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第二章・黒龍の鱗③
「太宰さん、一体何処に……」
今迄ならば流れているだろう川付近を見回っても敦は太宰の姿を発見する事が出来なかった。探偵社員は皆怏々に数日経てば勝手に戻って来るだろうと口にしたが、仮令数時間であっても太宰の姿が無い事は敦には受け入れ難い問題だった。
かさり、と草を踏む音に敦は振り返る。然し其処に立っていたのは太宰では無く黒い外套を纏った芥川だった。
「芥川……何でお前が此処に」
答える代わりに芥川の外套が変形し、異能【羅生門】が敦の喉元を狙う。咄嗟の事で反応こそ多少遅れたが、敦は背後へと跳び上がり皮一枚の処で羅生門の刃を避ける。
「行成何するんだ!!」
「……何をする、だと……?」
漸く開かれた口から発せられた言葉は地の底から這い上がって来るかのような重みが有り、眉間には深い皺が刻まれており双眸は暗く一切の光をも宿してはいなかった。
「……僕は今お前に構っている暇なんて無い――!」
敦は奥歯を噛み締める。芥川と対峙している時間の一秒すらも惜しい。いち早く太宰を捜し出さなければという焦りが敦を追い立てていた。後ろに置いた片脚に重心を乗せ芥川の意識が一瞬でも反れる瞬間を狙う。
「愚者めが、未だ気付かぬとは笑止」
「何だと!?」
怒りに任せ敦の反応速度が僅かに鈍った。次の瞬間硬質化した羅生門の一部が敦の腹を打ち、かわし切れなかった敦は其の儘数十米後方へと押し遣られる。
体勢を立て直す前に芥川の脚が敦の手を踏み付ける。見下ろす視線は只冷徹で此れ迄以上の敦に対する嫌悪感が含まれているようだった。芥川が敦の顎を踵で蹴り上げれば敦は更に成す術無く転がる。
万全の調子であったならば敦が一方的にやられ続ける事は無いが、此の時敦の頭の中は色欲のみに支配されており、其の悩みから巧く躰と思考を戦闘に切り替える事が出来ずにいた。一秒でも早く太宰の無事を知り安堵したかった。其の手に触れて、近距離で吐息を感じ、此の両腕に抱き締めて存在を噛み締めたい。あの日からずっと消えない詛いの様に敦の胸の奥深くに刻み付いた。
「ぐぁあああ!」
俯せになった敦の肩甲骨の間を芥川が踏み付けると敦から苦痛の声が漏れる。脚を乗せた儘腰を屈め、背後から敦の髪を掴んで顔を上げさせても敦は別の何かを見ているかのように焦点は合っていなかった。其の顔に唾を吐き掛けたい衝動を堪え、芥川は敦の顔面を地面に打ち付ける。
「……訊け、人虎」
力などほんの少しも残っていない筈ではあったが、芥川の躰の下から這い出ようと敦は両腕を地面に着く。賺さず芥川は腕を無数の刃で斬り付け、逃走防止の為にとアキレス腱をも切断。
今の敦に何を云っても無駄だと芥川は相対する前から判っていた。
「今の貴様が居る探偵社に太宰さんは二度と戻らない」
芥川の一言に敦の瞳孔が縮まる。訊きたく無い言葉をよりにもよって一番訊かされたくない相手の口から告げられ、敦の思考は現実に引き戻された。
自分が一番愚かである事を敦は理解していた。其れでも拒絶せず自分を受け入れて呉れた太宰に甘えきってしまったのは他でも無い自分なのだ。
――拒絶は本当に無かったのか。
あの月夜の光景がフラッシュバックのように敦の頭の中に蘇る。
――「駄目ダ、止メ給エ敦君」
「あ、あぁ……」
【敦は選択を間違えた】
気が付けば芥川の姿は既に其処には無く、敦は夕刻近く捜索に現れた国木田や同じ探偵社員である谷崎潤一郎らの手によって保護された。
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