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第14話
「俺が、19歳の時なんですが……。」
白坂さんが、ビールをひとくち飲み、淡々と話し始めると室町さんは彼の肩から手を離し、電子タバコを手に取った。僕は、グラスに目線を落としたまま彼の声に耳を傾けた。
「当時、門限がある家の女の子と付き合っていて、外泊許可が取れたからって事で、初めてその日一晩彼女といられることになりました。
彼女とメシ食って、夜の海をドライブして、いい雰囲気のままラブホに行ったんです。部屋に入って、クローゼットに彼女のコートと自分のコートを閉まっていたら、蛾が中から出てきたわけですよ。彼女に気づかれないように目でやつの行く末を追うとやつはふわふわ飛びながら最終的にベッドの枕に止まりました。俺としては、とにかく枕の蛾がいなくなるまでとシャワーに時間をかけたりソファでまったりしたり、時間稼ぎした
はずだったんですが……。」
「蛾は、いつまで経っても枕に居座ってたってわけか?」
「はい。」
「そりゃ、お前からすりゃピンチだな。俺でも、蛾と一緒に寝たくはねえな。」
「そうですよね。あの時は、ホントにベッドに近寄りたくなかったんですが、結局そうは行かず、覚悟を決めてベッドに行くことになりました。彼女が先にベッドに寝そべって、そのときに運よく蛾が出ていってくれたんです。ベッドからいなくなってくれたので、やっとコトに集中でき、いざ!! て、なったのですが、玄関にいたはずのあいつが、部屋に戻ってきやがったんですよ。視界にはいった途端、俺のアレは萎えてしまい、そして、やつはちょうど目を閉じていた彼女の内腿に止まったわけです。
俺は、声にならない叫び声をあげながら、慌てて彼女から手を放し後ろに後退りし
ベッドから落ちました。腰打つし、最悪でしたよ。」
「がはは。お前もかわいそうだが、彼女もかわいそうだな。一番いい時に拒否されるとか。
そのあとはやっぱり無理だったのかよ?」
「はい。たしかその後は、俺は、腰痛いままソファで寝て、彼女はシャワーを浴びて、ベッドで寝てましたね。朝になって最寄り駅までは送りましたけど、ほぼお互い無言で、それっきり連絡を取り合うことも会うこともなかったですね。
それ以来、彼女ができてそういう雰囲気になっても全然勃たなくなりました。と、いうのが、『あれ』て、やつです。」
白坂さんは、話し終えると煙草の箱の底をテーブルでトントンし、浮き出た1本を口に銜えた。そして、それに火を点けると瞼を閉じてから入口に向かって、煙を吐いた。
最初に見たときは、セクシーだなぁって、思ってたっけ。次は、何も思わなくなって、今は、瞼を閉じたときに醸し出す空気が、なんだか淋しそうだ。初めて触れる彼の闇の部分に僕は、胸が締め付けられる。
僕は、そういう機会がまだないし、想像するしかないけど、いざって時に使えなくなってしまうのは、男としての沽券に関わる問題なんだろう。僕だったら、そういうのがなくても白坂さんと一緒にいられるだけででそれだけで充分幸せだと思うんだけどな。
「うわぁ。それでEDかよ。俺、今まで100%できてっからわかんねえけど、やっぱできないのが続くと気まずくなる感じ?」
与座さんが、眉を潜め、心底嫌そうな表情を浮かべる。
「そうですね。酒とか疲労とか言い訳ができなくなるので。虫が原因って言うのも言えませんですしね。自然消滅か振られるかでそのうち終わります。」
「そっか。そうなるさな。で、彼女ってどのくらいいねえの?」
「ここに入る少し前だから、3年半くらいですかね。」
「100%の与座さんは、8年いないんでしたっけ? 100%言ってもそもそも白坂とは場数が違う気もしますけど?」
室町さんが、楽しげに笑う。
「悪いかよ。出会いがねえまんま気づいたら8年経ってたんだよ。いいんだよ、俺は。8年女とシてなくても週一の空手で趣味充してんだからよ。目指せ社会人部門優勝さー。」
「誰も悪いなんて言ってませんよ。人生の中で何を重点に置くかなんて人それぞれですから。」
「室町のくせにいいこと言ってんな。」
「くせにとはなんですか。俺だって、たまにはまともなこといいますよ。ま、俺は性欲を大事に生きていきたいです。白坂みたいなのも困るし、与座さんみたいなのも嫌です。」
「褒めて損した。」
「しょうがないですよ、室町さんはそういう人なので。」
白坂さんが、苦笑いを浮かべ煙を吐いた。一瞬感じた淋しさは消え、醸し出す空気は元の彼に戻っていた。僕は、その横顔を眺めながら、アボカドを頬張る。
「白坂、俺の悪口いう間があったら、酒注げよぉ。」
「すみません。」
室町さんが、空になったお猪口を白坂さんの前に差し出すと素早く煙草の火を消し、冷酒をお猪口に注いだ。
「あ、名取さん、よかったらこれどうぞ。」
そして、僕と目が合うと白坂さんは、自分の前にあるアボカドの乗ったお皿を僕の側にツツーと寄せてくれた。
「え?あ……ありがとうございます!!」
アボカドも嬉しいけど、それよりも白坂さんがやっと僕のことを見てくれたことの方が、何倍も嬉しくて、僕は彼の目を見つめ、満面の笑みで返した。
「よかった、笑顔になってくれて。名取さん、浮かない顔してるから、俺がこんな話したせいかなって思ってたんですよね。」
「そんな違いますよ。白坂さんの深いお話や室町さんのお話に聞き入っていただけです。ご心配おかけしてすみません。」
「深いってほどでもないですよ。」
白坂さんが、八重歯を覗かせ微笑んだ。
やっと笑ってくれたって思うのは、僕の方だよ。『その笑顔が、その目線が、僕になかなか向けてもらえなくなっちゃったから淋しかったんです。白坂さんが淋しそうだと僕もツラい。』とか言えるわけないよ。それにしても僕って、アボカドにつられて笑顔になってるとか思われてるのかな?きっと白坂さんの中での僕は、食いしんぼキャラが定着してそう。いいけど、白坂さんに認識してもらえるなら、どんなキャラでも。
「いえいえ。僕の苦手なものなんて、雷なんで、そんなにたいしたことないですよ。」
「名取さん、俺にネタバレしなくてもいいですよ、自分の苦手なもの。」
「あ、ホントだ……。」
言われてみてから僕は気づき、目を見開いたまま思わず口を抑えてしまった。
「ホント君はおもしろいんだから。フフッ……。」
白坂さんが、目を細めてフッと笑った。
わぁ、今の笑顔も素敵だなぁ。僕も釣られて頬が緩む。
やっぱり白坂さんとお話しするのって楽しいな。ちょっとしたやりとりなのにすごく心があったかくなって、この瞬間が愛おしくなる。人と話していてこんな風に思ったのは、初めてだよ。友達とも違くて、家族とも違くて。
例えようもない気持ちが、僕の中で溢れている。
ゴンッ。
隣から、音が聞こえ僕は一気に現実に引き戻された。僕の肩が反応して、ビクッと跳ねる。
「おい、名取、白坂だけに話してないで、俺たちにも話せよ『雷』の話。最後はお前の番だぞ、1番。」
犯人は言わずもがな与座さんだ。音の正体は、テーブルをグラスに置く音だったみたいだ。
「は、はい!! すみません。話します。」
僕は、慌てて与座さんに頭を下げた。
今の音で、一気に酔いが冷めたような気がするよ。
「名取くんの話楽しみだなぁ。」
室町さんが、お猪口を置いて、へらっとした笑顔を浮かべた。
そういう事言われるとプレッシャー感じちゃうな。
当たり前だけど、与座さんも白坂さんも僕を見てるし、なんだか緊張してきちゃった。
喉がひどく渇き、僕は、残りのにごり酒を一気に飲み干した。
少しとは言え、冷めた気がした酔いが再び蘇ってきたみたいだ。頭がぽわんとして、体がポカポカしてきたよ。その代わり、徐々に緊張感は解れていくようだ。
袖のボタンを外して、腕捲りをすると僕は、深呼吸をひとつした。
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