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第2話 ※

 飴村との関係はそれからも続いた。続いたけれど、それはあくまで雨の日に限った話で、毎日のように続く日もあれば、ぱったり間が空くこともあった。  最初、俺はその法則に気づいていなかった。だから梅雨が終わって飴村が来なくなった時にはそわそわしたし、雨の日に何事もなかったようにふらりと飴村がやって来た時には、よかった、と素で思った。  性欲に心まで流されかけていた思春期真っ只中だった俺は、その後、法則に気がついて失恋したような気分になったのだが、お陰で正気に戻ることができて、今に至る。  高一の梅雨から、早三年。  俺たちは互いに大学生になって、それぞれ一人暮らしを始めて、それぞれに女子と知り合う機会が増えた。そろそろ終わりが近いだろう。  今日だって――。  まだ、物の少ない自分の部屋。同級生たちと課題を片づけているのにいつのまにか飴村とのことを思い出していた俺は、窓の外に目をやった。分厚い雲に覆われた空は、雨こそ降っていないけれど、昼とは思えないくらい暗かった。窓を開ければ、雨のにおいのする湿気た空気がぶわりと入ってくることだろう。  飴村はどうしているだろう。  最初は降り出してから来ていたのが、そのうちに「雨のにおいがするから」とフライングみたいにやって来るようになった、筋金入りの変態は。  インターホンの音が響いて、俺の思考は中断された。同じ学科の誰かだろうと思って扉を開けたけれど、立っていたのは飴村だった。 「俺も混ぜてもらおうと思って」飴村が言う。 「場所がない」  背後の友人たちが気になって、素っ気ない声の応答になった。約束していたわけではないけれど、どう見ても降りそうな空だったから、飴村には「友人と課題を片づける」と伝えてあった。「だから来るな」という意味だったのだが。 「読まないといけない本があるんだけど、家だと頭に入らなくて。隅の方で大人しくしてるさ。……だめか?」  飴村の珍しい弱い声。芝居じみていると思ったのに、俺はなんだか気が咎めてきて、「別にいいけど」と半身になった。  飴村の訪れから程なくして、外は土砂降りの雨になった。  飴村も友人たちも和やかだったし静かなものだったけれど、窓を打つ雨音に、俺の気はそぞろになっていく一方だった。「そろそろ帰るよ」と友人たちが解散を言い出した時、解放されることに誰よりも安堵したのも、課題が進んでいなくて誰よりも絶望したのも俺だったと思う。  飴村と目が合う。涼しい顔をしている飴村は、俺の顔を見てかすかに笑った。その顔にむっとしながらも、深い部分が甘く疼いた。飴村のせいだ。飴村のせいで、俺まで変態になってしまった。そんな風に思っても、ようやく二人きりになれると思うと不機嫌な気持ちは続かなかった。それとなく視線を外しながら、人の気配の入り乱れる室内で飴村の気配を探そうとしている自分を自覚して、頭の隅で、性欲まじで怖いなと思った。  その時。同じ学科の佐藤(さとう)さんの、いつもより高い声が耳に届いた。 「飴村くんって、駅前のカフェでバイトしてるよね?」 「ああ。よく来てくれるよね」 「覚えててくれたんだ?」 「安宿の友達だからね」  いつもより優しい声を出した飴村が、よそ行きの顔で佐藤さんに笑いかける。俺はなんだか胸を殴られたような気分になって、その顔から視線を逸らした。 「どっち方面? 駅まで行く?」  懐っこく訊ねる声が聞こえてきて、まずいと思った。佐藤さんが飴村に興味を持っているとしても、飴村は雨の日に近付いていい男ではない。一緒に帰らせるわけにはいかなかった。他意はない。心配するのなんか当たり前だった。 「飴――」 「俺はもう少し残るよ。気をつけて」  どうにかして止めなくては、と見切り発車で発した名前を、言い終わる前に飴村は言った。ほっとする。飴村の視線が俺を向いたのに、気づかない振りをして立ち上がった。  佐藤さんを含めた友人たちを玄関で見送って扉を閉めると、ほっと安堵の息が漏れた。背後から伸びてきた手に引き寄せられて、いつにないことに戸惑いながら腕から逃れた。  室内に引っ込んだ俺の耳に、飴村が鍵をかけた音が届いた。  いつもはひっくり返されている時間の方が長いのに、今日は向き合ったままだった。だから、いつもは覗きこまないと見えない二人分のちんこが、飴村の指に擦られている光景が、ダイレクトに視界に飛び込んできて生々しかった。 (……や、ばい)  やり過ごしたばかりの射精感がぐんぐん膨らんでいく感覚に、俺は小さく頭を振った。見ない方がいいかもしれないと目を閉じても、感覚がより鮮明になって、事態は悪化する一方だった。 「ん……っ」  諦めて目を開けると、色っぽい顔をした飴村の顔が目に入って、今度はそれがちんこに響いた。  飴村と目が合う。飴色の瞳。あの日、高校生の梅雨の日に、綺麗だと思ってしまった瞳。思った途端に、目の前が弾けた。 「――あぁっ!」  びくびく震えてから、脱力感と羞恥心からくたっと沈んだ。どれだけ飴村とえろいことをしようとも、先に出すのが悔しいのは変わらなかった。両腕で顔を隠して肩で息をついていると、ベッドが軋んで、顔を隠していた手を剥がされた。 「……?」  ぎらぎらしている飴村の瞳に違うものが過った気がして覗きこんでいると、掠めるように唇が触れた。ほんの一瞬。飴村はすぐに顔を離すと、何事もなかったみたいに、力の抜けた俺のちんこと膨らんだままの自分のちんこを一緒くたにして、緩い刺激を加えはじめた。 「……っ、ちょっ、まだ……」 「……ゆっくりするから」 「そういう問題、じゃな……っ」  言いたいことは山ほどあったのに、射精したての敏感なちんこをゆるゆると優しく刺激されるうちに、俺は思考を手放してしまった。 「ファーストキスだったんだぞ」  ベッドに寝ころんだまま、立ち上がって服を着ている飴村に言うと、飴村はちらりと俺を見た。 「……そうか」  謝りもしない飴村の声と表情が弾んで見えて、これはまずいと俺は思った。思い返せば、キスをされる直前に、飴村の瞳に感情が過ったような気がしたのもまずい。  三年一緒にいて、えろいことをするのは雨の日だけで、それ以外は至って普通の友人同士の距離のまま。冷静にならずともわかっている。飴村の行動に性欲以外の何かが見えるなら、俺自身がそれを探しているせいだ。思春期真っ只中の、苦い記憶。俺は二度と、飴村に気があるなんて勘違いをしたりはしない。  ……正気を取り戻さなくては。 「彼女つくれば?」  飴村がにやりと口を歪める。 「邪魔しようとしたのに?」 「あれは……。雨の日に二人になんかできないだろ」 「ああ、そっちか」  淡々とした飴村の態度に、もやもやしたものが胸に広がる。 「佐藤さん、彼氏いないらしいよ」 「……くっつけたいの?」 「その気があるなら、セッティングくらいはできる」  飴村がゆっくり瞬きをした。真意を測ろうとしているみたいなその目を、身体を起こしてまっすぐ見返す。 「……そういう安宿は? 誰かいるのか?」 「俺は別にいないけど」 「彼女ほしいか?」 「縁があればね」  飴村が無言で見つめてくるから、落ち着かないような気持ちになった。俺はこの目に弱いのだ。飴村のこの、光の加減で急に明るい色になる瞳に。その瞳に感情を探してしまうから、俺は自分がまだ正気じゃないことを再認識した。  目を逸らしたのは飴村だった。いつもの淡々とした声と表情で、「そうだよな」と相槌を打つ。 「協力はいい。バイト先によく来るし、接点はあるから」 「そうだったな」  軽く頷いた飴村が「ありがとう」と言ったから、俺は自分の申し出が的外れではなかったのだという気がして、もやもやがまた膨らんでしまった。

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