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ネコ-3-

 志波(しば)隼人(はやと)は入学当初、それ程目立った存在ではなかった。  日本の宝と言われる巨匠の製作した、魚が主人公のアニメに出てくる男の子に眼鏡を掛けさせただけだと誰かが言い出し、最初志波のあだ名はそのキャラクターの名前だった。  志波は特に何も言わず、それを受け入れていた。  特定の人間と仲良くする事もなくクラスの人間全員と一定の距離を置いていたが問題は無く、どのクラスにもいるちょっと特徴のある生徒なだけだった。  それが変わったのは、参観日だった。  志波の母親は差別意識の強い人間で、廊下で志波がクラスメイトと話している姿を見るや否や「そんな低レベルな人間と付き合ってはいけません」と捲し立てた。  志波は「落とし物を拾って貰っただけだ」と釈明したが、聞いては貰えずにいたのを覚えている。  その日だけでも母親の発言は胸糞が悪くなるものばかりで、参観日に来ていた他の親達が顔を顰しかめていた。  その後、志波の母親は学校にやって来ては「クラス編成をちゃんと能力別にして欲しい」「程度の低い人間に合わせた授業は止めて欲しい」「無意味な授業をする必要はない」と校長に直談判し、若く美しい女の担任が気に入らなかったのか「指導力がない」「服装や化粧が派手で不適切だ」と訴えた。  最初は厄介な母親を持って大変だと同情的だったクラスの連中も担任の志波に対する言動や態度に引き摺られるように徐々に態度を変え、志波は孤立していった。  志波が話しかけても「俺ら猿だから言葉分かんねー」そう揶揄し「天才様は別の学校に行け」と逆差別を受け、素行の悪い連中からは学校使用料として金を要求されていた。  気の強い志波は「学校運営に携わっていない人間に料金を払う必要性は無い」と突っぱね、その代わりにと教科書を破かれ、上履きを捨てられていた。  一年だった志波は二年と三年にも目を付けられ、適当な理由を付けられは金を無心され、その都度「金など無いし渡す必要性も無い」と断っては暴力以外の代償を支払わされていた。  弁当をトイレに捨てられ、体操着を切り刻まれ、机を撤去され、鞄をプールに沈められても志波は泣かなかった。  俯く事無く真っ直ぐ前を見ていた。  だから俺も静観していた。  まだ闘う事を放棄していないのに割って入るのは違うように感じて。  だが、夏休み前。三年の不良三人に捕まり、裏庭に引き摺られて行く志波を目撃し、やばい事にならないようにとこっそりと後をつけた。  校舎の影に身を隠し覗いてみると三年二人が左右から志波を拘束し、残りの一人は虫がうじゃうじゃ入ったペットボトルを持って正面に立っていた。 「虫を食いたくなければ金を定期的に運んで来い」と脅されるが志波は何時ものように嫌だと突っぱねた。  すると三年は頭の上でペットボトルを振り、虫を何匹か落とした。  虫が苦手なのか志波は小さな悲鳴と共に頭を振り、必死に虫を落とす。 「もう一度聞いてやる。虫を食うのと金を持ってくるのとどっちがいい?」  虫を一匹摘み、口元へ近付けられ「嫌だ!」と叫んだ。  それは虫と金とどちらに対しての言葉かは分からないが、志波は必死に藻掻いてみせた。  だが、ひ弱な志波に男二人の腕から逃れる力は無かった。  ジタバタと暴れる志波。  不意に志波と目が合い、その目は何時もの取り澄ましたものとは違い、縋るような助けを求めるようなものだった。  心底困っている人間は助けるのが(おとこ)だと、ジジイに叩き込まれていた俺は反射的に飛び出してしまった。  三年三人相手に分が悪いと分かってはいたが、関係なかった。 「あーー。悪いんですけどそいつ俺の財布なんで返して貰っていいですか?」  勿論「はい、どーぞ」とは行くわけも無く。  後は拳と拳で語り合った。  どちらかが気を失うまで徹底的に。 「あーー。クソ! 口ん中ズタボロだ」  何とか三人を撃退したもののボロボロになった俺は、愚痴りながら立ち上がる。  人影を視野に捕らえ目を向けると、逃げもせずに木の影に志波は立っていた。  表情に恐怖の色はなく、ただ怪訝な顔で俺を見ていた。 「何が目的だ」 「開口一番それかよ。まずは礼を言ったらどうだ」 「礼を言う必要があるのか?」 「助けてもらったんだから、礼を言うのが当たり前だろうが」 「別に頼んでいない」  プイッとそっぽを向く。  いい態度じゃねーか、コノヤロウ……。  俺は地面に落ちている虫入りペットボトルを拾い上げると、志波に近付きワザとらしく目の前で振って見せた。 「俺に言う事あるよな?」  志波は顔を青くし、頬を引き攣らせながら消え入るような声で「助けてくれて、有難う」と言った。 「よし。それじゃ金払え」 「なんだそれは」 「お前の為に闘ったヒーローに見舞金払えって話し」 「ふざけるな! 君に払う金などない!」  俺は両手で頬押さえると、空を仰いだ。 「口の中こんなんじゃ、当分ロクな飯食えないなぁ。結構出血したからいっぱい食わないといけないのに。マジ貧血で倒れるかもしんねーな」 「そっ、それは君が弱い所為だろう。僕の所為じゃ……」 「血みどろなシャツ見たらお袋にどやされるだろうなぁ」  ちらりと窺い見ると「お袋」というキーワードが効いたのか、志波はバツの悪そうな顔で視線を彷徨わせていた。  もう一押しか。 「うちのお袋の暴力半端ないんだよな。普通にグーで殴るし、跳び蹴りとか余裕だし」  志波は忙しなく視線を彷徨わせながら何度も瞬きを繰り返す。  相当焦ってんな。  駄目押しいっとくか。 「絶対ケツバッドだな。金属バッドでケツバッドされる」  志波は彷徨わせていた視線を俺の顔で止めると、すっと下へ落とし何かを考え、そして……。 「君のシャツがそのような状態になったのは君自身に原因があるからだが、君が暴れた事で僕が助かったのもまた事実だ」  シャツの襟元に手を差し込んでごそごそと首から下げていたお守りを引き摺り出すと、中から数枚の千円札を取り出した。  金を盗まれない為の対策なんだろうが、お守り袋の中に仕込んで、首にかけてるって、凄いな。 「これで新しいシャツを買うといい」  助けられた分際で何で上からものを言ってんだ。お前は。  つーか、誰の所為でこんな事になったか分かっているのか?  俺は差し出された札をそのままに志波の頭にチョップを落とした。 「アホ」 「いてっ! 何をするんだ!」 「上からものを言うな。あと、中坊が簡単に五千円とか出すな」  俺は千円を一枚引き抜き、志波の目の前でヒラヒラと振る。 「見舞金はこれで十分だ」  安い店行けばシャツなんて九百八十円で売っているし、ぶっちゃけ家に帰っても居るのジジイだけで、お袋も親父も滅多に帰ってこないしな。 「で、ここからはビジネスの話しだ」 「ビジネス?」 「そっ。週千円で俺を用心棒として雇わないか?」 「何をバカな」 「悪い話しじゃないと思うぜ。ほんの少し俺に握らせるだけで今後の学校生活が穏やかになる」  グシャリと志波は顔を歪めた。  気が強かろうが、平気に振舞っていようが、辛くない訳がないのだ。  本当は誰かに助けを求めたかったのかもしれない。  だが、原因となった母親にも、いじめを誘発させた担任にも、自分を逆差別するクラスメイトにも誰にも何も言えなかったのだろう。  志波は頬を震わせ必死に堪えていた涙を零した。  慌てて背を向け顔を隠すが、震える肩と洟を啜る音でバレバレだ。 「べっ、べ…つに…君の手助けなんか……必要ないんだからな」  ヒックヒックと嗚咽を漏らす。 「これはビジネスだ。お金に困っている君と迷惑行為を減らしたい僕との対等な取引だ」  別に俺は金に困ってなんかいないけどな。  そういう事にしといた方が楽ならそれでいいけど。 「んじゃそういう事で宜しくな。何だったら一筆したためようか?」  冗談で言ったのに、翌日本当に契約書を作って持って来た時には腹を抱えて笑った。  こうして志波と俺の雇い主と用心棒の関係は始まった。  護る建前として俺専用の財布となったと噂を流し、友達(ダチ)二人にも協力してもらい志波をガードした。  その甲斐あって物の破損や紛失。カツアゲなどは少なくなったが、差別的な態度や無視はそのままだった。  大丈夫かと訪ねれば。 「僕を排除しようとする人間を僕が必要とする道理がない。あんな連中、僕だって要らないよ」  そう言って志波は毅然とした態度でいた。  俺や俺の友達(ダチ)を側に置く事は志波にとって契約でしかなかったのだろう。  馴れ合う事もなく一定の距離を保ったまま、中学卒業を迎えた。  卒業式を終え、近所の公園に呼び出しこれまで報酬として受け取っていた金を紙袋に入れて渡すと志波は驚いて見せたが。それだけだった。  中学の誰とも被らない高校へ行くのだ。  協調性の無い性格とトゲトゲした物言いをなんとかしたら、直ぐに友達(ダチ)も出来るだろう。  不器用なだけで悪い奴ではないのだ。  だからこそ俺もクソみたいな建前を持ち出して三年間もガードしたのだ。 「高校では上手くやれよ」  そして俺達の契約は終わったのだった。

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