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第20話

  「失礼致します。」 ガラリ。僕の思考を遮るように店員さんが襖を開け、個室に入ってきた。 「こちら、デザートの抹茶チーズケーキのバニラアイス添えになります。」 「ありがとうございます。こちらでやりますので、ここに置いてください。」 「恐れ入ります。」 白坂さんが、テーブルの空きスペースにデザートを置いてもらうように店員さんに促し、空のお皿と冷酒の空き瓶を手渡した。 「お客様、お時間の30分前になりましたので、ラストオーダーになりますが、いかがなさいますか?」 「はないもロックがひとつと冷酒を2本お願いします。」 即座に室町さんが、改めて店員さんに極上の笑みを浮かべて、オーダーを伝えた。 「はい。かしこまりました。はないもロックと冷酒が2本でございますね。失礼致します。」 店員さんは、一礼をしてから静かにここを出ていった。  あと30分かぁ。すごく名残惜しいなぁ。 またいつか白坂さんに逢える機会はあるんだろうけど、今度はいつになるんだろう?  同じ職場じゃない分、偶然を期待するしかないんだよね。  はぁ。僕は、チーズケーキをひとくち食べ、小さくため息を吐いた。  チーズケーキの欠片が、味すらも感じないままただ僕の喉元を通り過ぎていく。  「それあんまうまくない?」 白坂さんの声が聞こえ、慌てて顔を上げると彼と目が合った。 「へ?いえいえ。そんなことないです。おいしいです。」 「その割には、浮かない顔してる。」 僕は慌てて両手を顔の前で振りながら、否定するけど、彼の表情は何かを探るように僕の目から逸らしてくれない。あんまり見られると照れてきちゃうよ。と、言うか僕がぼんやり抹茶チーズケーキを食べていたところを観察されてたと思うと尚更恥ずかしい。 「やだなぁ。白坂さんの気のせいですよ。これおいしいですよ。抹茶のアイスともまっちゃ合いますし。」 「まっちゃ合います?」 「あ!? 今のは違います。めっちゃ合いますです。ちょっと間違えただけですよ。」  聞き返されて、時間差で僕は自分のいい間違いに気づき、両手を自分の顔の前で振り、全力で否定した。僕の頬が、恥ずかしすぎて頬が熱いよ。 「だよな。あはは。名取さんといると和むね。」 「もう、白坂さんそんなに笑わないでくださいよぉ。」 「あはは。悪い。悪い。」 白坂さんが、笑い声をあげながら、目の端に浮かぶ涙を拭う。屈託のない笑顔が素敵だ。  ここまで笑ってくれると言葉を間違えちゃったのは恥ずかしいけど、むしろ嬉しい。しかも笑顔の理由が、『僕』って事が僕としてはたまらなく嬉しい。  僕は、白坂さんの笑顔を眺めながら、チーズケーキを口に頬張った。しっとりとした生地とほどよい甘さが口の中に広がっていく。僕が今まで食べたチーズケーキの中で、一番おいしいかもしれない。  「白坂、楽しそうだねえ。」 室町さんが、白坂さんの腕に自分の腕を絡ませ、彼に寄りかかってきた。途端に彼の笑顔がぴたりと止んでしまった。 「ああ。名取さんのいい間違いがツボにハマってしまって。酒入ってるとツボが浅くなりますね。やべえ。久しぶりに笑った。」 「まあ、名取くんは天然だからね。つーか白坂って、いつもどこらへんから酔ってるか全然わかんないんだけど?顔色も変わんないしさ。与座さんみたいに顔色変わんなくても立てる音がだんだん大きくなるとかなら分かりやすいけど。それと声がただでさえでかいのによりでかくなるとかさ。分かりやすさの極みだよな、あれ。」 「だーれーが、分かりやすいだ‼」 ドンッ。与座さんが、がなりながら、グラスをテーブルに音を立てて置いた。  もう、そういうところが分かりやすいって言われてるのにどうして気づかないのかなぁ。と、僕は、心の中で与座さんに話しかけながら、チーズケーキを食べ続ける。いつもの飲み会はあまり食べられないけど、今日は、結構お腹いっぱいになったなぁ。初めて飲むお酒も飲んだし。  ふわあぁ。思わずあくびがでてしまい、僕は慌てて口を手で押さえた。 「なーとーりー、俺が話してる横でのんきにあくびなんかしやがって。」 「すみません。お腹いっぱいになったら、つい出ちゃって。」 「もう、名取くんのそういうとこいいよね。おうち帰るとき寝過ごさないようにきをつけてね。」 「はい。あ……」 家で帰るで思い出したけど、電車の状況ってどうなってるんだろう?ふと、思い出し、僕は言葉を止めた。 「名取さん、どうしました?」 「電車、どうなったのかなと思って。」 「ああ。調布までは動くので、名取さんは気にしなくて大丈夫ですよ。」 白坂さんが、スマホを片手に僕に微笑んでくれた。 「それじゃ、その先の俺は諦めろってことか?」 半ば切れぎみに与座さんが、テーブルから身を乗りだした。  「もう、与座さん、白坂さんに当たらないで下さいよ‼ 白坂さんは調べてくれただけなのに。そうやって、すぐに怒ったりするから電車も止まるんですよ‼ 日頃の行いが悪いから‼」 僕は、咄嗟に与座さんの腕を掴み、先輩だろうが構わずに一気に捲し立てた。だって、白坂さんは調べてくれた結果を教えてくれただけで何も悪くないのに。 「……名取、悪かったよ。」 与座さんの勢いが消えた。 「違う!? 僕じゃなくて白坂さんに謝ってくださいよ‼」 「白坂、八つ当たりして悪かったな。」   「いえ。俺は気にしていないので。電車が動かなくていらっとする気持ちは分かりますし。名取さん、怒ってくれてありがとう。もう、与座さんから腕を放してあげてください。」 「白坂さんが、そういうなら……。」 僕は、渋々与座さんから腕を放した。  本当に与座さんより白坂さんの方が、対応が大人だよなあ。僕、白坂さんのそういうところ尊敬しちゃうよ。 「さすがの与座さんも名取くんには弱いんですね。」 「そりゃ、今の見ただろ?」 与座さんが苦笑いを浮かべ、お酒を飲みほした。  なんだか気まずい空気が流れている。  僕ってば、ついつい感情的になっちゃったよ。明日、仕事がなくてホントによかったよ。2晩あれば、多分、大丈夫だよね?と、自分に心の中で言い聞かせる。  「お待たせ致しました。」  グッドタイミングだよ。 店員さんが襖を開けて、お酒を持って来てくれた。 「こちらでやりますので、置いておいてください。」 白坂さんの声に店員さんは、お酒を置くと代わりに空のグラスをトレイに乗せて、去っていった。 「与座さんのやつ、僕が渡します。」 僕は、白坂さんから与座さんのお酒を受け取り、彼に手渡した。 「名取、お前のとこの瓶、あと1杯くらいだから注いでやるよ。」 「与座さんが僕に?」 僕は自分で自分を指さす。 「驚くことないだろ?俺の酒が飲めないっていうのか?」 「そういうわけではないんですけど……。」 できれば、白坂さんに注いでもらいたかったなぁ。なんて、贅沢なことを思ってしまう。 「じゃあ、いいよな?」 「……はい」 与座さんの圧に負けて僕は、自分のお猪口を手にした。すると彼は冷酒の瓶をさっと手に持ち僕のそれにぎりぎりまでお酒を注いだ。僕は零さないように自分の口をお猪口に寄せ、そのまま一気にのどに流し込んだ。  冷たいはずのお酒なのに僕の体温は上昇していき、頭の中がまたぽわんとしてきて、眠気が蘇っていく。  「おいおい。そこまでしろとは言ってないぞ。」 「まさにアルハラですね。」 室町さんが、空のお猪口を掲げると白坂さんが、さっとそれに注いだ。 「空になってたから、名取に入れるくらいいいだろ?入れるくらい。一気飲みの方は俺は煽ってねえさ。」 「やだやだ。『挿れる(いれる)』とかえっちなんだから。」 「いれる?」  僕は、与座さんが言った言葉の何がえっちなのかが分からず、小首を傾げた。 「おーまーえー。何でもそういうのに結びつけるのは止めろよな。名取がリアクションに困ってるだろ。」  困ってると言うかそもそも意味が分からないんですけど……。  白坂さんは、やっぱり分かるのかな?   僕が、視線を白坂さんに向けると彼は、二人の会話には我関せずと言った表情で、自分でお猪口に冷酒を入れようとしているところだった。  「あの、僕注ぎます。」 僕は、慌てて声を掛けた。  眠いとか思ってる場合じゃないよ。白坂さんと一緒ににいられるのはあと少しなんだから、ちゃんと起きてなきゃ。ちょっとでも、触れあえる機会を逃さないようにしないと。 「お? ありがとう。じゃあお願いします。」 「はい。」 一旦、お猪口をおろしてから、両手を添えて冷酒の瓶を僕に手渡してくれた。 僕が、それをを受けとると彼はお猪口を僕が注ぎやすいように前に差し出した。  トクトク。僕は、慎重にお酒をお猪口にそれを注いでいく。  お猪口に透明の液体が満たされていく度に僕の心も満たされていくみたいで、なんだか幸せだ。  「名取さん、目がトロンとしてる。やっぱけっこう眠い?」 「そんなことないです。大丈夫です。あの、僕のも注いで貰ってもいいですか?」 「いいよ。でも、あんまり無理するなよ。」 「はい!!」 僕は、満面の笑みで返し、お猪口を両手で持ち前に差し出した。すると白坂さんが、瓶を持ち少し少なめにお猪口に注いでくれた。 「ありがとうございます。」 ぺこりとお辞儀をし、大事にひとくち口に含んだ。  やっぱり、注いでくれる人によって味が違うような気がするよ。与座さんに注いで貰った時よりも白坂さんに注いで貰った方が、お酒の味が甘いような気がする。    「名取くん、今日イチの笑顔だねえ。」 そう言う室町さんもへらへら~と笑みを浮かべて、年下の僕が言うのもなんだけど、なんだかかわいく見える。 「そうですか?なんだか楽しくて。」 「ひとり以外は、酔っても楽しい感じになるからいいねえ。」 「お前なぁ。“ひとり以外”って、だれのこと言っ……」  ズルッ。 与座さんの話の途中で室町さんの体が、一瞬沈んだ。  だけど、完全に沈む前に白坂さんが、室町さんの身体に腕を回し座席へと引き上げた。  「室町さん、大丈夫ですか?座席から沈む人初めて見ましたよ。」 「白坂、サンキュー。腰の力が一瞬抜けてさー。自分でもびっくりしたわぁ。」 「そんな呑気に言われましても……。気を付けてくださいよ。」 白坂さんは、室町さんの腰に腕を回したまま苦笑いを浮かべる。  室町さんの事も気になるけど、僕としては腰に回された腕の方が気になってしかたがない。もう、室町さん放して座席に戻れたんだから腕なんかなくても大丈夫なのに。室町さんと白坂さんのバックハグの時に抱いたもやもやとした気持ちが、再び僕の中で甦る。  「大丈夫か? 室町、そんなんで帰れるのかよ? タクシーで帰るにしても居酒屋出るまでがヤバくないか?」 「誰かに支えてもらえれば、大丈夫でしょ。」 「それって、白坂か?」 「たまには、与座さんでも大丈夫ですよ。」 「大丈夫ってなんだよ、その言い方は。俺は遠慮しとくさ。」  カラン。与座さんは、氷の音を響かせながらグラスのお酒を煽った。    苛立ちと共に喉の乾きが僕を襲う。  僕は、くいっと一気に残りのお酒を飲んだ。  「白坂さん、お願いします。」 僕は、白坂さんの前に空のおちょこを差し出した。 「了解です。」 白坂さんがやっと室町さんから腕を放し、 さっきと同じように少し少なめに注いでくれた。  僕は、一口だけ飲むとテーブルにお猪口をおろした。  ぶわぁっと僕の頭の中は、酔いと眠気と幸せと腕が離れたことへの安心感が駆け巡る。 自然と瞬きの数が増えて行く。 「おいおい。大丈夫かぁ? まあいざとなったら、俺が送っていくか。」 与座さんが、僕の肩に手を置き、ひとり納得するように呟く。 「与座さんに心配して貰わなくても大丈夫ですよ。与座さんのお世話にはなりません。」 僕は、たまたま目に入った割り箸を掴むとピシッと宣言した。 「あぶねえなぁ。割り箸を俺の前で立てるな。そんなこと言って、ひとりで帰れなくなっても知らねえさ。」 「もう、大丈夫ですよー。与座さんのお世話にはなりませんよ、僕。」 大事なことなので、僕はもう一度与座さんに告げた。与座さんのお世話になると月曜日、職場で借りは返せよ。って、なりそうだから、嫌なんだよね。  「名取くん、ホントに与座さんには勇ましいね。その勢いで、最後の王様ゲームしちゃおうか?」 「はい。」 「じゃあ、割り箸は、名取くんに渡してください。」 「まだやるのかよ。」 「ラストですよ。名取くんも同意してくれましたしね。」 室町さんが、微笑み、白坂さんの割り箸と一緒に手渡してくれた。 「わーったよ。イカサマはやめろよ。」 「それは、与座さんもですよ。」 「俺は、やってないさ。運がいいだけだよ、俺は。」 「ああ。たしかにそうですね。名取くんのあんな姿見れたり、あんな事してもらえたりしましたしね。」 「たまたま名取が全ゲーム参加してただけだろ。ほら、名取。」 僕は、与座さんから割り箸を受け取った。そして、室町さんがしてたみたいに割り箸の先が見えないように手に持ちシャッフルをした。  いざ、最後のゲームへ。  「引け。」 なぜか与座さんの声をきっかけに3人が一斉に割り箸を引いた。

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