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第3話
翌日。学食でカレーを食べていると、向かいに座る佐藤さんが、きょろきょろしてから話しかけてきた。
「飴村くんって彼女いるのかな……?」
妄想が現実になったみたいな状況に手にしていたスプーンを落としそうになって、俺は自分が、結構動揺していることに気がついた。窓の外の空は、今日も重苦しい雲に覆われている。
「どうかな……?」
佐藤さんはいい子だ。飴村にはもったいない。もったいないけど、佐藤さんが飴村を知りたいと言うのなら、止める権利は俺にはない。飴村に彼女がいないのは俺が一番よくわかっているし、俺だって別に……飴村のことを好きとかじゃないし。
佐藤さんに向けられた、飴村の表情を思い出した。よそ行きの、つまりちょっとかっこつけた表情。俺には向けない優しい声。もやもやが胸を満たしていく。
「飴村は……おすすめできない」
気づけばそう口にしていた。佐藤さんが目を丸くする。
「どうして?」
「あいつ、母親とすっごい仲良くて、一日に百回くらいLINEしてるんだ」
「えっ」
「それでもいいなら――」
「あ、いやちょっと待って……か、考える」
佐藤さんが困惑を隠してこくこく頷いたところで友人たちが戻ってきて、その話はそこで終わった。困惑が滲み出ている佐藤さんの姿に罪悪感が膨らんだけれど、結局訂正できないまま、俺は帰宅の途についた。雨は降っていなかったけど、今にも降りだしそうなにおいがして、もし今日雨が降ったなら、どんな顔をして飴村に会えばいいんだろうと思った。
インターホンの音にびくっとして、窓の外を確認した。外はよく晴れた青空で、間違っても雨は降りそうになかった。飴村ではないだろう。
佐藤さんに、飴村が母親と仲が良すぎるという根も葉もない情報を吹き込んで三日が経った。その間一度だけ雨が降って、飴村に違いないインターホンが鳴ったけれど、俺は居留守を決め込んで出なかった。飴村からの着信にも出ないまま、翌朝に「寝ていて気づかなかった」と嘘を重ねた。
飴村に合わせる顔がなかった。しかも、佐藤さんを推薦するようなことを言った翌日にあんな嘘をついたのだ。最低だった。
(俺は何をしたいんだろう)
考えてしまうのは飴村のことばかりで、俺は三年も何をしていたんだろうと思った。手遅れだった。とっくに手遅れだったのだ。好きではないと言い訳みたいに思うのではなくて、無様な気持ちを自覚して、早めに断ち切っておくべきだったのに。
早く謝らなくてはいけない。佐藤さんに謝って、飴村にも謝って、そうすれば二人はうまくいくかもしれない。でも踏ん切りがつかなかった。飴村と佐藤さんがつきあいはじめて、仲良くしている姿なんか見たくなかった。
だけど嘘をついたままにしても、ずっとこのままではいられない。飴村は見た目もいいし対応だって女子には柔らかいし、雨の日に興奮する性癖だって、別に、受け入れ難いほどではないかもしれないし……。
インターホンがまた鳴った。ないだろうと思いながら覗いたドアスコープの向こうに飴村を見つけて、ひゅっと小さく息を呑む。
「――いるよな?」
見える筈がないのに、確信に満ちた声が聞こえた。口を結んでそのまま固まる。
「聞きたいことがあって来たんだ。――居留守つかうってことは心当たりがあるんだろ?」
逃げ出したいと思ったけれど、諦めも肝心だと思い直した。俺はすっと息を吸うと、観念して鍵を開けた。
「聞いたよ」
玄関扉を後ろ手に閉めて、飴村が短くそう言った。閉じ込められた空気が重い。
「佐藤さんのこと、だよな……?」
「うん」
「ひどい嘘ついてごめ――」
「一昨日の居留守もこれが原因?」
謝罪の途中で飴村が重ねて、言葉に詰まった。飴村はものすごく怒っている。当たり前だ。俺はそれだけのことをした。
「居留守だったよな?」
「……うん」
「そうか」
飴村の言葉が途切れた気配に、俺は飴村と視線を合わせる。表情はいつもの飴村のままに見えた。
「ごめん。俺からもすぐ訂正するから――」
「いい」
「いや、でも……」
「本当にいい。肯定したから」
「肯定って……『母親と毎日百回LINEする』を?」
そんなわけがないだろうと思ったのに、飴村はにやりと口を歪めた。
「そう。それを」
「……どうして?」
「安宿のせいで彼女ができなくなるのもいいなと思って」
揶揄うような飴村の言葉に言葉を失うと、飴村が楽しげに目を細めた。長身を少し折り曲げて、瞳を覗きこんでくる。俺は動けなくなってしまった。
「安宿は俺に、彼女をつくってほしいのかほしくないのか、どっち?」
「…………」
「俺は安宿がいればいいよ」
普段表情に乏しい飴村の、見たことのない綺麗な笑顔。夢に違いない。こんなことがある筈がない。何かの間違いだと思考がうるさかったけれど、俺はちょっと泣きそうになった。驚いた顔をした飴村が、そろりと頬を指でなぞった。
「キスしていい?」
何も言えないままの俺は、それでも飴村にわかるようにと、力強く頷いた。
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