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第18話

 ふいに室町さんの顔から笑顔が消え、静寂が訪れた。  与座さんも物音を抑え目にグラスに口をつけた。  これから、ふたりの番がはじまるんだ。  僕は、スマホを片手にいつでもスタートボタンが押せるようにと親指を画面のすれすれまで下ろし、室町さんの行動に目を凝らした。  すると彼が、白坂さんの肩に手を添えて、ゆっく立ち上がった。 それに続き白坂さんが、席を立とうとした時、  「おっと。」  「大丈夫ですか?」 一瞬、室町さんの足元がふらつき、白坂さんの手がさっと腰を支えた。 「サンキュー。」 「気を付けてくださいよ。」 彼が白坂さんを見上げ、微笑むと苦笑いを浮かべ、腰から手を離した。  絶妙なタイミングに僕は、見惚れてしまった。だけど、ほんの束の間とは言え室町さんの腰に添えられた手に何か胸にもやもやしたものが走る。    「名取くん、準備はいい?」 「は、はい。」 室町さんの声に僕は慌ててスマホを構えなおした。  室町さんは、僕に向かってにっこりと笑みを向けてから、その場で白坂さんに向かってゆっくり背を向けた。すると彼の背後から白坂さんの長い腕が伸び、包み込むように優しくその華奢な体を抱きしめた。    その瞬間、僕の心がズキリと鳴った。    「……。」 「……。」 白坂さんが無言で僕を見て、僕のスマホに向かって顎でしゃくった。  もしかして、計る合図かな?  僕は、慌ててスタートボタンをタップした。   「白坂、よそ見するなよ。」 室町さんが珍しく低いトーンで言い、白坂さんの頬に手を添え 前へと向き直させた。 「すみません。合図出しただけですよ。」 「そう言う事は、俺がするから、お前は、命令通りバッグハグだけしてればいいんだよ。」 「わかりました……。」 室町さんの手が、白坂さんの頬から首へとゆっくりと撫でるように下ろし、そして、自分の胸に回された腕にそれを添えた。そして、白坂さんは顔を俯かせ、彼の米神辺りに口唇を寄せた。  途端に室町さんの表情が、不機嫌そうな顔から、恍惚とした表情に切り替わった。整った顔から放たれる色香に男の僕が見てもどきっとしてしまう。   一方白坂さんの表情は隠れていてあまりよく分からないけど、僕とついさっき談笑していた時とは、醸し出している空気が違うのは明らかだ。気さくさが消え、その代わり大人の男の人のフェロモンが漂っている。  無言のままスーツ姿の男性が、シャツ&ベスト姿の男性を後ろから抱き締めている光景は、僕の目には、男女のカップルがいちゃいちゃいしているよりも艶かしく映る。  心臓がバクバクして、自然と口が半開きになってしまい、僕は自分の口を両手で抑える。  白坂さんから目が離せない自分と目を逸らしたい自分がせめぎ合う。   目を逸らしたいのはきっとこのわけの分からないもやもやのせいだ。  さっきは、ふたりの距離の近さに見てはいけないものを見ている気分にさっきはなったけど、もやもやはしなかった。だけど、今は見ているだけで胸が苦しい。  違いはなんだろう?密着度?ううん。そうじゃなくて、白坂さんが自ら誰かに触れているからなんだ。  それが、単純に嫌だ。    初めての感情に僕は自分に戸惑う。    「……あいつ、メスの顔になってんな」 ボソリ。タバコの煙を吐き、与座さんが呟く。 「メス?」 「なんでもねーよ。時間ちゃんと計ってるか?」 「はい。計ってますよ。あと、1分半もあります。」 僕は、『も』を強調しながら、答える。 「そう。名取、飽きてるだろ?」 「そんなことないですよ。」 与座さんにニヤニヤしながら、小声で言われ、僕はつっけんどうに返す。  そして、目の前の光景を見ないようにお酒のグラスを手にした。それでも、一度目にした光景は、頭から離れてくれず、僕は、乾いた喉を潤すために残りのお酒を一気に飲み干した。  「ちょっとぉ、二人とももう少し見といて。」 ちらり。室町さんが、表情を元に戻し視線をこちらに向ける。横目で見ると与座さんもふたりから目を逸らし、窓に向かって煙草を蒸かしていた。 「えー。ヤロー同士が絡んでんのを見ててもおもしろくねーし。なあ?名取」 「はい。……あ、違います。おもしろくないからってわけではないんですけど……。」 僕は、両手を振って否定する。 「けど?」 「えーと、なんでもないです。あ、あと40秒です。」 僕は、自分の気持ちを悟られないように咄嗟にスマホに目を落とした。  まだ40秒もあるのかぁ。    僕は、意を決してもう一度顔を上げて改めて二人を見つめた。    白坂さんって、包容力があって抱き締められているだけで、すごく安心感がありそうだから、全てを委ねたくなりそう。  僕のくじ運がよければ、白坂さんにしてもらえたかもしれないのになぁ。  頭の中で、自分が室町さんの立場になってバッグハグをされている姿を想像してみる。  大きなあの手に自分の小さな手を重ねたらさ。『皐月くんの手は、ちっさくてかわいいな。』とかあの低くて耳心地のいい声で耳元で言われちゃったりしたら、僕、耳の奥から溶けちゃいそうだよ。  ひゃー。自分の妄想に耐えられず、僕は頬を赤らめ両頬を抑えながら、激しく頭を振った。  ピピッ。電子音がなり、時間終了の合図を知らせた。 「お、終わりでーす。」 僕は、我に返り、若干頭の振りすぎでくらくらしつつも慌てて、室町さんと白坂さんに告げた。  白坂さんは、すぐに室町さんから腕を離すと口を抑えて笑い出した。 「あはは。名取さん、いきなり百面相しだすから、笑いを抑えるの大変でしたよ。」 「分かるー。俺も名取くんがいきなりヘドバンはじめるから笑いそうになっちゃった。あはは」 室町さんが、白坂さんの腕を掴み、笑い声をあげる。 「そんなに僕変でした? 」 僕は自分で自分を指差す。 「ああ。でも、おかげで退屈しないですみました。」 「白坂、あのとき退屈とか思ってたのかよ。ひどいなー。」 「すみません。室町さん、それ、そのグリグリするのなにげに痛いですよ。」 白坂さんの腕に拳をグリグリと押し付けると彼が室町さんの拳を手で捕まえた。 「俺の方こそ、いてーわ。俺の拳を握りつぶすなよ。バカ力。」 「そんなに力いれてないですよ。俺、非力ですし。」 白坂さんが、室町さんから手を離した。 「お前、嘘つくなよ。この間、腕相撲で秒で俺に勝ってだろ?」 「ああ。すみません。少し嘘つきました。」 「お前なー。」 室町さんが、白坂さんの首に右腕を巻き付け、そのまま白坂さんを巻き込むように席に座った。  ホントにふたりって仲いいよなぁ。僕もいつかあんな距離で白坂さんと接してみたいな。初対面だし、まだまだ遠いのは分かってるけどさ。でも、確実にこれから出会うごとに親しくなれるように頑張ろっと。まず今日は、僕の事を認識して貰えるようにしないと。  僕は、ふたりを眺めながら、ひとり頷く。  「名取くん、どうしたの? なんかひとりで頷いて。」 「あ……えーと、頑張るぞと、思って。」 咄嗟に思い付いた理由を両手を肩の前でグーにして答える。 「ふふ。頑張るぞかぁ。そっか。俺と与座さんが2回ずつで名取くんはまだ王様になってないもんね。」 「はい。」 僕は、飲むものがなくなってしまったので、とりあえずお水を一口飲んだ。    よかったぁ。王様の方だって思ってくれて。  室町さんって鋭いからいろいろ見透かされたかと思って心配しちゃった。  だって、さすがに白坂さんが室町さんを後ろから抱き締めている光景が艶かしくて、喉が乾くくらいどきどきしたとか室町さん並に白坂さんと今後親しくなりたいから気合い入れてました。とかさ。室町さんなら笑って受け流してくれそうだけど、心の中ではどんびかれちゃいそうだもん。   「白坂、名取くんの酒が空だよ。」 室町さんが、ちょうど自分のお酒を注ごうとしていた白坂さんの腕を掴んだ。すると白坂さんは、注ぐのを止め、おちょこと冷酒をテーブルに置いた。  なんだか僕のせいでとめてしまったのが申し訳ない。 「名取さん、すみません。次どうしますか?水追加する?」 「いえ。お水は大丈夫です。僕の方こそ手を止めてしまってすみません。あの、僕、お酒注ぎます!!」 「え?! 俺に? ありがとうございます。それで、君のはどうする?」 「あ、そうですね。えーと、僕も冷酒を頂いていいですか?」 白坂さんの側にある冷酒の瓶を見ながら、告げる。 「嬉しいなー。名取くんがこっちにきてくれるなんて。」 室町さんが、ふにゃっとした笑みを浮かべる。 「マジさー。名取、調子にのって飲みすぎんなよ。」 「分かってますよ。」 与座さんの腕が僕の肩に伸びてきそうになったので、僕はそれを交わした。 「名取さん、お猪口いいですか?」 「は、はい」 僕は、お猪口を右手で持ち左手を底に添えながら、白坂さんの方へを腕を伸ばした。すると白坂さんが冷酒の瓶を持ち僕のそれに注いでくれた。  えーと、こういう時って、まずはひとくち呑まないといけないんだよね。無色透明の液体が、白坂さんが注いでくれたと思うだけで、黄金色に輝いて見えるから不思議だ。  「……。」  ひとくち口に含み、白坂さんがよくやっている瞼を閉じて味わうように飲んでみた。さっきもおいしかったけど、今の方が断然おいしい。  「寝たかと思った。」 白坂さんの揶揄うような声で僕は瞼を開け、お猪口を下ろした。 「ひどい。起きてますよ。味わってただけです。」 「そっか。悪い悪い。」 彼が、八重歯を見せてニカっと笑った。ずるいよ。白坂さんの笑顔って全てを許してしまいたくなるし、向けられる度に胸がきゅんてする。 「……。」 「ん?どうした?」 「いえ。なんでもないです。お注ぎしますね。」 「おお。」 僕は、腕を伸ばして、白坂さんの横にある冷酒の瓶を取ろうとした。 「悪い。瓶、渡す…」 白坂さんが声を掛けてくれたけど、それより前に僕は、瓶を掴んだ。 「名取くん!?」 室町さんの声が、個室に響いた。

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