ですし。俺が、名取さんの分も付き合いますので。」
白坂さんの低くて耳心地のいい声が、がさついた与座さんの声の合間にすっと割って入ってきた。
「お?そうか。すっかり忘れてたけど、名取今週風邪で休んでたんだよな。白坂の言う通りちゃんと睡眠とったほうがいいよな。いやあ、無理に誘って悪かったな。」
「いえ。」
白坂さんの一言のおかげで与座さんが、朝までコースの魔の手と同時に僕の肩を掴む手からも解放してくれた。僕は、掴まれていた肩に残る痛みが和らぐようにそこを擦る。
待てよ。与座さんとのことばかり考えちゃったけど、3人で呑むってことは、朝まで白坂さんともいられたってことなんだよね。白坂さんとは、この飲み会が終わったら、今度はいつ会えるかもわからないし、そう考えると断ったのがすごく惜しくなってくる。
「ちょっとちょっとぉ。白坂いるなら、俺も混ぜて下さいよ。一人だけ帰るの淋しいですよ。」
室町さんが、最後のひとくちを飲干し、テーブルにお猪口を置いた。
「お前も来るのかよ。今日のお前、普段よりセクハラひどいから面倒くさいんだよなー。マジお前って、ヤロー同士だとセクハラ魔になるよな。白坂にだけ絡んでおけよ」
「白坂、つれないんでつまんないんですよー。リアクションあるほうが楽しいですし。」
そう言いつつも室町さんの右手は、白坂さんの二の腕に触れている。当の白坂さんは、気にも留めずにジョッキに口をつけている。
「だからって、俺に絡むな。もちろん、名取にも絡むな。……まあ、要はここの時間が終わるまでに電車が動いてりゃいいわけだし、朝までコースの件は保留な。」
いつも強気な与座さんが、珍しく引き下がってくれた。
与座さんと室町さんて、仲良さそうに見えるから、朝まで飲むのもOKぽく見えるのにな。室町さんが、誰か触れてるところを僕は初めて見るけど、今まで僕がご一緒した飲み会って、女性が誰かしら交ざっていた飲み会だったけ。
「ちっ、保留にされちゃった。いくら3人に比べれば、ここから近いとはいえ、俺も豪雨の中歩きたくないですよ。タクシーもめっちゃ並びそうですし、電車動いてるといいですよね。」
「だよなー。」
「ですよねえ。」
「そうですね。」
僕たち三人は、室町さんの言葉に同意し、各々自分のお酒に口をつけた。
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